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人間にはわからないフェロモン

読んでくれる人がいればその人の好奇心に感謝します

 

 俺には高校時代から付き合いのある友達がいた。実名を出すのはマズイからここではKとしておくことにする。

 

 そのKだが、本人はいたって普通のやつで別段スポーツが得意なわけでもないし、勉強ができるわけでもない。本当に普通の青年だった。だが一つだけ彼と俺の間には秘密があった。高校時代の同級生で俺以外に彼の秘密を知っているやつはいなかったように思える。よっぽど長く彼の近くにいないとわからない些細なことだったからだ。


 秘密の経緯を話す前に俺がその秘密をどうして知ったのかまず話す。俺が高校に入学し席に着いた時、隣に座ったのはKだった。その時はお互いとりあえず自己紹介だけして二、三言話しただけだった。話す途中、小さい黒い羽虫が飛んでいたのを覚えている。体育館で入学式を行った時は彼は前の方にいたが、その後教室で席替えを行った時、また彼が隣に来て、互いに驚きながらちょっと笑ってしまったのはいい思い出だ。


 さてこんなKとの出会いだが、7月に入ってから気になったことがあった。授業中視線を横切る影が多くなったのだ。大抵はハエとかアブとかだったが、蜂の時もあったし、トンボがハエを追いかけていくのを見たこともある。とにかく羽を持った虫が一時間に最低でも5匹は飛んできて視界に入るのだ。ただの偶然だろうか?しかしそうではなかったのだ。


 Kにはもちろんそのことについては何も言ってない。しかし俺が鬱陶しそうに周りを飛ぶ羽虫を手で追い払ってるのを見て彼は申し訳なさそうに


「ごめんな」


と言ったのだ。俺はその時彼の意図がわからずに


「もうほとんど夏なんだから虫が多いのは当然だろ」


とKの言葉の意味を汲み取らずに言った。しかし


「いや、そうじゃなくてさ」


 Kは慌てたように首を振って


「これ、俺のせい」


と言って顔の周りを飛んでいた蚊を右手で捕まえて投げ捨てた。


 彼は物心がついた時から自分が羽のついた虫を引き寄せていることに気がついたらしい。そのきっかけは未だにわからない。しかし何が虫を引き寄せているのかはわかった。さあ、話はそろそろ後半戦だ。


 あれは俺とKが大学生になった時のことだった。ちなみに大学は一緒だった。一年の夏、二人で車に乗って日帰りで遠くに出かけることにした。


 車で片道二時間かかってたどり着く山をさらに登り、山頂に着く頃にはもう夕方になっていた。山頂から遠くに見える、自分達が住む街の方角に赤い夕日が落ちていく様子は幻想的で、まるで地平線が太陽を飲み込んでいるようにも見えた。


「あれだけ見るとさ地球が丸いとか信じれないよな」


 唐突にKが呟いた。


「あの向こうに太陽が沈んでいくんだぜ?昔の人が地球がドーム状になってて、歩いていくとそのドームの向こうに行けるんじゃないかとか言ってたのわかる気がする」


 その時はKにしては哲学的なことを言いやがる、と思って


「なんだよ唐突に。生意気なこと言いやがって」


とKの頭を小突いたりしながら笑いあったりした。ひとしきり笑った後Kが遠い目で呟いたのも覚えている。


「俺が死んだ後、俺の周りについてる虫どもはどうなるんだろうな?俺についてきてくれんのかな?」


 俺は冗談半分に


「それはにぎやかそうだな。それじゃ自分が死んだってのも気がつかないんじゃないか?案外俺の横にいていつも通り過ごしてそうかも」


「はは。そんなことしたら俺がストーカーみたいじゃねえか。お前の部屋の前までにしといてやるよ」


「それほとんど変わんねーよ!」


 あの時がKの笑顔を見た最後だった。


 それは山を降りてKの車に乗り込み、坂を下りていた時だった。虫が視界内に急に増えたんだ。窓を慌てて閉めたがかえって逆効果だったのか、車の窓ガラスが全て虫で覆われてしまった。ヤママユガ、スズメバチ、カブトムシ、玉虫、瑠璃アゲハ・・・とにかく数え切れないほどの種類、数の虫が窓ガラスに体当たりして互いに押し合ってきてはつぶれ、赤ではない色の体液をべったりとつけて汚していく。当然それだけ視界は塞がっていき、前が徐々に見えなくなっていく。俺はKにブレーキを踏むように何度も叫んだがKは顔面を真っ青にして全く聞かなかった。そして急に聞きなれない音がした。無理やり金具が引きちぎられたような。そんな音だった。そして数秒間の浮遊感の後に水が弾ける音。何が起こったのかはわかったが脳がその現実を拒否しようとした。窓ガラスの汚れがまるで潮が引くかのように一気に落ち、淀んだ質量を持った風景が現れた。間違いない。水の中に落ちたのだ。


「おい、K!逃げるぞ!」


 シートベルトを外し、何か固いものはないか探しながらKに声をかけた。しかしKは


「ダメだ・・・お前だけで逃げてくれ」


と真っ青な顔を振りながらつぶやき、ハンドルに両手を乗せた。


「何言ってんだよ、シートベルト外せ・・・ってあれ、何で?」


 Kのシートベルトを外そうと『press』と書かれたボタンを押したが、何かが挟まってしまったのか奥まで押し込むことができなかった。そうこうしているうちに水は膝のあたりまで浸水してきており、じきに車から乾いた空間がなくなることは必至だった。俺は急いで靴下を脱ぎ、中に財布から取り出した硬貨を入れて脱出の準備をする。


「もうお前だけで逃げろ。俺は助からない」


 俺が準備を終えたのを見届けてKが言った。俺は最後まで方法を考えたが、ボタンを外す技術も工具も、シートベルトを切れる刃物も持ってない。Kを置いて俺だけ逃げるしか方法はなかった。


「K、すまん。俺はお前を助けられない。けど言い訳はしないことにする。100年くらい待っとけ。お前の分まで生きといてやる」


 Kはこれから迎える死への恐怖が抑えられない様子だったが、俺の冗談は聞こえたらしく、ぎこちなく笑って小さく手を振ってくれた。その時だ。


 どこからともなく蝶が現れたのだ。あまりにも唐突であり、元からいたと言われても違和感を感じずそのまま受け入れてしまっただろう。しかもそこからが妙だった。蝶は俺の肩の下、二の腕の上の方にとまった。水に浸かった部分であったにもかかわらず、だ。その上その蝶は俺の腕に吸い込まれるように消えてしまったのだ。しばらくあっけにとられてしまっていたが、首筋にひんやりとしたものが触れた途端自分の状況を思い出し、俺は靴下を構えフロントガラスめがけて精一杯打ち付けた。三回ほどでヒビが入り、四回目で割れた。素早く空気を吸い込み車から抜け出す。振り返ると沈んでいく車の中にKが見えた。俺は泣き叫びたい気持ちを抑え、水面目指して水を掻いた。


「あとはニュースで放送されてたのとほぼ同じですね」


 そこまで語り終えると目の前でベッドに体を横たえている男は私の方を向き、寂しそうな笑顔でそう言った。随分長く話していたように思えるが時計を見ると30分しか経っていない。しかし今まで聞いた話の中では飛び抜けて奇妙な話だった。


「いやぁ、つまらない話に付き合ってくれてありがとうございます」


 男が申し訳なさそうに会釈するが、私は慌てて手を振り、


「そんなことないですよ!妻が迎えに来るまで暇でしたし、何より入院中ずっと気になってましたから」


 男のベッドや体に群がり、おとなしくしている蛾や蝶、蜂をちらりと見ながら努めて笑い顔で返す。大量の虫というのは人間に否応無しに嫌悪感を与える。男の話を聞いていた私は皮膚病の手術で入院しており、この男のすぐ隣で過ごしていた。初めて見たときはびっくりした。クーラーをかけるために窓を閉めていても視界内に羽虫が飛んでいる姿が見えたからだ。そしてその原因が人間で、しかも隣にいる、とその本人から聞いたときは夢だと思った。その男自体はいたって普通だが話してても飽きないし、私が退院すると言ったときも自分のことのように喜んでくれたいいやつだ。そして私が彼に虫がいつも周りにいる理由を聞くと快く教えてくれた。その内容が先ほどの高校時代からの友達のお話だったというわけである。


「Kは死んだけど俺はあの時自分の肩に止まった蝶はKの魂みたいなものじゃないかって思ってる。だから俺は退院したらKの好きだったサーフィンをやってみます。」


「それは楽しみですね。実は私もサーフィンやってましてね。よければお教えしましょうか?」


「そうだったんですか!それは嬉しい。」


 そういうわけでお互いの連絡先を交換し、私はベッドにいる男に別れを告げて退院した。そしてその男と会うことはもうなかった。いや、正確には棺桶に入った彼には会ったか。私が退院した数日後に死んだらしい。しかもその死に方があまり想像したくなかったのだが酷いもので・・・


 毛布の中で体内組織が溶けて判別できないほどぐっちゃぐちゃになっていた状態で看護師に発見されたらしい。



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