第七話
あたしの肌がしびれるように総毛立つ。
こんなことって、今までの経験でも、そう何度も無い。
堕龍が潜んでいるであろう木までは、まだ結構な距離がある。円形に枯れ果てた中央に位置する木に、あたしの足で全力疾走したとしても、僅かな時間とは言えないだろう。
なのに、その存在が感じられる。
ちょっと待ってくれない? これって、たかだか数人の人間が犠牲になった位の話かよ。ここまで膨大な存在感を示すってことは、かなりの成長をしてるってことだろ。ってことは、慎一郎やソロモンじじいが把握してない犠牲者ってのがいるってことだろが。
ああぁ、やっぱバックレるべきだったかな。
いや、ネガティブに考えるのも、どうよ。堕龍は、龍の血族の中でも最下位だけど、腐っても龍の血族。完全体に遠い成長過程でも、それ相応の力ってことだろ。だとすると、今のこの異様な存在感ってのも納得できないか?
あっ? でも、強さがでかくなるかどうかってことで、現状には大差ないってこと?
いや、不完全体なら力も制限されるだろうから、たいして動けないってこともありってことでしょ。一気に攻めれば、反撃されないうちに決着ってこともありでしょ。
って、うだうだ考えてんのも、あたしには似合わないっての。
最初の一手で、決める!
両手を握り締めて胸の前で組み、身体を縮めるようにして眼を閉じる。身体の中心から熱くなるように力が集まる。恐らく、今のあたしを見れば、薄く赤い光が身体を包んでいるのが見えると思う。
魔力を貯めることで、大きな魔術を使える。手段や手順は違っても、大半の魔力は、あたしと同じように使うしかない。
どういう魔術で、一気に勝負をつけようか迷うとこだけど、比較的龍の血族は火に強い。ってことは、冷気ってことになるのかな。
「ちょっとマミさん。ホタルみたいに光ってるとこ申し訳ないんですが、あの木の根あたりに白く見えるのって、骨でしょうかね?」
最大限に魔力を貯めて…って、慎一郎、何か言った? 集中してる時に話し掛けないでほしいんだけど。
「あれって、服の残骸ですかね? ってことは、人骨ですか。あっちのは、何か動物みたいですね。あ、頭が長いですね。鹿でしょうかね? あそこら辺は、犬か猫でしょうか」
ああぁ、うっとしいっての。集中できんだろが。
骨がどうしたって?
集中を一時中断して、薄目を開けて確認。あん? 確かに白い骨らしきものが、枯れた草の間に見て取れる。
あたしの足元、同じような枯れた草なんだけど、結構な茂り方してたんだろう。膝丈は無いが、それに近いくらいに折り重なっている。
待て待て。あそこで骨が見えるってことはだよ。あそこだけ異様に地面が盛り上がっていて、尚且つ、草丈もそれほど無いところだった。ってなことは、あたしの都合のいい考えだよな。ってことは、あそこに見えてる骨って、どんだけの量あるってのよ。
マズイってか、ヤバイってか、どうにも危険な予感。完全な読み違えだ。
堕龍の奴。木の中で眠る前に、この辺りの動物やら人間やらを、片っ端から喰らいやがったんだ。ある程度を直に喰らうことで力を蓄え、木の中で眠る期間を短くすることにしたんだ。
ちくしょう。前例が無い。
廻りの空気が、熱気のような熱を帯びる。やっぱりか。
あたしは、慎一郎を突き飛ばすと、そのまま頭を掴んで地面に押し付けた。あたし自身も枯れた草の中に埋もれる。
“懐かしき魔力の香りかな”
地の底から響いたのかと思えるような不気味な声。いや、声じゃないな。直接、頭の中に響いたようだった。
同時にバキバキと生木の裂ける音が響いたかと思うと、ドンという爆発音と共に廻りが明るく照らされた。
恐る恐る顔を上げてみれば、堕龍が潜んでいたであろう大木が、紅蓮の炎を吐いて炎上していた。
不安定に揺れる炎の明かりの中、その影はあたしの身長の二倍ほどの高さでたたずんでいた。
全身が深い緑色に見えるが、良く見れば、その中に赤黒い筋が無数にある。その表面が歪に光っているように見えるのは、ウロコのせいかもしれない。あたしの頭くらいの高さに二本の突き出たものは腕だろうか。三本の指に鋭い鉤爪が炎を反射して輝いてる。
堕龍。龍の血族。
ここまできては、見逃してくれるような甘い考えはないだろう。逃げるって手段もあるが、慎一郎が付いて来られるとは考え難い。
あたしは、静かに立ち上がって、堕龍を見据えた。
異様に突き出た頭部は、長い鼻面で、びっしりと細かいウロコが立っている。耳が見えないが、あるとしたらそこまで裂けているであろう口からは、時折、鋭い牙が幾つも見え隠れしてる。それに眼だ。肉食獣特有の前面だけを見つめるための両目は、血の色より紅い光を放って、あたしを見つめている。頭部に見える何十本もの角も不気味だけど、両目の気色悪さからしたら可愛いもんね。
あたしの肌が、堕龍が発する熱気と炎の熱で、じっとりと汗をかいているにもかかわらず、鳥肌が立っているのは、完全に恐怖心なんだろうなぁ。こあいよぅ。
んなこと言っても、対峙しちまってんのに四の五の言ってる場合じゃない。やってみるしかないのよね。
「慎一郎。できるだけ離れてな。ちょっとばかりの派手さじゃ済まないみたいだから」
堕龍から眼を逸らさずに、きっとまだ寝てるであろう慎一郎に声を掛けた。完全体以前なら、一撃必殺なんてこともあったけど、完全体が相手では勝ち目は相当薄い。ド派手な真似して、奴の隙を窺って逃げるが得策なんだろうけど、果たしてそんな隙を見せてくれるかどうか…。
“不可思議なるは、人間界に魔力を持つ者。人間は、魔力を捨てた愚か者であったはず”
まただ。今度は確信した。堕龍の奴。直接、頭に話しかけてきやがる。
“まぁ、よい。我の力になるのであれば、何者であろうとよい”
やっぱ、あたしも餌扱いだよ。
けっ、こっちは既に追い詰められたも同然。先手必勝って言葉もあるんだ。
あたしの後ろの方で、ガサゴソと動く気配。どうやら慎一郎が離れてくれたらしい。
幸い、先程貯めた魔力は、あたしの中にまだある。小出しなんて可愛いことしてらんないからな。でかいの一発、ぶちかますぜぇ!
ぐっと身体を沈めて、両手を胸の前で上下に合わせ、その中に貯めた魔力の全てを注ぐ。真っ白な光が溢れると同時に、手の中から盛り上がる光の珠に変化する。
そいつを押し出すように、堕龍に放つ。一瞬の躊躇もなく、真っ直ぐに堕龍に向かって飛ぶ珠は、寸分違わず堕龍を捉えた。
たくっ、可愛くないったら。堕龍の奴、避けるような素振りもしやがらない。つくづく小物扱いか?
一気に白い光が渦を巻くように広がると、堕龍を巻き込んで四方に広がる。途端に急激な冷気が後を追う。枯れた下草に燃え移っていた炎が吹き消され、パキパキと音をたてて氷付いていく。今や燃え盛る大木も例外なく、炎を掻き消され、氷の彫刻に変えてしまう。
急激な温度変化に、大気も付いていけないのか、激しい水蒸気が上がり、一帯はモンモンとした白の世界に陥った。大木の炎も消えたために、夜の暗さが戻ってきたが、やっと出て来た月の明かりで十分に明るい。
軽いそよ風くらいで、水蒸気の煙は四散していった。
視界が開ける。
あたしの足元手前までが、真っ白な氷の世界に変わっていた。
堕龍は、きっと相変わらずで、その場にたたずんでいるだろうと予想していたが、驚いたことに、奴も真っ白けでやんの。うっそ〜ん。
でも、チャンスには違いない。
ここで、止めを刺せなきゃ、あたしが終わる。
あたしの貯めた魔力のほとんどを注ぎ込んだ冷気は、絶対零度には及ばないけれど、あらゆるものを芯まで凍てつかせることは出来たはず。
となれば、凍りついた堕龍を倒すのに最適な方法は。
両手を広げるように魔力を貯める。大きく深呼吸するようにすると、自然と顔が空を向く。限界まで貯めるには、時間が惜しい。
体内に溜め込んだ魔力を、両手を受け皿のようにして、吸い込んだ息と共に吐き出す。赤い光が手の平で丸くなると同時に火球と化した。
それを頭上に持ち上げ、堕龍目掛けて投げつけた。
火球は、あたしの手を離れた途端に、数倍に膨れ上がり、堕龍にぶつかった瞬間、膨大な熱量を発して辺りを炎上させる。凍った木や草が、解凍されずに蒸発して灰になった。
急速に凍らせたものを強力な熱量をもって熱すれば、どうなるか?
難しいことはわからんけど、確か内部崩壊するんじゃなかったかな?
あれ? 違うか。いいや、確か壊れるんだよ。どんな堅いものでもな。我ながら、いい加減だな。
真っ赤な炎が、辺りを昼間のように照らし出す中、次の手を考えるべく、あたしは再度、魔力を貯めるために両手を握り締めた。
“自ら凍らせておいて、わざわざ溶かしてくれるとは”
熱い空気の中、冷たい声が頭に響く。くっそ、やっぱ、無理か。
紅蓮の炎が、何の切っ掛けなのか、急速に鎮火していく。いや、鎮火じゃない。ある一点を中心に吸い込まれているようだ。
あっという暇も無く、炎は消えて無くなった。
たっくよ。根性悪いよな。
現れた時と同じように突っ立ってやがる。
“魔力の質は悪くないように思えたのだが、所詮は人間界”
けっ。人間じゃねぇっての。
なんて言ってる場合じゃないな。
多少の魔力は、先程貯めたんだけど、これで大きな攻撃はできんな。向こうもこっちの力量を測ったくさいし…。
堕龍が身体をくねらせて前進してきた。
下草が消えて堕龍の全身が確認できるようになった。こいつ、足が無い。
そういえば、堕龍が鬼神界に出現した記述にも、堕龍の足については書かれていなかったはず。もしかすると、こいつ、足が遅いか?
にやっとする間もなかった。
堕龍が大きな口を開けた。
“預かり物を返そう”
頭に響いたかと思った瞬間に、堕龍は紅蓮の炎を吐いた。
げげっ、これって、さっき吸い込んだあたしの炎だっての? やっばいじゃん。
あたしの炎は、自慢じゃないが圧縮すれば石だって溶ける。あいつ、こんなの吸い込んで、無事だったってのかよ〜!
つづく