第九話
ズリズリと地面を這う音が聞こえる。
くっそ! 動けない!
痛みと体液の流れ出るのとで精神集中もできやしない。
“脆弱な生き物の末路とは、無意味に等しい。我ら龍の血族のような高等な種に比べれば、食物にしかならん。低俗な力と身に不相応な知能など、不恰好なだけだ。死して、己の無力さを知るがいい”
堕龍が話しかけながら近づいて来る。
うだうだうるさい。そんなこたぁ、ここに来る前から判ってるちゅうの。経験値も知識も半端なあたしに、堕龍退治なんて無理に決まってたんだ。
でも、これからどうなる? 堕龍は、あたしの力を食い物にすることで、今以上の力を獲得するだろう。となれば、ソロモン王の予測が外れている今の状況から、更に最悪なシナリオが用意されていることになる。
ソロモンの指輪を持っているあたしが居なくなるってことは、ソロモン王も、その他の堕龍に対抗しうる人間は、力を使えないことになる。
完全なる虐殺。人間界は、堕龍一匹の為に滅亡の危機ってわけだ。
ははは。龍の血族最下位の奴が、世界をひとつ滅ぼすってのか。笑い事じゃ、済まされない。
来たばかりの異世界だけど、嫌いな世界じゃない。ソロモンじじぃのお蔭で、魔力も自由に使えない、自然との共存もできてない、空気も水も不味い世界だけど、食い物は美味いんだ。それに、理由のない死は、誰にも与えられてはならないんだ。
痛む身体を、無理やりに上半身だけ起こした。二の腕に力が入らないから、不恰好に斜めになったが仕方ない。
治癒魔法なんてのがあれば、こんな怪我だって治せるんだろうけど、治癒の魔力は、未だ研究中で、そのやり方すら公表されてない。こんなことなら、親父にスパイさせてでも聞きだしとくんだった。
まぁ、いいさ。やりようは、無いわけじゃない。
魔力を貯めると同時に、背中の真ん中に集め、一気に頭へと走らせる。一瞬、光が走り抜けたように見えたろう。
これで、やっと立ち上がれる。痛みは、ない。
流れ出る体液までは、止められないが、痛みは無くなった。一種の麻酔効果だな。脳の痛みを判断する部分を、一時的に麻痺させる。副作用としては、運動機能にも多少の影響があることと、致命傷の傷を受けたとしても、痛みで判断出来ないってこと。痛みが戻って、あっけなく死んじまうこともあるってことだよ。
今更、そんなこと気にしても、しょうがないけどな。
“……そこまで抵抗するか。愚かな者は、相手との力量さえも見誤るものか。延命にすらならんぞ。くだらん”
立ち上がったところに、ブンと唸りをあげて堕龍の尾が、横殴りにあたしを捉えた。
やっとのことで立ち上がったってのに、あたしに防ぎようはなかった。
そのまま払うように吹き飛ばされて、木々の生い茂るところまで宙を舞った。
痛くはないけど、かなりの衝撃に身体が痺れる。
足から着地するべく、態勢を立て直しかけたところで、真後ろから衝撃がきた。予想すらしていなかっただけに、全身にかかるショックに視界が真っ白になりかけた。
後ろ手に確かめる感触は、物凄く堅く冷たいものであった。振り返って、青くなる。
あたしの三倍はあろうかって巨石が、何時の間にやら出現していた。こんな岩、さっきまで無かったはずだ。
岩に張り付く感じで動けないでいるあたしの眼の前で、驚きの続きは始まっていた。
岩が、地面からせり出してくる。いや、岩と呼べないくらいの石もだ。
変化は、それだけじゃ収まらなかった。迫り出した石や岩が、まるで地面から吐き出されるかのように、あたし目掛けて飛び出してくる。
小さい石を二、三個右手で払いのけたが、さすがにあたしの頭くらいのサイズは無理だ。横っ飛びにかわすが、まるで予測していたかのように巨石が眼前に落ちた。バック転で避けたものの、空中は無防備になった。
四方から飛来する拳大の石は、身体を丸めたあたしの全身を叩いた。魔力で防ぐことすら出来なかった。というか、それだけの魔力が貯まってなかった。受身をとることすら出来ずに、あたしは、地面に叩きつけられるはずだった。
左肩と右太ももに、鈍い衝撃が走った。身体は、地面にまだ触れてない。
「うあぁああ!」
確かめて見て、自然と叫び声が出た。
地面から迫り出した槍のような岩が、あたしを空中に張り付けにしていた。痛みは、まだないが、決定的な状況に恐怖が叫び声として出たのだ。
すぐ傍らに、堕龍が右手を上げて待ち構えていた。絶望。堕龍の姿が、大きな鎌を振り上げる死神に見えた。
あたしの身体を、真っ二つにするべく振り下ろされた鉤爪が、あたしの腹に触れる瞬間、それは起こった。
「すいません、マミさん。少し時間を食いすぎましたね」
静かな調子で話す声と、鉤爪が空を切って通り過ぎるのが同時だったろうか。気が付けば、あたしの身体は、槍の岩から開放されて、空を飛んでいた。
その後を巨石が飛んで追う。その間を、難なくすり抜けて、あたしは地上に降りた。ありゃ? 表現が変だな。あたしを抱きかかえた慎一郎が、降り立った。
「……しんいちろ……」
呆然とするあたしの口から、たどたどしく出た言葉。我ながら情けない。
「すいません。もう少し早く出来るはずだったんですけど、なかなか難しくて」
あたしを見下ろして、エヘってな感じで笑う慎一郎は、頼もしいとは決して言えない。ってか、助けんなら、もっと早くだろが!
“脆弱な生き物が、一匹増えたか”
呆れたとでも言いたげな堕龍。真っ直ぐにあたし達を目指して進んでくる。と同時に、岩だらけだった地面が、堕龍の道だけ岩が沈んで綺麗になっていく。その他は、大小の岩だらけ。行動範囲が制限されているようなものだ。きったねぇの。
「脆弱は、言う通りですね。僕じゃ、マミさんみたいには、戦えませんから。さっきの石ひとつで死んじゃいます」
うんうんと頷いてんじゃないってぇの。緊迫感のない奴だな。大体、ひ弱自慢してどうすんだ。馬鹿じゃない。
“ならば、何故に出てきた? 逃げておれば、幾ばくかの延命はできたであろうに”
みろ。突っ込まれたじゃないか。人間のお前に、堕龍とまともに戦うなんて出来ないんだから、逃げるってことが得策だったはずだろ。
何も助けに来ることなかったんだ。まぁ、感謝はしてるけど。
“人間が何人増えようと、魔力を使えぬでは、下等生物だ。さぁ、その娘を差し出せ。その娘を喰らい、我は最後の力の仕上げとしよう”
なぬ? 最後の仕上げ?
「ああぁ。まだ、完全体では、なかったわけですか。どうりで聞き及んでいたほど敏捷ではないですし、力も感じられませんでした。後ろ足が無いのが、その証拠でしょうかね」
よいしょっとばかりにあたしを抱え直して、慎一郎は話す。失礼な奴だな。あたしは、そんなに重くないぞ。
「血です。血で、滑るんですよ」
睨み付けたあたしに気付いて、慎一郎が言い訳してきた。おいおい、そんな余裕あんのか?
“身体の一部が不完全であったとしても、貴様らのような脆弱な者に、何ら支障もあるまい”
高笑いすら聞こえそうな堕龍の自信であった。でも、それが嘘じゃないことは、あたしのこの姿が実証してる。
「あっあ〜ん。自信過剰は、いけませんね。謙虚じゃないと、長生きできませんよ。まぁ、あなたは、それにすら値しませんけど」
ふわりとあたしを抱えたまま、慎一郎は背中にそびえていた巨石に飛び乗った。あたしの倍はある大きさだ。
「それに、いつ、僕が人間だなんて言いました?」
“なに!”
堕龍の驚きが伝わるかどうかの刹那、その変化は一気に起こった。
真っ白な霧に似たものが、堕龍を中心に渦巻きだした。それは、あれよあれよという間に、堕龍を包み込むと、まるでデカイ繭のようになってしまった。と同時に、あれだけ乱立していた岩群が、地上から消えつつある。慎一郎が乗っていた岩も、既に地面に吸い込まれて、土の地面を踏みしめている。
“な、なんだ、これは? 眼くらましのつもりか! 小ざかしい!”
「あなたには、見えないでしょうね。見ようともしないでしょうから。人間界といっても、人間だけが暮らす世界じゃありませんよ」
慎一郎は、あたしを静かに下ろして、地面に横たえた。実際、限界に近かったんだよね。体液は、流れっぱなしで貧血状態だし、麻酔効果も薄れつつあって、体中が痛みだしてる。静かにさせてもらえるなら助かる。
「これで、少しは時間が稼げます。マミさんが、止めを刺してください。僕には、できませんので」
ああぁ、そうかよ。って、なに!?
「おまえ、あいつに、さっさと止め刺せ! イタタタっ」
しゃべらせるな。痛くなってんだぞ。
「無理です。僕、攻撃魔術なんて習ってませんから」
「じゃあ、おまえ、何したんだ? ってか、何できるんだ?」
頼むよ。瀕死のあたしに、これ以上突っ込ませるな。
「マミさんを治せます。今、だけですけど」
「なんじゃ、そりゃ?」
「説明してる場合じゃありません。いきます」
そう言って、両手をあたしの腹部に押し当てて、慎一郎は眼を閉じた。物凄い勢いで慎一郎が光りだす。と、あたしの傷口が、見る間に閉じていく。暖かい感じはあるものの、これといった感触はない。
まさか、治癒魔術? こいつ、異世界人か?
完全に傷口が塞がったのを見届けて、慎一郎はその場に座り込んだ。
「すいませんが、これで僕は動けません。後は、頼みます。恐らくですが、堕龍の弱点は、不完全な後ろ足だと思います」
それだけ言うと、ばったりと後ろに倒れて動かなくなった。
まったく、中途半端に凄い奴だよ。未だ実用化されてない治癒魔術を使えるなんて、上級魔術者でも数人だろ。
後で、その正体、白状させっからな。
あたしは、勢い良く立ち上がると、静かに息を吸い込んだ。ゆっくりと眼を閉じる。
二度、大きく深呼吸をして、ゆっくりと眼を開けた。見えなかったものが、しっかりと見えるようになった。
あたしと慎一郎の味方。それは、堕龍を渾身の力で閉じ込め、今も身動き出来ないようにしてくれている。
ありがとう、みんな。
さぁ、ここからが、反撃の始まりだぜ!
ここで生まれたことを後悔させてやる。覚悟しろ!
つづく