第十三話 歓迎会
「レシエム、今夜は君の歓迎会を行うことになっている。仕事が終わっても帰らないように」
午前中、仕事を始めるや否や、レシエムはシュツェルツからそう宣告された。聞いていない、いささか非常識ではないか、とレシエムが抗議すると、シュツェルツは爽やかな笑顔で言い放った。
「嫌だなあ。歓迎会や誕生日会は、本人に告知しないで行うから、楽しいんじゃないか」
非常識な国王のお陰で、レシエムは帰宅が遅くなることと、夕食は用意しなくていいことを手紙にしたため、自邸まで使いを出すはめになった。手紙を書く最中、ふと思い付く。
(リベアティアは出席するのだろうか)
彼女から贈られた剣帯を持ってくるよう、最後に書き加え、レシエムは使い番に手紙を渡した。
陽が落ちると、レシエムは剣帯を屋敷から届けられたものへと付け替えた。シュツェルツに付き従い、近衛騎士ルエンや、他の国王秘書官たちとともに、歓迎会が開かれる西殿の大広間へと向かう。
普段、西殿は中規模の饗応の場としてしか使われていない。秘書官となってから日が浅いレシエムは、初めてこの宮殿に入る。きらびやかに飾り立てられた大広間には、丸い食卓が海に浮かぶ島々のように並べられ、その間を着飾った人々が魚のように行き交っている。序列の対象となる座席が隅のほうにしか置かれていない、珍しい形式の饗応だ。
シュツェルツが大広間に足を踏み入れると同時に、人々は壁際に下がり、深くこうべを垂れた。ルエンや秘書官たちも群集の動きに倣い、レシエムもそれに続こうとする。
「おいおい、主賓が下がってどうする。君は私についてきなさい」
シュツェルツに小声で命じられ、レシエムは渋々と従った。中央で立ち止まったシュツェルツは、慣れた様子でレシエムに向かって祝辞を述べた。表情の選択に困っているうちに、レシエムは女官に杯を握らされ、あろうことか乾杯の音頭までとらされるはめになった。杯を手に乾杯を終えた人々は、友人知己と寄り集まり、和やかに談笑を始める。
(これは歓迎会という名の拷問か?)
レシエムが早々に疲労を感じていると、中年の男性貴族が歩み寄ってきた。正確には、レシエム目指してではない。レシエムの隣にいるシュツェルツの前で立ち止まり、優雅に一礼する。
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
「ご機嫌よう、ベティカ公」
シュツェルツが口にした相手の名に、レシエムは驚いた。ベティカ公といえば、王妃ロスヴィータの実の父親であり、宮廷一の大貴族と噂される人物だ。そういえば、この顔には見覚えがある。
「ベティカ公、先程も皆の前で紹介したが、こちらが新秘書官のラリサ伯。将来のマレ王国を担う存在だ。ラリサ伯、そなたも存じているだろう。あちらはベティカ公。予の義父に当たるご仁だ」
いつもと違うシュツェルツの物言いに戸惑いつつ、レシエムはベティカ公に向けて一礼した。ベティカ公は若い頃の美しさが想像できる顔立ちに、微笑を浮かべる。
「ラリサ伯、こちらこそよしなに。亡くなられたご父君とは、何度かお会いしたことがある。あなたが国王秘書官となられ、神界へ帰られたご父君も喜んでおいでだろう」
「ラリサ伯、予はしばらくベティカ公と話したいことがある。そなたは好きなように会場を回るとよい」
シュツェルツに促され、レシエムは一礼ののち、その場から離れようとした。
だが、国王とその舅である大貴族の会話とはどのようなものだろう。
レシエムは興味をそそられた。リベアティアが出席していれば、リヒトのことを報告したいが、彼女を捜すのは二人の会話を聴いてからでも遅くはない。レシエムは二人から少し離れたところに佇み、杯に口を付けながら耳をそばだてる。
「ところで、ロスヴィータはまだ予のもとに戻ってこないつもりか?」
シュツェルツが憮然とした顔で問うと、ベティカ公は苦笑する。
「今宵の宴席には出席するよう、私も娘を説き伏せようと試みたのですが、なかなか手強く……」
「そうか……まさか、ここまで怒っているとは。会うこともかなわぬし、正攻法では誤解は解けぬか。しかしなあ……」
シュツェルツは切なそうに溜め息をついている。どうやら、家庭のごたごたについての話題らしい。「誤解」という言葉が少し気になったが、期待外れに思い、レシエムは立ち去ろうとした。
「独身の頃ならいざ知らず、娘の気の強さにも困ったものでございます。このままでは、陛下にご側妾を、とかねてから申していた者どもが、ますます騒ぎ立てましょう。彼らは陛下の御子が、ディーケ王女お一人であることを危惧しておりますから。せめて、我が国に女王の先例があれば……」
深刻さを増したベティカ公の声音に、レシエムは足を止めた。マレ王国では女子の相続権が軽視されているが、女王の即位を否定する法律は辛うじてない。ただ、即位の先例がないために、女王の配偶者に関する法すら整備されておらず、実現は難しいと見られている。
「先例がないといっても、それはマレ王国だけのこと。周辺の国々にはいくらでもある。予が生きている間に、女王即位に必要な立法は必ず成し遂げる」
日頃の鷹揚な態度は影を潜め、シュツェルツの表情は冷厳そのものだ。
全身が総毛立つのを感じ、レシエムは若い国王を呆然と眺めた。
「その前段階として、貴族から庶民まで、女性の相続権を認める法律を定める」
シュツェルツの言葉に、ベティカ公が眉をひそめる。
「しかし……枢密院はおろか、議会の反対は必至でございますぞ。寡婦に対する財産分与だけで、女性の権利は充分と主張する輩も多いかと」
「反対する者も多かろうが、支持する者も少なくはなかろう。予のように娘しかおらぬ親は多い。財産も仕事もなく、結婚すらできぬ女性の存在を、反対者たちに認めさせる。そもそも、彼らが保守しようとする法は、いつの世に作られたものだ? 古い理のままで国を治められるのだとすれば、滅亡する国などありはしない」
シュツェルツの語気は強く、そのひとつひとつが怒りをはらんでいる。「国王の務めとは民を飢えさせないこと」と、彼は語った。あれは偽りではなかったのだ。
(国王陛下にお仕えできること、望外の幸運かもしれぬ)
感慨に浸っていたレシエムは、ふと気付いた。
女性の相続権が認められれば、リベアティアはピサエ女性伯爵となる。そうなれば、いずれ自分が後見人を務める必要もなくなるだろう。リベアティアなら勉強さえすれば、領主としての務めをきちんとこなせるはずだし、身寄りがないとはいえ、十六歳になる当主に、いつまでも後見人がついているのはおかしい。
喜ばしいことだ。レシエムは後見役から解放されるし、リベアティアもようやく本当の意味で自立できる。
けれども、レシエムは嬉しくなかった。心のどこかに小さな穴が穿たれたような感覚。
「あのう」
若い女の声に、レシエムは我に返った。声の主を捜すため辺りを見回す。いつの間にか、レシエムはたくさんの人影に囲まれていた。いずれも、若い娘たちである。不吉な予感におののいていると、少女の一人が話しかけてきた。
「先程からお姿を拝見していたのですが、とてもすてきでいらっしゃいますね」
「そうそう、まるで太陽神リュロイが顕現なさったよう」
「お歳はおいくつ?」
「独身でいらっしゃいますの?」
「国王秘書官の試験に合格されたということは、頭もよろしいのでしょうね。お勉強はどちらでなさったの?」
娘たちの質問は途切れるところを知らない。こんな時、リヒトがいれば彼女たちの気を惹いてくれるのに。埒もないことを考えながら、レシエムは機械的に首を振り、回答していく。少し離れたところから、シュツェルツが愉快そうにこちらを眺めていた。