第五話
ソロモン王。
人間界において、否、全世界において四大元素を解明した、唯一無二の存在。いかな魔人であっても四大元素のひとつにまで迫れた者はいない。その力は絶大で、あらゆる自然と調和し、あらゆる外敵を跳ね除け、世界の理を超越するという。
なんてそれらしいことを魔学会の先生が言ってたっけなぁ。
公園ってところで話すのは、あたし的に不利だということと、ソロモンじいさんの正体が露見したことで、じいさんが身を隠す必要もなくなったんで、あたし達は慎一郎を呼び戻し、慎一郎の家に会談の場を移すことにした。
その道すがら、慎一郎があたしの口走りそうになった「しん…」ってのが聞こえたとか言ってきたけど、あえて無視。だって、不覚にも自分の危機的状況になったからっていって、その日に出会ったばかりの男の名前を口にしようとしたなんて、恥ずかしくて言えるかよ。
慎一郎の家ってのは、四角い建物の中の三階部分のことらしかった。狭いって文句言ったら「これでも広いんです」だって。聞いてびっくり。この四角い建物の中には同居人がいて、総勢十人なんだそうだ。家を共同で住むって、おかしくない?
なんて余談はどうでもいいんだ。とにかくソロモンじいさんと話さなくては。
「おじいさんは、何を飲まれます? マミさんはコーヒー以外のものですよね?」
部屋の照明を付けて慎一郎は飲み物を用意するべく、奥の方へと消えて行ったが、声だけをこちらに寄こした。
コーヒーって、あれだろ? 飲んで苦かった、あれだよな? そんなもの出してみろ。生きてることを後悔させてやる。
「わしは、ワインでもあればいいんじゃが」
おお、じいさん。ワインとは、いける口だね。え? ワインがわかるのかって? そういやぁ、人間界では知らない物ばかりだったけど、ワインはわかるよ。果実から作った、飲むと気持ちが良くなる飲み物だ。起源は随分と古いもので、世紀をまたいで世界で広く楽しまれてる。って、どうでもいいけど。全ての世界にあるよん。
「あたしもワインでいいや」
鬼神界で飲んだワインは、黄色い果実から絞ったもので、すんごく甘くて旨かった。この人間界ではどうだろうね。
「マミさんは未成年ですから駄目ですよ。飲むならぶどうジュースにしてください」
未成年って何だ? まぁ、苦い飲み物でなけりゃ、何でもいいけどね。
それよりも、話はそんなことじゃないんだよ。あたしとしては、このソロモンじいさんに聞きゃ無きゃならないことがある。もちろん、この世界からの出口ですがな。
「なぁ、ソロモン王」
まぁ、一応、敬意は表さないとな。
「あたしの世界を知ってるってことは、入り口も知ってるってことだよね?」
「なんじゃ、そんなことかの。そりゃ、知らんことはないが、教える気はないの」
え? 今、教える気が無いって言ったか?
「おいおい、あたしは、あんたからすれば厄介な異世界人だろ? それが、素直に自分の世界に帰ろうってんだよ。何か問題でもありますかね?」
ふふん、と鼻を鳴らすソロモンじいさん。ってか、じいさんってば若返ってないか? やっぱり先刻は大分芝居が入ってたのか。今じゃ背筋もピンとして、背丈も慎一郎よりは低いが、発する威厳っていうか、オーラみたいなものは半端ないくらいに強い。
「よいか、夜の女帝にして美の女神オンダンの娘よ」
ありゃりゃ。母さんもご存知で? これは参りましたね。下手するとこのじいさんと母さんがグルって縮図も描けるか。
「これからわしの頼みをきいてくれるのなら、考えんでもないがの」
にやりと笑う表情のいやらしいこと。わかってるんだろ? あたしに選択権なんてないってこと。つまりは「帰りたいんなら、言うことをきけ」ってことだろが。
まったく汚い取引だよ。ってか、取引にすらなってないか。
「仕方ないってのはこのことだよな。いいよ、受けてやろうじゃない。でも、こっちの質問にも答えてもらうのが条件だけどな」
そう言った時のソロモンじいさんの顔は、少しくらい真面目な表情になるかと思ったが、にこやかな顔をより一層笑顔にしてうんうんと頷くだけだった。
何か見透かされているようで気持ちは良くないね。まして答えるなんていっても、本当のことを話すとは限らないってのも確かだしね。
その時になって慎一郎が飲み物を持って現れた。あたしにはデカイコップに宣言通りぶどうジュースを持ってきやがった。もう片手には瓶をぶら下げていたが、それって何だ? 瓶の色すら定かで無いほどホコリにまみれて、中身すら見えやしない。大丈夫か、それ?
「いやぁ、ワインなんて飲むことないんで、確か数年前に貰ったのが棚の奥にあったと思ったんですけど、どうやら年代物になっていたらしいです。旨いですよ、きっと」
きっとって、お前…。まぁ、あたしが飲むんじゃないからいいけどね。
いそいそと瓶の蓋を開けるのはいいけど、なんか泡が出てないか? ワインだよな?
「な、なんかカビ臭いですかね?」
なんかじゃなくて、完全にカビ臭いっての。悲しい奴だな。
「いえいえ、これくらいが飲み頃ですよ」
って、ソロモンじいさんってば飲む気満々ですか? ありえんでしょ。
「昔のワインは、全てこんなものでの。瓶の中で自然発酵させるもんじゃから、熟成がマチマチでの。それでも、うまいワインばかりじゃった」
細かい気泡が浮くワインをめでながら、ソロモンじいさん一口付けた。
「んん〜。酸っぱいが、いい味じゃ」
ほんとかよ?
まぁ、いいや。そんな話じゃないんだから。本題に入らなきゃ。
「けど、全能なるソロモン王が、何であたしなんかに頼み事なんだ? 自分でやった方が早いと思うけど」
あたしが急に話を戻したもんだから、じいさん、持っていたグラスを揺らすのを止めて、静かにテーブルに置いた。慎一郎が「ソロモンおう?」なんて声を上げたが、あえて無視。
「先刻も言ったが、相手が姑息でな。わしの気配で判るらしく姿を現さん。それだけでなく、相手はあの蟲を使って力を貯める奴での。若者の体内から生き血とある種の生体エネルギーを奪って飼い主のもとに戻る。その力を今溜め込んでいるんじゃと思う。するとじゃ、力を十分に蓄えたそいつは、わしの力も及ばないものになるやもしれん」
「そいつって、おじいさん。犯人がわかってるんですか?」
慎一郎が合いの手を入れたが、あえて無視。
「ソロモン王といえば、神聖魔界実力者ベリアルを操るほどの偉人だって習ったぞ。今の話では、到底そんな凄い実力があったとは思えないんだけど」
「え? ベリアルってダンテの戯曲に出てくる奴ですか?」
またも慎一郎が合いの手を入れた。が、ソロモンじいさん、一瞥くれただけで無視。
「この世界はの。魔法というものを捨てた世界なんじゃ。わしの思い違いだと言っていい。人間は魔法を捨てれば自然と共存し、その力も借りて繁栄するはずじゃった。だが、魔法を忘れられん一部の錬金術師達は、科学という道を見出した。しかし、科学は自然と共存することが不可能なものでな。あらゆる生命を犠牲にして、人間のみが繁栄するという歪曲した手段であるにも関わらず、気付いた時には全てを失った後じゃった」
「魔法ですか? お伽噺ですね〜」
いちいちうるさい合いの手だな。でも、あえて無視。
「全てって、ソロモン王。あなたは使えてるじゃん。矛盾があるぞ」
「わしには既に力はないのじゃよ。太古の昔、わしは四大元素の全てを理解した。それは使うとか得るとかいうものではなかった。表現はしづらいが、力というものでも無くての。波動というか、ある種のエネルギーじゃな。それを貸してもらうだけじゃ。今では、自然界そのものが希薄であるために、そのエネルギーすら微弱での。わしを守ってくれるだけで精一杯なんじゃ」
「四大元素? あの密教とかの地水火風ですか? 道教あたりでは木も入って五行なんて言うんですよね」
段々うっとしくなってきたか? でも、まだあえて無視。
「じゃ、ソロモン王には、何の力も無いと?」
「そうじゃ。わしには元から力など有りはしない」
ソロモン王は、力なくうなだれて見せた。しっかしなぁ。信じられるわけがないし、芝居は得意そうだからねぇ。
大体、齢何千歳だ? ベリアルが没して既に二千年以上。それに近い歳か、それ以上だよな。確か人間界の住人て、短命だったんじゃないか? そう習ったような。もしかするとべりアルに寿命を延ばしてもらったかも知れないが、千年は無理だ。あたしらのような種族でも数百年生きる者はいる。しかし、千年単位では無理だ。肉体の方が維持できない。
なのにソロモン王は…。
「騙すには無理があるなぁ。ソロモン王が今年でいくつになるかは知らないが、二千歳はとうに越えたはずだ。それを力も無い人間が生きられる年月とは思えないがね」
「二千年? 二千って二世紀ってこ…」
慎一郎が言葉の途中で消えた。と同時に遥か向こうで破壊音。って、あたしが蹴ったんだけどね。いい加減、うっとしいを通り越したんだよね。
「う〜ん、お嬢さんが納得してくれんのは残念じゃが、本当のことよの。四大元素のもたらす力なのか、わしは常にこの世界から守られておる。その昔、ベリアルと世界を席捲したこともあったが、その時はこの世界の自然も豊かで四大元素もすばらしい力を見せてくれた。本来であれば、この世界の秩序を壊したわしに生きる権利などない」
「だけど、四大元素はそんなじいさんを生かしていると」
あたしはソロモンじいさんの後を引き取った。なんか泣き落としに合ってるみたいで、気持ち良くない。
「つまりは、なんの因果か四大元素は、この世界を壊す切っ掛けを作ったじいさんを、恨みに思ってか死なせないようにしていると」
「そんなところかもしれんの」
はぁ〜って大きな溜め息は、あたしだったか、じいさんだったか。
このじいさん、この人間界そのものに恨まれてるってことか?
でも、それって意外な恨まれ方だよな。普通は殺してやりたいほど憎いってなもんだろ。なのに憎いから死ねないようにしてやるって、ある種異様な形の報復だろ。死ねないってのは苦しいかどうかはわからないけど、永く生きるってのは苦しいかもな。終わらない人生。終わらない明日。ちょっと寒いかも。
「まぁ、いいよ。べつにじいさんの人生に興味があるわけじゃないから。でさ、この世界からの出口なんだけど」
「それは教えられんの」
あっ、やっぱり落ち込んだのも芝居か。即答はないだろうよ。
「まだ、わしの頼みを聞いておらんじゃろの」
じゃろのって。あのね、あたしに何をさせたいの?
じろって感じで睨んでやったけど、齢二千歳にゃ赤子の泣き声程度だろうな。
「蟲の飼い主を退治して欲しいんじゃ」
やっぱりな。話の流れで、今のじいさんには力が無いってことは事実だろう。つまり襲われて身を守ることはできても、自分から攻撃することは出来ないってわけだ。結果、自分とは別の力をを必要としたわけだ。
ン? 待てよ。これって四大元素にとっては良いことなんじゃないか? だって、自然を壊してる人間そのものを駆逐してくれてるわけだよな。人間が排除されれば自然界も元に戻る可能性が高い。なら、そいつをやっつけるのって四大元素の恨みを買わないか?
「考えてることは分かるの。この世界だけでなく、他世界もそうじゃが、四大元素は誰の味方でもあるんじゃ。秩序を乱さぬ限り見捨てることはない。限りない慈愛の存在なのじゃ。じゃから、この世界で秩序を乱す者を排除したいが力が足りん。それでお嬢さんに白羽の矢が立ったわけじゃ〜」
じゃ〜ってね、大袈裟に両手広げなくてもいいっての。
四大元素は世界の調和を好み、乱すものは排除したいってか。すると殺す行為は排除じゃないか? あたしらが食べるために殺すのも、景観のため木を切るのも許せないはずじゃないか。
「弱肉強食は世界の法則じゃ。だが、力のための傍若無人は許されんというわけじゃ」
あたしの疑問をぶつけると、じいさんはあっさりとだ代弁した。
あ、いつの間にかじいさんになってるけど、いいよな。
「で? あたしに倒してほしい奴の正体ってのは?」
こうなったら仕方ないよな。聞くだけは聞いてやる。やるかどうかはわかんないけどね。
「それがの。言い辛いんじゃがの」
なんだよ。もったいぶってんじゃないっての。人間界にいるのって、大半は知らないけど大した奴いないでしょ。だって魔力使えないんだから、大したことないって。
「お嬢さん。堕龍って聞いたことあるかの?」
だりゅうだって。へんてこな名前だねぇ。まるで龍の血族みたい。笑っちゃうっての。伝説の龍の血族って……。
「だりゅうだ〜!?」
あたしの叫びは、きっと凄い音量だったんだろうな。だって慎一郎が目を覚ました。
つづく