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わたしのすてきな後見人  作者: 畑中希月
第一章 あなたがわたしの後見人
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第一話 見つからない後見人

「嫌です」


 きっぱりとリベアティアは答えた。

 予想通りの返事だったのだろう。目の前に座るヴェロナ伯は、見事な口髭の下から溜め息をつく。


「だが、悪い話ではなかろう。貴族ではないが、相手は大商人の子息だ。金銭的な援助は惜しまぬそうだし、歳も二十歳で、そなたと釣り合う。しかも四男だぞ。婿を取るようなものだ。家格もそなたのほうが上なのだから、無理も通りやすかろう」


 リベアティアは形のよい眉を釣り上げる。繊細な目鼻立ちを一際印象付ける、大きな黒い瞳が強い光を宿した。金褐色の長い髪と相まって、人形のように見えるリベアティアが今、内に秘めているものは、たおやかさではなく激情だった。


 リベアティアにとっては、縁談の相手が王族だろうが、公爵だろうが関係なかった。どうしてこの男に、父親ぶった態度をとられなければならないのか。世間では義父ということになっているが、一緒に暮らしたこともない。しょせんは母の──死んだ母の再婚相手にすぎないのだ。


 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら、リベアティアは「とにかく」と言う。


「そのお話はお断りいたしますし、わたしは未来永劫結婚するつもりはございません」


「ご父君が遺された爵位と領地はどうする。結婚して子供をもうけぬ限り、没収されるぞ」


「王室から賜ったものを、王室に返上するだけのことでございます」


 リベアティアが言い放つと、ヴェロナ伯は呆れたようにかぶりを振った。


「そなたはまだ若すぎるから、そのようなことが言えるのだ。兄弟も後見人もおらぬそなたが、結婚しないなど……」


 リベアティアは何も答えなかった。答える必要などないと思ったからだ。椅子から衣擦れの音をさせて立ち上がる。ヴェロナ伯に一礼すると、無言で部屋をあとにした。




 後見人なら捜している。候補すら決まっていないが。


(……「ラリサのおじさま」さえいらっしゃれば、ヴェロナ伯にあんなことを言われなくてもすむのだけど)


「おじさま」ことラリサ伯は、リベアティアの実父ピサエ伯の旧友に当たる。父が遺言で指名したリベアティアの後見人だ。家族のいないリベアティアが一人で暮らしていけるのも、ラリサ伯のお陰だ。


 そのラリサ伯も、既に亡き人だ。


 後見人であるラリサ伯の死後、ヴェロナ伯は何かとリベアティアのもとに縁談を持ち込むようになった。「そなたも、もう十六なのだから、結婚を考えてはどうか」と、余計な世話を焼いてくる。その度にリベアティアは、はらわたの煮え繰り返るような思いで、縁談を断らねばならない。


(本当に、いい加減にして欲しい!)


 怒りを持て余しながらも、リベアティアは乱暴にならないよう気を付けて扉を閉めた。マレ王国王妃付きの女官として、はしたない真似は慎まねばならない。この部屋は、「幻影宮」東殿の一角にあり、リベアティアのような女官や侍従なら、応接室として使うことができる。東殿は、国王一家とその側仕えたちが起居する場所で、リベアティアの職場であり、家でもあるのだ。この仕事も、ラリサ伯が紹介してくれたものだ。


 主人である王妃のもとに戻るため、リベアティアは東殿の奥に向かった。広い幅と奥行きを有した廊下は、天井に花びらを象った透かし彫りがされ、等間隔で並んだ大窓からは、柔らかい陽の光が射している。どこからともなく入り込む、一月の冷えた空気に晒されるうちに、リベアティアの腹立ちもおさまった。

 

 途中、同僚の女官二人が歩いてくる姿が見えたので、声をかける。


「どうしたの、二人揃って」


 同僚たちは顔を見合わせて、意味ありげに笑う。オティーリエというハシバミ色の瞳の少女が説明した。


「今、中央広間に行くと、面白いものが見られるって聞いたのよ。国王秘書官の志願者を受け付けてるんだって」


「そう。もう受け付けが始まってるの」


 昨年から国王秘書官が大々的に募集されていたことを、リベアティアは思い出した。現国王が玉座についてから半年しかたっていないが、即位当時に任命した秘書官の一人が、既に職を辞している。その空席を埋めるために、新しい秘書官を募集することになったというわけだ。


 オティーリエはさらに続ける。


「応募条件は見た? 十五歳以上の男性で読み書きができれば、身分を問わず誰でも応募できるんですって。さすが、国王陛下。なさることが新しいっていうか」


「競争率、ものすごく高くなるわよね。それなのに志願するのだもの。きっと、野心と才能に溢れた人たちがたくさんいるはずよ。たまには宮廷の外の人ともお近付きになりたいし」


 夢見るような瞳で語る少女は、もう一人の同僚、イルゼだ。二人とも楽しそうだ。有望そうな男性を品定めするのが彼女たちの目的だろう。


 ついていけない、とリベアティアは思う。


 ──早くよい結婚をして、ピサエ伯家を途絶えさせぬようにしなさい。


 死んだ祖父は口癖のようにそう言っていた。

 マレ王国では女子の相続権は認められていない。一族に男子がいない場合に限り、女子が自分の子に家督や遺産を相続できるという決まりだ。それには、結婚が絶対に必要な条件なのだ。


 リベアティアは従う気になれなかった。もし結婚したところで、女しか生まれなかったら、娘も自分と同じことを言われ続けねばならない。この国の法律が変わらない限り。幸い、女官という名誉な仕事に就いているのだから、遺産相続目当ての結婚などせずに生きていきたい。


 もちろん、こんな話を同僚にしたことは一度もない。彼女たちも、いずれは結婚して女官職を辞す。妙な話をして顰蹙ひんしゅくを買うのは避けたかった。


 思い出したようにオティーリエが訊いてくる。


「リベアティアもどう? 一緒に行く?」


「わ、わたしは、せっかくだけど遠慮しておくわ。王妃陛下がお待ちなの」


 辞退すると、リベアティアはそそくさと歩き出した。




 王妃の私室は、東殿の奥まった場所にある。近衛騎士に目礼してから厚い扉を叩くと、リベアティアは黄金作りの把手を掴み、両開きの扉を開けた。お辞儀を終えないうちに、可愛らしい声が室内ではじける。


「リベアティア!」


 黒い髪の小さな少女が、こちらに走り寄ってくる。国王夫妻の一人娘、今年で三歳になるディーケ王女だ。王女と目線を合わせるためにしゃがみながら、リベアティアはほほえむ。


「まあ、王女殿下。いつ、こちらにいらっしゃったのですか?」


「ついさっき。でも、リベアティアがおでかけしてるってきいたから、おかあさまのところでまってたの。ね、リベアティア、ごほんをよんで。ディーケ、リベアティアのよむごほんがいちばんすき」


「ディーケ、会うなりわがままを言ってはいけませんよ。まずはリベアティアに座ってもらいなさい」


 ディーケのうしろから現れた女性がたしなめる。娘と同じ、ゆるやかに波打つ黒い髪、白磁のような肌を持つ、王妃ロスヴィータである。母親の優しい声に促され、ディーケはリベアティアの手を引いて、長椅子に腰かけた。向かいに座った王妃に、リベアティアは頭を下げる。


「申し訳ございません、王妃陛下。席を外してしまって」


「構わないわ。あなたは他の女官より、わたくしの傍にいることが多いから、人と会うのも大変でしょう」


 ロスヴィータは王国一と謳われる美貌に、微笑を浮かべた。自らが女官出身ということもあって、王妃は女官や侍従たちに寛容だし、気取らない。身寄りのないリベアティアを心配し、相談事にも乗ってくれる。だからこそリベアティアも、生涯ロスヴィータに仕え続けるのだと心に決めている。


 ロスヴィータは少し声を低めた。


「それで、まだヴェロナ伯はあなたに無理を言っているの?」


「……はい。今回も断ったのですが、諦めたかどうかは分かりません」


「困ったものね。本人が望んでいない話を、次々と持ってくるようでは。わたくしが一言注意したほうがいいかしら」


 リベアティアは慌てて首を左右に振る。


「そのようなこと、陛下にお願い申し上げる訳にはまいりません。ただでさえ、後見人探しにご協力いただいているのに」


「でも、なかなかよい候補が見付からないでしょう。この宮廷内に、あなたのお父君の遺産を任せられるくらい誠実な人間は、なかなかいないものね。娘のわたくしが言うのもなんだけれど、父にしても、信頼できるような人柄ではないし」


 公爵家の出身であるロスヴィータは、軽く溜め息をついた。


 ラリサ伯が亡くなってからというもの、リベアティアは次の後見人候補を探し回ったが、いまだに適当な人物に出会えていない。あわよくば、父の遺産を横領しようという意思が見え見えな人、リベアティアに言い寄り、結婚によって遺産を得ようと企む人。地位は高くても、後見人に必要な実務能力が皆無な人。


 不快な出会いだけでも頭痛の種なのに、ヴェロナ伯の縁談も押し寄せる。没収を待たず、すぐに遺産を王室に返上できないか、と考えもしたが、直接の相続権を持たないリベアティアには、それすらもかなわないらしい。


 いっそのこと、自分で父の遺産を管理できればいいのだが、実務経験のないリベアティアには、どうも無理そうだった。財宝はともかく、領地には亡父の臣下や領民が生活している。

 とにかく、領地経営や財産管理の知識がある人を探して、後見人を引き受けてもらうしかない。


(本当は、王妃陛下に後見人を務めていただけたら最高なのだけど。でも、わたしは陛下の親戚ではないし……あまりに一人の女官をご贔屓なさるのは良くないもの)


 心労が重なる中、事情を理解し、リベアティアを気遣ってくれるのはロスヴィータだけだ。なおさら迷惑はかけられない。リベアティアはかしこまって告げた。


「王妃陛下が臣下の縁談にお口を挟まれたとあれば、眉をひそめる者も多いでしょうし、ひいては国王陛下にもご迷惑がかかります」


 ロスヴィータの頬に苦笑が浮かぶ。


「リベアティアは賢明ね。でも、あまり先回りして考えすぎると、辛くなってしまうこともあるわ。その時は、わたくしを頼ってちょうだいね」


「はい……ありがとうございます」


 横で聞いていたディーケが、首をちょこんと傾げる。


「おかあさま、『こうけんにん』と『えんだん』ってなあに?」


「後見人というのはね、お父さまとお母さまの代わりになって、守ってくれる人のことよ。縁談は、結婚のお話のこと。ディーケには、まだ早いかしら」


 ロスヴィータは丁寧に答えている。リベアティアはほほえましい気持ちで見守っていたが、不意に棘が胸に刺さったような感覚に襲われる。

 どうしてこんなことで痛みを覚えるのか。何となく、理由は知りたくなかった。

 

 扉を叩く音がした。女官として相手を出迎えるため、リベアティアはロスヴィータに断りを入れて立ち上がる。

 入室してきたのは、先程会ったばかりのオティーリエだった。一礼ののち、彼女はとば口に佇むリベアティアと、座ったままの王妃に視線を送る。


「おそれいります、王妃陛下。実は、リベアティアに面会したいという方がおいでなのです。お差し支えはございませんか?」


 リベアティアとロスヴィータは思わず顔を見合わせた。今日は面会人の多い日だ。


「構わなくてよ。ディーケの本はわたくしが読むわ。リベアティア、気にせずにいってらっしゃい」


 母親の言葉に、ディーケは残念そうな顔をしたが、「いってらっしゃい」と、小さな手を振ってくれた。

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