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夢幻妖女  作者: 天中涼介
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第一話

 あたしの眼の前に巨漢が立ちはだかっている。

 そりゃ、もう、真っ赤な形相で、憤怒の面持ち。

 赤鬼か? そうでなきゃ、赤い瓢箪ひょうたんかね。笑えるねぇ。

魔美まみ。今日という今日は、どうなるか分かっておろうな?」

 ドスのきいた低い声だが、地響きでも引き連れてきそうな怒りがこもっているのは、あたし以外が聞いたとしても確かだろ。

 でも、怖いなんて思わないね。

 馬鹿じゃない?

 あたしは巨漢を真正面から睨み付けた。

 こいつは、あたしの親父。生まれたときから怒られてるんだ。今更、赤鬼の真似したって大した事じゃないね。

 ましてや、あたしは可愛い一人娘。怒ったって、小言のひとつくらいでいつもお終いなんだから、もったいぶって本気の振りしなくていいっての。

「わしが本気で怒らないと知ってる顔つきだな」

 あたしがビビらないのを理解したのか、親父はふって溜め息で赤ら顔を白くした。

 あったりまえじゃんよ。あんたが今まであたしに手を上げたことでもあったっけ? 出来ないよね〜。可愛いもん、あ・た・し。うふっ。

「まぁ、いいさ。わしが怒っても、お前に効き目が無いことは先刻承知しておる。だがな〜」

 そこまで言って親父は言い澱んだ。

 なんだよ? はっきり言ったらどうなんだ? 可愛い娘は怒れませんて。

「今回は、わしだけじゃないからなぁ。お前、あいつのご機嫌取りなんて出来るか?」

 おいおい、なんだよ。その哀れみの目線は。あたしは別に可愛そうな立場じゃないよ。どちらかといえば、晴れ晴れした気分なんだから。変な事言って不安にさせるなよ。

「はぁ。溜め息しか出んな。お前、今回の事は、あいつが持ってきた話だぞ。今、先方に謝りに行っとるが、あいつに恥をかかせることになっとるが、それを承知でいるのか?」

 なに? 今、何か聞き捨てならんことを言ったか?

「ちょ・ちょっと、待て。あの話は、親父が持ってきたんだろ?」

 我ながら情けない声が出た。

「なんだ? 知らなかったのか? 馬鹿な奴だな。あいつの仕事場の同僚がな、年頃の息子さんがいて、どこで見初めたか知らんが、お前を気に入ったそうだ。直接も何なんで、あいつに相談がきたそうだ。わしの口から言ったのは、あいつからだとお前が断るにしても、気兼ねするんじゃないかっていう気遣いだったんだが。裏目に出たな」

 にやっと笑うなよ。まったく。

 そうと知ってりゃ、もうちょっとうまくやったのに。

 あたしはムクれて地べたに胡坐をかいて座り込んだ。

「でな、あいつから伝言でな、お前の今回のお仕置きなんだが…」

 親父は、またもや言い澱む。

 いいから言えよ。前は何だっけ? 半月の外出禁止と教科書一冊の書き写しだったっけ? それ以上ってことは、今度は一ヶ月の外出禁止か? 別にそのくらい大した話じゃないけどね。

「良く思い付くもんだ。お前も今度ばかりは命が掛かるぞ」

 え? 命って、そんなハードな話なの? 悪い冗談…なわけないか。あの人が考えることだ。悪趣味極まりないんだろうな。

 ってことは、こうしてる場合じゃないってことか?

「いやぁ、なんたってあいつの思い付くこととはいえ、はっきり言って完全なサディストだろ。それがだよ…って、おい! どこへ行く!」

 親父の話なんて聞いてる場合かよ。あの人が決めた罰なんて、謹慎なんて可愛いもんじゃない。幽閉とか隔離とかに名前が変わるに違いないし、それすら可愛いかもしれない。

 あたしがまだ十歳だった頃、自宅から何十キロも離れた山に捨てられたことがある。自力で帰って来れなきゃ許されないってんだから始末に悪い。十歳だぞ? 山にゃ猛獣だっていたんだ。泣くにも泣けず、ただただ三日歩き続けて帰り着いてみりゃ、夫婦そろって旅行に出てる始末。自宅の玄関で初めて泣いたね。

 友達の家に泣き逃げ込んで五日。涼しい顔で帰ってきた両親に言ったね。『娘を放って旅行なんてしないで』って。そしたらあの人『あら、これも罰の一環よ』だって。

 十歳の子供に、そこまでするあの人が、十六にもなるあたしに用意する罰は想像を絶することに違いない。

 逃げねば、逃げねば、本当に命に関わるぞ。

 あたしは長い廊下を一直線に駆けて、突き当りの窓を蹴破った。派手な音があたしを追いかけるように木霊する。

 遅い遅い。破片が散らばるころには、あたしの身体は二歩も先を走ってるっての。

 持久走に自信はないけど、ここから離れるくらいまで走る、イコール、あの人の手が届かないところまで逃げるくらいはワケない。今のあたしは十歳じゃないぞ。頭だって相当に回るんだ。ほとぼりが冷めるまでは、友達の家でも回って暮らすさ。

 いつまでも子供だと思うなよ!

 庭の雑木林を突っ切って、道路にまで出る。このままじゃ、帰ってくるあの人に鉢合わせしかねないから、そこから外れて街道沿いの風防林に走り込む。下生えの草が邪魔臭いが、あたしの走る速度を落とすほどじゃない。

 けけっ。悪いけど、スピードなら誰にも負けない自信あるんだよね。並みの足じゃあたしに追いつけませんって〜の。

 風防林を駆け抜け、大通りを目指す。

 いくらあの人だからって、人前であたしをどうこうしようなんて思わないだろ。なんせ外面だけは天使みたいなんて言われてるんだ。その仮面の下に悪魔より恐ろしい素顔があるなんて、家族以外には見せらんないって。

 今回は楽勝ですな、うぷぷ。


 なんてことが甘い考えだってことに気付けないところが、あたしってまだ子供?

 あの人があたしの考えてることを読めないわきゃないんだよね。とほほ。

 だって、もう少しで大通りに出られる路地だっていうのに。

 居るじゃん。両腕組んで、モデル立ちして、斜め四十五度目線で、あそこに立ってんじゃん!

「あら、魔美ちゃん。奇遇ねぇ、こんなところで会うなんて。何か急いでるのかしら? 走ってきたみたいだけれど」

って、白々しいこと言ってくれちゃうんだ。

 たぶん今のあたしってば、ものすんごく情けない顔してない? てか、泣きそうな顔してない? 親に見つかって怒られる子供が、泣きそうってのも当然でしょ?

「み、見逃してくれよ〜」

 なんて情けない声で言ってみたんだが、無理だよね?

「うふ、無理って知ってるんでしょ? だったら、無理を通すこと考えたら?」

 妖艶な笑みってのは、この人の為にあるのかってくらい艶かしい。って娘に向ける視線じゃないだろ。

 見つかっちまったんじゃ仕方ない。三十六計何とやらだ。わかんない人は親か先生に聞いてね。

 脱兎の如く踵を返して、元来た道を逆走して逃げる。

 つもりだったんだけど、何故かあたしの足は空を蹴った。

 しまったって思った時には、あたしの身体は半分まですっと落ち込んだ。落とし穴かよ。なんとか穴の縁に掴まったんだけど、何これ?

 必死になって腕を踏ん張っって、頭までは脱出したんだけど、穴の底を見て二度びっくり。そ、底が無いやん! 嘘でしょ? 真っ暗な空間が底すら写さないってんじゃない。本当に底が無いの。薄く光ってるように見えるけど、それが底ってわけじゃなさそう。もっと、下があるんだろうと思える。

 こんなところに落とされたらどこまで落ちるかわかんねぇじゃん。冗談じゃないっての。

 両腕に力を込めて勢いをつけて一気に上半身を穴から出す。はずだったのにぃ〜。

 あたしの眼の前には、ハイヒールの靴底が見えてる。で、あたしの頭に鈍痛ってことは、あたし、頭蹴られたのぉ〜?

「往生際が悪いわね。観念なさい」

 あたしの視界には小柄なハイヒールの裏しか見えないけど、あの人の声がする。きっと薄ら笑いなんだ。こんな状況で、この人が楽しくないなんてないもん。

「ちょっと、待って。こんなどこへ落ちるかもわかんないとこ嫌だ!」

 必死の抵抗。虚しい抵抗だってわかるんだけど、そんなこたぁこの際無視。隙を見つけて助かる算段しなきゃ。無理かもしんないけど。

「世の中には、いい加減にしなさいって言葉があるの。うふ」

 うふって。うふって言って蹴るのかよ。

 ガンって音が耳の奥まで響いたじゃんか。でも奇跡だ。あたしの指は穴の縁に掛って、辛うじて落ちないで済んでいる。でも、喜びもつかの間なんだな。

「しぶといわねぇ。そのしぶとさに免じて、今回は許してあげましょ」

 穴の縁を覗き込むようにしゃがみこんで頬杖をつく仕草は、男なら参ってしまいそうな可愛さと色っぽさを兼ね備えているって思うんだろうけど、今のあたしは吐いたセリフが重要。

「やった、引き上げて。もう、落ちそう」

 許してもらえるんなら、なんでもいい。この状況から早く脱出したい。

「なんて、言ったら喜ぶんでしょ?」

 あっ?

「今回はね、さすがに無理ね。だって、このあたしが人前で頭を下げて謝ってきたのよ。こんな辱めは受けたこと無いわ。だから、しばらくあたしの視界から消えてくれる? 出来れば一年くらい。気が向いたら迎えに行ってあげるから」

 にこって笑って酷なこと言うな〜。一年も視界から消えろって、追放ってことじゃねぇか。あたしが、そんな悪いことしたのかよ。

「その穴の中は、人間界ってところに繋がってるわ。がんばって生き抜いてね」

「ちょ、ちょっとまて〜! 人間界って、そんな…」

 あたしの言葉は最後まで言えなかった。あの人の姿がすっと立ち上がったかと思うと、僅かに引っかかっていた指を爪先で弾いた。

「うふ。じゃぁねぇ」

 妖艶と手を振る姿が遠ざかっていく。自由落下の途中であたしが叫ぶ言葉は

「かあさんのばっかやろう〜」

くらいが精一杯だったのは仕方ねぇじゃねぇの?




                   つづく


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