第六話
堕龍って、あの堕龍か?
まさかねぇ。だって、ここ人間界だよ。間違ったって龍の血族なんかいるわけないじゃん。
いやだねぇ、じいさん。悪い冗談だよ〜。
「あ〜、冗談だと思っておるなら、悪いがそうではないの。確かに龍の血族じゃが、お嬢さんの方が詳しそうじゃの」
優しい笑顔で「良い子」みたいなニュアンスで言うなっての。
堕龍だぞ。軽い話じゃないじゃん。
「マミさん。だりゅうって何ですか?」
起き上がってきた慎一郎がお腹を押さえて戻ってきた。ったく、もう少し寝てろっての。うっとしいな。
「じいさん。悪いが相手が最悪だって。堕龍じゃあたしに勝ち目ないよ。魔力使えたとしても足元にも及ばないだろうね」
堕龍。
その名の通り天から堕ちた龍といわれてるのと、龍の血族から堕ちたとも言われてる。魔学会で学んだことを並べるなら、最悪、凶暴、最強に狡猾ってところかな。
龍の血族の一番下に位置する龍だけど、完全に成長すると本家の龍も凌駕する能力を持つともいわれてる。龍の血族は確認されているだけで五種。神龍を頂点にして堕龍までいるが、その全ては現在では確認されていないんだな。
記録はある。今から百年ほど前、神聖魔界でも翼龍が確認されているし、鬼神界では五十年前に炎龍が目撃されてる。確かに存在はしているんだけど、生態は謎だらけ。他の生物と交わらない。ってか、接触を極力嫌うみたいな性格らしく、近くで確認することすら至難の技。姿を確認できたことすら奇跡って言われてるくらい。
その中で例外なのが堕龍なんだな。
古代の記録から現在まで、堕龍の記録は計二回。鬼神界と天上真界で現れた。堕龍はどちらかといえば積極的に他生物に近づく。って言うより食料にする為に近づく。どうゆう形で生まれるのか確認されていないのに、成長過程は確認されている。比較的樹齢の進んだ木に寄生して、その中で成長するのだけど、その栄養素ってのが問題。生きている生物の体液や魔力や生体エネルギーなんだな。それを自分の身体のウロコから分離、変化した蟲を使い集めるのだ。厄介なのは、堕龍の好むのが人型のそれだということと、堕龍の蟲は人型に入り込むまでは透明に近く、発見しずらいということ。
鬼神界では住民三十人が犠牲となり、堕龍は完全体にまで成長し、二百人以上を虐殺した後、鬼神界の軍勢五百人に退治された。
天上真界では、鬼神界での騒動の後だっただけに、対応も早く犠牲者は五人の段階で、寄生した木を発見し、完全体になる前に退治できた。
退治は出来るだろうよ。そうだなぁ、天上真界の高官クラスなら二人もいれば高等魔術のひとつくらい出来るから、大した苦労はないな。鬼神界の精鋭十人でも可能じゃないかな? 縦横無人な攻めに、誰も追いつけない敏捷性があれば、そう難しいことじゃないだろうな。神聖魔界なら…あたしの親で十分かな?
でも、はっきり言えることは、あたしじゃ絶対に無理!
「なぁ、じいさん。じいさんだって知ってるはずだろ。伝説のソロモン王なんだ。堕龍がどんだけってのは、知らないはずないだろ。あたしじゃ無理だよ。堕龍の前に生け贄を一匹増やすのと同じだよ。頼むこと自体が間違ってるよ」
なんとか納得してもらって、この危険から回避しないと、人間界に来た途端に死んじゃうじゃん。大体、無理難題だっての。
「わしが全盛期なら、わしが始末も付けよう。じゃが、今のわしの力は知れておる。素手なら、この若者にも勝てん」
しつこくじいさんは食い下がる。
「おじいさん。僕は『慎一郎』って名前です。しんいちろうですよ。おじいさんと勝負するつもりは無いですけど、対等に戦うことくらいできますよ」
何で対等かな? ってか、ソロモン王と喧嘩して単なる人間のお前に勝ち目なんか無いつうの。
ああぁ、突っ込み入れてる場合かっての。うっとうしいな。
「まず、あたしはこの世界じゃ魔力使えないだろ」
「え? マミさん、魔女ですか?」
何でお前から合いの手が入る?
横目で睨みつけてやったら、口に手を当てて慎一郎は黙った。
そうそう。良い子だ。
「それについては、解決策がある」
にっこりと微笑むじいさん。いい加減、気持ち悪いぞ。
じいさんは、ローブの中に隠していた右手を突き出すと、人差し指に付けていた赤茶けた指輪を外して、あたしに差し出した。
「ソロモンの指輪じゃ。この指輪をしていれば、この世界からの誓約に縛られることなく、あらゆる力が使えるようになる。受け取りなさい」
って言うけど、それを受け取るってことは、有無もなくじいさんの頼みを聞かなきゃならんってことだろ? どうなのよ、これって。
「銅の指輪ですか? 珍しいですね。でも、銅にしては堅いですね。何か混ざっているんでしょうかね」
あたしが受け取りを躊躇してる間に慎一郎がじいさんの手から指輪を取っていた。
おいおい、只の指輪じゃないぞ。ソロモンの指輪だっての。って説明する気にもならんけど。
「マミさんだと中指ですね。人差し指じゃ、少し緩いみたいです」
あ、そう。あたしは一般人より指細いからな。母親譲りなんだよ。母さんも指が細くてね。あたしより細いんだから。人差し指なんて小指かと思うぜ。冷やかしに「蜘蛛の足」みたいって言ったら、二日ほど家の屋根で過ごすことになったっけ。はは。
あたしは、左手中指に光る赤銅色色の指輪を眺めて、そう思った。
……。
………。
何であたしの指に指輪がある?
えええぇ! 慎一郎! てめぇ、なんてことしやがった!
一生懸命に外そうと試みた。試みたが、一切は徒労だった。
「ははは、無理じゃよ。指輪は、既に新しい主人と認めたようじゃ。よろしくの」
「お似合いですよ。外すことないじゃありませんか。女性の指に指輪をはめるなんて初めてだったんですけど、いやぁ、照れますね」
「てめぇは、一体自分が何したかわかってねぇようだな」
「は? げふぁっ」
変な言葉を残して慎一郎は、今一度あたし達の前から消えた。今度は、派手な破壊音と共に部屋の扉がふっとんで、慎一郎らしき影がその奥に消えて行った。その向こうでガタンガタンと何かが転がる音。
まったく、こんなんで気は晴れないが、あんまり無茶なことしても死んじまうからな。手加減くらいしてやるけど……。なんてこったい。
じいさんがにんまりと笑ってやがる。
地図は慎一郎が見てる。
あたしが見たって、人間界の地名なんてしらないんだから、当然といえば当然。
くそいまいましいことに、指輪を受け取っちまったことになった。何度「無理だ」を連呼しても取り合ってもらえず、挙句に堕龍の潜んでいる場所の説明が始まっちまって、あたしはサジを投げた。
ばっくれて逃げるって選択も出来なくはないよ。でもよ、それって結局、何の解決にもなってないんじゃいってことに気付いたわけ。だって、指輪をもらって魔力を使えても、他世界に繋がる入り口が見つけられないんじゃ、あたしはこの人間界で生きていかなやならんでしょ。んでもって、そこに堕龍なんて物騒な奴が潜んでるんよ。ここで逃げてしまっても、堕龍を退治出来ないとなれば、いずれ合間見えるわけよね。それも、完全体な奴と。それなら、まだ完全体になってない今の方が楽じゃない? でしょ?
結論は本意じゃないけど、気の毒なじいさんの頼みだし、今の状況で人間界の食い物も嫌いじゃない。完全体になるには、堕龍もまだ倍の生け贄が必要だろう。
あたしが期待できる要素は、そこしかないが、今のタイミングを逃すことは出来ない。
「マミさん。もうすぐですよ」
隣に座って、じっと地図とにらめっこしていた慎一郎が、あたしの肩を叩いた。
いかんいかん。眼を閉じて考えていたつもりが、いつの間にか居眠りしてたらしい。ってか、これって乗り物だったんだな。でかい芋虫が人間食ってると思ってたんだけど、違った。
でも、こいつのカタンゴトンってリズムは気持ちいいんだよな。何か、眠気を誘うんだよ。
「次ですね」
慎一郎が、傍らの鞄を膝の上に引き寄せて、あたしの方を覗き見た。
なんだよ。心配そうな顔してんじゃないよ。気弱は運まで逃がすんだぜ。何事も強気。それが運もチャンスも逃がさない秘訣さ。って、今のあたしには、一番似合わんね。
芋虫を降りて、建物を潜って歩き出したあたしの眼には、先刻までいた世界とは同一世界とは思えなかった。
だって、これって自然ってやつでしょ。確かに人家は点在してるよ。でも、それを隔てるのは木々に地面に川に…って、当ったり前っちゃ当たり前なんだけどね。
この世界に来て、初めての深呼吸。うえっ。まだ、完全な空気じゃないな。何か人工的な臭いがプンプンする。
「この辺りは、人工的に植林されてましてね。自然な森は皆無に等しいんです。人間の都合で、成長の早いものや、木材に使えるものがほとんどなんですが、それすら今は使われず放置されて不自然な森に進化してるんです」
あたしの不満面を見て取ったのか、慎一郎が説明してくれた。
なるほどね。人間が手を加えたんじゃ、木々が文句を言うってものだ。自然が正常に機能してないのも頷ける。不満だらけな木々達が、それでも必死に正常化しようと努力してる様が見えるようだよ。けな気っていうのは、こういうのだろうね。
「ここから、少し歩きます。夜明け前には着くと思いますが、大丈夫ですか? なんなら、どこかで休んで、夜明けを待った方が良いのでは?」
「はん。確かに昼間の方が、視界が開ける分にゃ好都合かもな。でも、今晩のうちに後十人も取り込まれたら、それだけで力が倍加されちまう。そうなったら、いくら視界があっても力の差でこっちが不利になるんだよ。今でなくちゃ、意味が無い」
「ですが、相手の出方もわかりませんし、今の段階では警察に応援していただくことも出来ません。危険な奴なら、それなりの準備も必要でしょうし、なにより爆弾ですからね。ヤケになって爆発でもされたら、こっちの身もあぶないでしょう」
「うるさいな。別にお前に戦えなんて言ってないだろ。お前は、案内役でいいの。いいか、あたしが堕龍を見つけたら、出来るだけ離れているんだぞ。完全体じゃないにしても、半端な奴じゃないからな」
余計な心配事を並べる前に、自分の立場をわきまえろ。お前は、下僕だ。
「いえいえ、マミさんが危険ならば、助けないわけにはいきません。マミさんは、僕の後ろで隠れていてください」
……。それでいいなら、苦労はしないけどね。あたしの蹴りで吹っ飛んでしまう奴に何が出来るっていううのかねぇ。
あーだこーだと話しかけて来る慎一郎を無視しまくって、まだ暗い夜空を見上げた。
おおぉ、ここじゃ星が見えるじゃない。オリオン座が見える。ってか、それだけしかわかんないんだけどね。秋から冬限定。
横から慎一郎が指差しながら、白鳥座やら大熊座やらカシオペアとか言うが、あたしには良くわからん。どれとどれを結ぶっていっても、オリオン座以外はわからんっちゅうの。
あ、忘れてた。大事なことだ。
ソロモンの指輪を貰ったのはいいが、本当に魔力が使えるかは、試してない。これをしておかないと、大事な本番で、魔力を使った途端にピカゴロドカンじゃ洒落にならん。
歩く足を止めず、あたしは軽く眼を閉じる。右手を軽く握って中に空間を作る。後は簡単。
手のひらを熱い物が走ると同時に手を開く。途端にボッと手のひらサイズの炎が現れる。五歳の子供でも出来る簡単魔術。
あたしは空を見た。大丈夫。満天の星ですわ。ソロモンじいさんは、嘘をついてない。
あれ? 慎一郎がいない? って後ろか。
「なにしてんだ? 道案内が後ろにいたんじゃ、役立たずだろ」
「マ、マミさん。て、て、手が燃えてます!」
あ〜、そういうこと。人間って魔力捨てたんだっけ。そりゃ、直に炎を手で持ちゃ、大変だわな。けどな、これはあたしの手を離れるまでは、炎の形をしてるだけなのさ。だからこうして
「あっちゃ〜! あちゃ、あちゃ!」
な、お前の足に投げた途端に熱を吐く。
「こ、殺す気ですか!」
「そんなんじゃ死なないよ。精々が火傷くらいだろ。さてと、遊んでる間に、大分近づいたみたいだな。肌にビリビリくる」
「え? あぁ、そうですね。おじいさんの地図では、この山の頂上付近でしょうか」
山ね。なんだか小高い丘って感じだけど、木々がうっそうとしてるから、でかい山に見えないこともないか。
ただ、ここは廻りとは違う山だ。木々が整然と並んでないし、ツタのある草や大きな葉を広げる身の丈ほどの植物も多い。何より、木々の年齢が若くない。どれも皆、百年は軽く越えるものたちばかりだろう。
ここは、自然の森だ。人間が介入してない。
なるほど、ここなら堕龍が好む木がありそうだ。異質な感覚が、あたしの産毛をチリチリ焼くような感じがする。
急ぐわけでもなく、一歩一歩を踏みしめるように近づく。っていうか登る。
不意に視界が開けた。下生えの草が枯れている。大木とまではいかない木々が、見るも無残に横倒しになっている。へし折られたのではなく、枯れ果てて自分を支えられなくなったのだ。地面を盛り返し木の根がむき出しになっている。
その中央。一際大きい木が立っている。あたしの身の丈ほどで大きく二股に振る分けられた幹が大きな笠を広げたように枝と葉を茂らせている。しかし、その葉は今にも落ちそうなほどに茶色く変色しているのは、この木も寿命が短いことを物語っている。
幹の二股付近。そこが異様に盛り上がっているのは、あたしの気のせいではないよな。
「慎一郎。下がってろ。ご対面の時間らしいや」
間違いない。あの瘤に、堕龍はいる。
つづく