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6、障魔襲撃

 その夜は空腹で眠れなかった。空腹だけではない。ダイガンの面談を受けたり、学校で起こった謎めいた出来事などを聞き、ユーキの頭は冴えてしまっていた。

 結局朝方に深い眠りについてしまった。その後、目を覚ましたのが遅刻の確定する時間帯だったのである。

「わあ! 大遅刻だ!」

 朝食の時間もとっくに過ぎ、ブロウもいなく、大急ぎで制服に着替え、並木通りを走って学校にたどり着いたが、学校の雰囲気がいつもと違っていることに、大慌てにも関わらず気づけたのは、それほど学校に何らかの異変があるということだった。

 朝食の時間もとっくに過ぎ、ブロウもいなく、大急ぎで制服に着替え、並木通りを走って学校にたどり着いたが、学校の雰囲気がいつもと違っていることに、大慌てにも関わらず気づけたのは、それほど学校に何らかの異変があるということだった。

「どうしたんだろう? この雰囲気……」

 暑さと寒さが同居したような空気を感じる。金属に触れば静電気が走るような、しかし湿っぽく、汗をひっきりなしにかくような感覚でもある。学校からは普段の生徒たちの賑やかさがこの異様な雰囲気によって、無の中へ呑み込まれてしまったような感じがする。すでに授業の時間だが、全員が教室の中にいるその人気のなさとは違い、ただならぬ空気感が立ち込め、外から校舎を眺めていたユーキは妙に落ち着かなかったのである。

 突如、生暖かい風が吹き荒んだかと思うと、旋風の中で回る木葉に包まれながら、ムニが現れた。

「ムニ!」

 ユーキは彼女と顔を合わせるたびに感じていた、真綿で胸を締め付けられるような思いを、ぐっと奥へ押し込んだ。

「ユーキさん、学校が大変な事に!」

「何があったの?」

「学校に障魔が現れたんです」

「ええ!?」

 ユーキは耳を疑った。

「四つの学年ほとんどの皆さんと先生方が、障魔にやられてしまって……。今は残った方々と一緒に、障魔と戦っています」

 ユーキは血相を変えて、ムニと一緒に校舎へと入った。

 昇降口には、生徒が数名倒れ、また、廊下や教室のところどころにも、倒れている生徒が何人かいた。各自、戦闘を余儀なくされたようで、常日頃、誤って事故を起こさないようイムイスの効力を弱める、黒いマントを脱いでいた。

「これは……、ひどい。皆まさか死……」

「いえ、どうやら障魔に精力を抜き取られ、昏睡しているようです」

「昏睡?!」

 人は体内に、生きていくための力となるイムシンを宿している。

 障魔の生体を研究する障魔特別研究機関がイムシン教内に設置されており、討伐の貢献に一役買っているが、未だになぜ障魔が人を好物とするかは謎に包まれていた。単なる肉食という見方も強める一方で、機関は研究に心血を注いでいた。

 イムシンは、生気そのものに近い力で、精神を包みながら、奥底でもそれを支えている。障魔はもしか、人のイムシンを好物とする見方も機関は強めていた。

 イムシンを必要以上に抜き取られてしまうと、人は昏睡状態に陥ってしまう。障魔は肉食獣で、人を喰らいもするが、種別によってはイムシンのみをお目当てにしてくる障魔もいる。外傷もほとんどなく、精気のみを吸収された場合、個人差があるものの、数週間は寝込んでしまう。そして人により眠ったまま生涯を閉じてしまう場合もあり、障魔が恐れられている理由の一つだった。

 ユーキにとって、障魔が校内を徘徊するさなか、生徒達の正気を喪失した体を気にかけながら戦う事は、自身の現段階の技量としてはレベルの高い戦いになることは間違いなかった。

 ユーキとムニは自分達の教室までやってきた。

 教室の廊下を挟んだ手前は、使われていない教室があり、教室の廊下側の壁には水呑場がある。

 ユーキは自分の教室の中を垣間見ると、あちらこちらでクラスメイトが倒れ、意識もなく横たわっているのが見えた。ユーキはマントを脱いで床に放り投げた。ムニもすでにマントを外している。

「どんな障魔なの?」

「下級障魔に位置する、”シタターグ”という液状の障魔です」

「それはまた厄介そうだな……」

 ユーキが教室に来るまでに目に映った光景は、まるで死死累々の地獄のような世界に近く、彼は今の自分の非力さに現況を投げ出したい衝動に駆られた。

 下級障魔は一般人でもようやく倒せ、イムイス使いでも討ち果たすことができる部類だが、彼らイムシリア校の生徒でも、イムイスは修得のおぼつかない段階なので、苦戦は必至である。

 しかし、今ここで全てをほったらかしにしても、自分には何の得にもならない。ユーキは心でベルトをギュッと締めたような気持ちになった。

 現実は現実。そして自分は自分だ。自分らしく自分のできる事をしていくしかない。ダイガンの昨日の励ましも、そう言っていたに違いないのだ。

「下級障魔なら、弱点みたいなものも、すでに把握されているはずだよね?」

「はい。シタターグは、炎系のイムイスで大幅なダメージを与えられると聞きます」

 一般人でも辛うじて倒せる下級障魔は、下級が故、研究も進ませやすいため、習性や弱点など、イムイス使いの管理下では掌握済みだった。

「剣とかの攻撃はどうなのかな?」

「多少のダメージは与えられるようですが、液体に近い外皮を持っているので、イムイスでダメージを与えていった方が無難じゃないでしょうか」

 イムシンを解放しないと、やはり障魔は倒せないようだ。ユーキは尻込みしつつムニヘ告げた。

「ごめん、ムニ。僕、イムシンが解放できなくて、僕じゃ到底勝ち目がなくて……」

「大丈夫ですよ、ユーキさん」

 ムニは婉然と笑顔を見せた。

「皆で協力して戦えば絶対倒せます!」

 ユーキは今のムニの発言が、過去にユフィーネが言っていた物に似ていると想到した。

 彼女は本当にユフィーネなのだろうか?

 ユーキはとっさにその考えを打ち消した。今はそんな思考に浸っている場合ではない。

「そうだよね。皆で協力すれば、何とか……」

 急にユーキの背後の水呑場から、異質な音が聞こえてきた。蛇口が唸り声を上げているようで、何かが滴り落ちている。

 ユーキが水呑場に近寄ると、蛇口の直下に垂れた液体を発見した。次から次へと泥や藻にまみれた汚水のような色をした液体が蛇口から垂れてくる。

 やがて液体は一塊になった。円盤のように人の肩幅くらいに小さく広がりながら、ふちは波打っている。中心部分は少し盛り上がり、そこにはその得体のしれないなにがしかの内蔵なのか、管や臓器のような物が見えていた。

 液体が動き出した。ナメクジが葉にくっついているように、ぬらぬらとした動作だが、ナメクジよりは格段に早く動いている。

 ムニもそれを目撃した。液体は素早くユーキに被さろうとしてきたが、ムニがユーキを庇うようにそれを避け、二人は床に倒れ込んだ。

「ムニ……!」

 女の子の温もりをこんな時に感じ、ユーキはちょっぴり気恥ずかしくなってしまった。しかし、そんな余裕をこいてる場合ではなく、ムニもユーキも、襲ってきた物体を凝視する。

 水呑場から廊下の床に着地したその物体は、中心点の盛り上がった部分を徐々に上へ伸ばしていった。何やら顔を形作っている。ついには目と鼻と口を形成させ、じいっとユーキ達を見つめているようだった。

「こいつがシタターグ……!」

 ユーキは肉眼で久しぶりに見る障魔に目を丸くした。

「気をつけてください。こいつは人の顔を狙ってきます。口から精力を吸い取ろうとするのです」

 ムニはユーキの顔の近くで囁いた。二人は床に倒れていた状態から中腰になり、シタターグの次の一手を見計らう。

 シタターグは顔らしき部分を八方に広げながら、ユーキ達目掛けて襲ってきた。

 すかさず二人はそれを躱し、教室へと逃げ込んだ。二人が左右に分かれたのを追尾するかのように、シタターグの水面のような体は恐ろしくきびきびとし、教室に侵入しながら両側へ広がっていった。

 ムニの肩から上へと灰色したイムシンが激しく湧き出て、彼女は片手を手前に突き出した。

「ファーツイ!」

 炎属性のイムイス、ファーツイを唱え、火の玉が手から飛び出す。

 連続して三発のファーツイが発射されたものの、シタターグは嘲笑うかのように三発全てを回避した。

 ユーキも教室の隅に放置されていた授業で使う誰かの剣を持ち出し、シタターグに切り掛かる。

 しかしシタターグは、切り付けられた体を分裂させて、プルプルと体を震わせているだけだった。分裂させたシタターグの一部は、兎のように跳ねながら、ユーキの顔目掛けて襲ってきた。

 瞬間、誰かがイムイスを唱えた。

「オルゴス!」

 シタターグは、氷属性のイムイスをかけられ凍りついた。ユーキはイムイスを放った人物の方へ目をやった。

「ラビーユ!」

 イムイスで助けたのはラビーユ達だった。彼女は教室の入口から、イムイスを放ったようだ。その隣にはブロウもいる。

「ブロウも無事だったんだね!」

 ブロウ、ラビーユは、近くで氷塊と化したシタターグを避けながらユーキに近寄って来た。

「ああ、なんとかな。他の奴らとは散り散りになっちまった。このシタターグって奴、体を校内に分散させてるみたいだぜ?」

 ラビーユは、氷結したシタターグを横目で見ながら、

「氷イムイスは、動きを封じるだけ。時間が経てばまた動き出すよ」

「そうか、オルゴスで動きを固めればよかったんですね。盲点でした」

 ムニは頭を自分で小突き、舌をちょろっと出して微笑している。

「ふうん。優等生の割には、意外と気づけなかったんだね、ムニさん」

 ラビーユが突っ掛かる。

「すみません。優等生だなんて、そんなことは……」

「フン。そうやって謙遜してんのも、優等生まんまじゃん」

「ラビーユ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないよ!」

 ユーキがムニヘ敵意に似た感情を出すラビーユを叱った。

「ご、ごめん、ユーキ。あたし、ユーキに認めてもらいたくて……」

「ラビーユはもうイムイス使いの候補生としては立派だよ。絶対にイムイス使いになれるから大丈夫だよ」

「いや、そういうことじゃなくて……」ラビーユはユーキの言にどこか不服な様子だった。

「おい、見ろ! 窓の外!」

 ブロウの掛け声に、全員窓の方へ視線を向けた。

 小さなシタターグが数匹、窓の外側に張り付いて、こちらを覗いている。

 四人は教室から飛び出し、走りながら話していた。前方にラビーユとム二、後ろにはユーキとブロウがいた。

 ユーキは前を向くムニを見て、

「みんな元に戻るのかな?」

「恐らく、シタターグが皆さんのイムシンを内包しているので、核となるものを倒せば、皆さんのイムシンが解き放たれ、持ち主へと戻るかもしれません……」

 ユーキはそこらかしこに横たわる生徒に同情せずにはいられなかった。自分が役立たずでありながら、生き残れていることに対して少しも喜べなかったし、自分がこうして同情するのでさえ、躊躇してしまう状況にいるような気がした。

「優等生さんのありあまる知識にしては、なんだか頼りないね」

「おいラビーユ、やめとけって。ムニ、こういうのはどうだ? 障魔にイムシンだけを喰らう奴がいるってのは、俺達も授業で覚えさせられた。さっき教室で、俺達に群がってきたのが、俺達のイムシン目当てだとしたら、何もしなくても俺達に近寄ってくるはずだぜ?」

 ブロウがムニに現状を打開できそうな案を持ち掛ける。

「そうですね。ということは、奴らの分裂した体も、わたし達が一カ所に集まれば……」

 ブロウは不敵な笑みを見せた。

「まとめて片が付くってことだ」

「でも変じゃない? 今までこの学校、障魔に襲われたことなんてなかったのに、何で今になって襲ってきたんだろ? 施錠イムイスってこの学校にもあるんでしょ?」

 ラビーユの疑問にムニが答えた。

「わたしの見解ですが、施錠イムイスは、発生源となる場所から建物の外壁や一定の距離内に広がっているらしく、聞いた話では地下にもその範囲が及んでいるらしいです」

「それくらいはあたしも知ってる」

「障魔が侵入したという事は、発生源となる中庭の獅子のどこかが破損して、イムイスが弱まったからではないでしょうか?」

「あんた、施錠イムイスがどこから発生してるとかってのも、もしかしてわかっちゃったりする?」

「えっ、いえ、にわか仕込みみたいなものなので、完璧という程ではないですが……」

 ラビーユはムニに聞かれないように小さく言った。「ほんと、ユフィーネみたいな奴だな……」そして、今度は張り切った声で、

「イムイス図書館に施錠イムイスの手引みたいなものがあると思うよ。それ探し出して、再度鍵かけちゃえば、障魔はその中で消滅しちゃうはず」

「その通りです。さすがはラビーユさん」

「ちょ、ちょっと。いきなり褒めないでよ。調子狂うじゃん」

「なんだ? ちょいと友情が芽生えたか?」

 と、茶化すブロウ。顔がニヤニヤしている。

「う、うるさい!」ラビーユはどこか照れているようだ。

「ま、とにかく、施錠の手引をまず探さなきゃな。だがその前に、施錠イムイスそのものができる奴いるのか?」

 ブロウはイムイスの成績がいいというムニの後ろ姿を見た。

「わたしが、多少心得ています。ですが、もう一人イムイスの扱いに長けている方が必要です。わたし一人ではイムシンが持ちません。どなたかいらっしゃらないでしょうか?」

「と、いうことは……ラビーユだな」とブロウは、ラビーユの方を見やった。

「そうきたかあ」

 と、苦笑いするラビーユだったが、彼女は即答した。

「とにかく、施錠の手引きを見つけに行こう。じゃなきゃ始まらないし」

「よっしゃ、急ごうぜ!」

 ブロウが全員に言った。

 一同はそのまま、校舎の外れにある、イムイス図書館へと向かった。



 四棟の校舎から離れた場所に、一階建ての古びた建物があった。

 この建物がイムイス図書館である。

 植物が外壁に絡み付き、通称「緑館」とも呼ばれていた。

 数少ない利用者には、イムイスの歴史を調べるためにも使われ、百年前の宗教戦争を克明に記した古書や、歴代のイムイス使い達の著書、また、当然古代イムイス語の全てを記載した辞書などが架蔵されている。

 生徒達には常日頃、この緑館の存在は希薄だった。主に高学年や大学年の生徒には、少し小難しい書物の並ぶ図書館くらいの認識しかされていないようだが、小学年や中学年の生徒の中に、お化けを見たという者もおり、実際、館はおどろおどろしい雰囲気が十分で、子供達の好奇心を満たす素材としては釣り合う存在感を放っていた。

 向かったユーキ達四人のメンバーの中で、特にラビーユに至ってはイムイスの研鑽に日々を費やす優等生であり、もっぱら、そういったイムイスの素質がある生徒には、ある種の憩いの場でもあるのだった。

 幸いにも、管理がずさんなのか、図書館の入口の扉は開いており、分裂したシタターグに襲われることなく、無事、館内へ入ることができた。

 若干かび臭さのある独特の臭気の中を、四人はラビーユの案内に従い、一階の一番奥の部屋に小走りで入っていった。

 昼食より少し前の時間帯で、今日の天気も快晴だったはずだが、室内は薄暗く、不気味な様相を呈している。

 ラビーユはいくつか本を引っ張り出してきて、いそいそとページをめくった。開いたページに目を通した後、他三人に説明をした。

「皆、授業で習ったかもしれないけど、もう一度復習の意味も込めてあたしからイムイスの説明をするね。イムイスは人間の体内に宿るイムシンと合致することで、敵を倒したり、味方を回復したりできるんだ。炎を出すときはイムイス語で『ファーツイ』って言葉を使うんだけど、ファーツイは現代の言葉で『小さき炎よ、イムシンの力の元に敵を屠れ』という意味があるんだ」

 ラビーユ以外の三人は、頷きながら聞いていた。

「本来のこの意味を、ただ単に今使われている言葉で唱えても、炎は現れもしない。あくまでイムイス語という言語を通してでないと、解放された超人的な力であるイムシンとは合致しないんだ。イムイスとイムシンが合致して、敵を倒したりする時、イムシンを消耗してしまうんだけど、これは自分の体力が減るってことと同じなんだよね。施錠イムイスをイムイス語で表すと『キカギール』ていう言葉になるんだけど、その特徴は、使われる力のさじ加減が通常のイムイスとは桁違いなんだ。城などの建造物や町全体にに使われたりもするし、イムシンも著しく消耗するから複数の人と同時に唱えて、消耗を軽減したりする特殊な術なんだよ」

 ラビーユは身振り手振り説明していた。

 施錠イムイスの発生源となる中庭の二十八体の獅子は、光石という素材でできていた。光石は施錠イムイス「キカギール」と同じイムシンを放つ特殊な石で、一般家庭などに使われる日用品でもあり、夜道を照らす街灯や、室内灯としても役に立っている。

 光石がキカギールと同等の効力を発揮するには、一度キカギールと唱えるだけでよく、それがスイッチとなって、光石は長時間――何十年、何百年と言われる――に渡って、施錠の力を放つことができるのである。

 光石の放つ施錠イムイスの力そのものは、障魔を寄せつけない力があり、イムシン教でも謎めいた力とされていた。

 各施設などに施される際、だいたい一つの建物につき七個という決められた数の光石を、作り手の意図によって、様々な形に加工し設置させる。キカギールを唱え、一本一本から放出される微弱な施錠の力を七個分の力に増幅させることで、ようやく施錠という体をなすのだった。

 学校の七の数字を四倍した、二十八という柱の本数はイムシン教の経典の数と同じだが、数字自体になんら、利益りやくがあるわけではない。

 イムシリア国内のある公共施設には、二十八個以上もの光石によって魔除けが施されているところもある。あくまで作り手の意思によるものでしかなく、数は七個以上であれば自由に設定できた。

 なぜ七という数字かというと、実験によって七つ以下となると、施錠の力及ばずという結果になるので、現在では七という数字を目安としていた。

 ラビーユの話は続いた。

「弱いけどイムシンに似た力を持つ複数の光石を元に、施錠イムイスと同じ威力を発生させても、元である発生源を絶たれちゃえば効力は弱まっちゃう。だからムニの言うとおり、おそらく二十八の獅子のどれかが、何らかの理由で壊れちゃったんじゃないかな?」

「おそらくそうでしょうね。獅子心中の虫という輩も残念なことに存在するのが世の常です。人の悪意によって故意に傷つけたり破壊することもできてしまいます。ですから、ラビーユさんの言う通り中庭の獅子のいずれかが……」

 ムニがラビーユに同調しつつ、言下にブロウが付け足した。

「何者かによって壊されたってわけか?」

 ブロウの質問にラビーユは、

「そうかもしれない。今回はあたしとムニで、獅子の柱を補修する作業を執り行いたいんだけど……」

 ラビーユはそう言いつつムニをこっそり見やった。

 獅子の柱の補修とは、破損した獅子の柱をイムイスで直し、二人でキカギールを唱えるというものである。

 ラビーユの仕草を見ていたブロウが、またまたちょっかいを出してきた。

「ムニとはどうやら仲良くできそうじゃねえか?」

「べっ別に! き、緊急事態だから、協力するってことなだけだよ!」

 ラビーユは先程、ムニに否定的な態度を取ってしまった事を少し悔やんでいるようだ。

「つまり、さっき言っていた『手引書』というのは、施錠イムイスの詳しいやり方と、獅子の柱の修繕の仕方が書かれたものなんだね?」

「さすがユーキ。飲み込みが早いねえ」

 褒めちぎるラビーユ。

 彼らは絶望に瀕した現状にただ打ちのめされるのではなく、逆境をチャンスへと変換させていた。

 ここで言うチャンスとは、障魔をまだ自分達候補生の段階で、仕留められるかどうかという事を言う。

 学校に障魔が侵入したことさえ大ごとであるのに、彼らだけが残って自分のイムシンを顧みず戦うことが、どれだけ偉大なことであるか。彼らは、互いに確認しあわなくとも内心、了承しあっていたのである。

”必ず自分達で障魔を倒そう。そうしたら、何かきっといい結果を得られるはずだ”

 もちろんユーキも同じ心持ちだった。現役のイムイス使いではない彼らが、この逼迫した状況を切り抜けられれば、その先に何が待つのだろう。ユーキ個人としては、何らかの報酬が学校から与えられるのではと期待していたのである。 彼らは絶望に瀕した現状にただ打ちのめされるのではなく、逆境をチャンスへと変換させていた。

 ここで言うチャンスとは、障魔をまだ自分達候補生の段階で、仕留められるかどうかという事を言う。

 成果としては大学年への飛び級か、イムイス使いに一気になれるかどうかを期待したいところだが、過去にこうした例があったことも現時点で彼らには知らされていないため、成果を得られるかもわからなかった。

 いずれにしろ、学校に障魔が侵入したことさえ大ごとであるのに、彼らだけが残って自分のイムシンを顧みず戦うことが、どれだけ偉大なことであるか。彼らは、互いに確認しあわなくとも内心、了承しあっていたのである。

 ――見返りを期待せず、ただ陰の戦いに徹する。

 それがイムイス使い、または、候補生達の日々の指針だった。そしてそれは誰かが見ていなくても、善行を行うことができるかどうか、という事でもある。

 そういう指針の存在をないがしろにするというよりも、ユーキ達四人は手柄を欲しがり、純粋に戦いに殉ずる一戦士に似た心境だったに違いない。

 ラビーユの優秀さは、ここに来て一つの極みを見せる。

 彼女は先程持ってきた本をムニと二人でざっと数分読み合っただけで、合点がいったようなのである。ユーキには何の本なのか、何が書かれているのか、端から見ていてちんぷんかんぷんだったが、彼女の手際の良さを見て、ラビーユはやっぱりすごいな、と思わずにはいられなかった。

 そして、四人はまたすぐにイムイス図書館を飛び出し、問題の修繕箇所のある中庭へと急ぐのだった。

 魔除けは、単に外壁が周囲を囲むのではなく、その中はゼリーのように魔を弾く清浄な力で満たされている。発生源となる獅子の像が傷つけられることによって、鍵がかかっていた施錠イムイスは、開いてしまった扉から満たされていたはずのゼリーが空気のように放出され、中は空っぽの状態になり、障魔が侵入しやすくなっているということになる。破損した獅子の像を直し、キカギールを唱えさえすれば、再度、清らかなゼリーの力に満たされ、障魔は消滅してしまう。

 一同は、図書館から無事、中庭に到着した。

 ユーキは中庭を一瞥した。倒れて昏睡状態に陥っている生徒は見受けられなかったが、獅子の柱の向こうは校内の廊下があり、それを壁が遮ってはいたものの、廊下への出入り口に、年端も行かない小学年の生徒が倒れている姿が微かに見えた。

 ユーキは気の毒に思ったが、ラビーユが再び説明に入り、彼女の声をひたすら聞くことに集中した。でなければ、数々の倒れた生徒の顔が頭の中にずっと残ってしまうからだ。

「この中庭から施錠イムイスという障魔を寄せつけない力が、ある一定の場所まで拡大しているというわけなんだ。んでもって、ここであたしとムニが壊れた獅子を探して直す間に、あんたら男共は、あたしとムニを障魔から守ればいいってこと。わかった?」

「ああ、なるほどな。よーくわかった。なんか褒美とかくれるのか?」

 ブロウが褒美をせびってきた。

「えー……? あんた、こんな時に何言ってんの?」

 ラビーユは呆れた顔つきだった。

「うーんと、例えば、ほっぺにちゅーとかどうよ?」

「はあ?!」

「いわば俺達は命の恩人てことだぜ? 危機に瀕したお姫様を助ける王子様みたいなもんだろ?」

「王子様ねえ……」

 ラビーユは一瞬、ユーキの方を見て何を思ったのか赤面してしまうのだった。

「じゃ、こういうのはどうです? わたしとラビーユさんでお礼代わりにお菓子を作るんです」

 ムニは、ブロウの提案を飲み込めない様子だった。

「あ! それいいじゃん! そうしようよ!」

 ラビーユは慌ててムニに首肯した。ちゅーがいいのか、お菓子を食べたいのか、はっきりしないのも、年頃の女の子と言えばそうなのだろう。

「おおっ。食い物か、そいつはいい。たらふく食わせてもらおうじゃねえか。な? ユーキ!」

「ユーキは、ちゅーの方がよかったりする?」

 ラビーユは頬を染めながら、遠慮気味にユーキに尋ねた。

「え? ふ、二人からだよね?」

 ユーキはちらっとムニの方を見た。ユーキとしてはムニからキスをされること自体が、すでに想像の範疇を超えていた。

 行方不明になった同級生の面影と、ムニとを重ねるだけでも彼女には失礼であるかもしれない。

 (だけど、ぼ、僕としては……)

 ユーキの思考は限界に達した。この場の空気に合わせた上手い言い逃れも出来ないほど、妄想を膨らませてしまうのだった。ユーキは固唾を飲み込み、精一杯にごまかした。

「ま、まあ、お菓子でもちゅーでも。なんでもよくはないけど、なんでもいいんじゃないかな……」

「ユ、ユーキってば……!」

 ユーキの曖昧な返事は、ラビーユにとって頬への接吻を肯定的と捉えた言いようだったのだろう。彼女の顔がさらに赤みを増す。

「それじゃあ、お菓子にしましょ? ね? ラビーユさん?」

 ラビーユはムニにそう持ち掛けられ、嫌だと断言できなかった。ラビーユもムニの一言を察せられない程、気の効かない女の子ではない。当然ながら、ムニはキスが嫌なようだ。ユーキにはムニのお菓子という提案と、ラビーユの顔つきの裏側とを感知できるほど気を回せる男ではなかった。

 結果、男どもへの褒賞は手作りのお菓子に決定した。

 ラビーユはため息をついた。

「なーんかこれ、女には不公平に感じるな。お菓子作るの手間だし、まだちゅーの方が……」

「美味しいもん作ってくれよ!」

 と、ブロウの一声に、

「あんたどこまで図々しいんだ! お菓子作ってもらえるだけありがたいと思いな!」

 ラビーユは怒鳴り散らした。

 やにわに校舎の上から、巨大な影が降ってきた。

 ちょうどムニとその近くにいたラビーユの頭上だったため、ユーキは思わず叫んだ。

「危ない! ユフィーネ!」

 ムニはさっと身を交わし、落下してきたシタターグの餌食にはならなかったが、一方ラビーユは、不運にもシタターグの水のような体内に取り込まれてしまった。

「ラビーユ!」

 ユーキはラビーユを助け出したかったが、彼女の反応はなく、シタターグの中でぐったりとし、体を浮かせているだけだった。

 シタターグが全貌をあらわにした。大きさは中庭の三分の一くらいに達している。

 シタターグは次にブロウを狙って、体を触手のように伸ばしてきた。

「ムニ! ユーキ! 早く逃げろ! ここは俺が食い止める!」

 ブロウは後方へ大きく跳ねて、ボールを投げる姿勢になった。ブロウは額に汗を流しながら、

「他の奴らは……、助けに来ないとこを見るとやられちまったみたいだな。やべえ。ほぼ全滅に近いじゃねえか。なんとかして、俺がこいつを……」

 ブロウの体から、オレンジ色の竜巻のようなものが巻き起こった。竜巻はブロウの右手に集束していった。そして彼はそのままの姿勢からボールを投げたような動作をしたかと思うと、拳を突き出したまま一気に猛進した。オレンジ色の細いラインが拳から出、ブロウの後ろに線を引いた。

「喰らいやがれぇぇええっっ!!!」

 ブロウの拳を突き出した体躯は一瞬にして、シタターグを貫き、彼は中庭の端から端までを一直線に素早く通過した。獅子の柱スレスレにブロウは止まっていたが、彼の拳から帯びたオレンジ色の光は、日差しの当たる中庭をまだうっすらと棚引いていた。

 シタターグは大きく分裂した。しかし、致命傷には至らなかったようで、ブロウの攻撃によって切り離された方の体が、技を使って疲労したのか、膝に手をついて喘ぐブロウにかぶさった。

 ブロウもシタターグに精力を奪われたようだったが、ラビーユとは違い、すぐさま中庭の隅に吐き出されてしまった。

「ブロウ!」

 ユーキは気を失ったブロウへ駆け寄った。シタターグはまたも人間に近い表情を作り、そのまま環状の体の真ん中あたりから上方へ伸ばして、ユーキの方を見ている。

 シタターグの動きは、海でもないのに、まるで波打際にいるような感覚に近かった。そうやって地面を滑らせながら、シタターグはユーキへと体を近寄らせてくる。

 そしてシタターグの体の端が、人間の手のような形になり、ゆっくりと伸長してきた。

「オルゴス!」

 それを見ていたムニが、氷属性のイムイスを使い、ユーキの顔を包もうとしたシタターグの手を凍らせようとするが、全く効果がない。

 ユーキにも先の教室で、ラビーユがオルゴスが一時的に有効だと言っていたのを聞き、ムニのオルゴスを使う意図は解っていた。それと同時に、シタターグの本体らしき臓器のような物が見える付近に、ラビーユが捕われ、全体にはオルゴスを使えないこと、なおかつ、中庭の半分とまではいかないまでも、三分の一を覆い尽くさんとする、シタターグの体全体を凍らせる程の力量をおそらくムニは持ち合わせていないため、彼女がユーキを助けたい気持ちとは裏腹に、それほど器用にイムイスを使用できず、ほんの触り程度のオルゴスを使ったのは、ユーキにも理解できた。

 ラビーユを人質にしたシタターグは、自分達よりも一枚上手だとユーキは思った。

 ユーキがシタターグの手に、頭を覆われようとした寸前のことだった。

 何者かの剣が、ユーキの顔に近づくシタターグの手元を断ち切った。ユーキはシタターグの攻撃を免れたのである。

 真横から飛んできた剣は、校舎の壁に突き刺さった。

「まったく、見てはいられないな、ユーキ」

 ユーキはその声に聞き覚えがあった。ヨダットである。

 ヨダットは誇らしげに、中庭の石敷きの上に立ち、眼鏡の中からユーキを見下すような目で見ていた。

 ユーキのいる場所まで、中庭の半分くらいの距離があるので、剣をダーツのように投げたヨダットは、たいしたコントロールの持ち主である。

「そいつは邪魔だ。オレがこの液体の相手をする。お前達は校内までそいつを運べ」

 ヨダットは昏睡状態のブロウを校舎へ運べと促した。

「わ、わかった。ヨダットは一人で大丈夫なの?」ユーキがヨダットの身を心配する。

「愚問だなユーキ。さっきまでオレに付いてきた他の連中は、オレを残しこの障魔にやられた。ではなぜ、オレが生き残れたのか? ただオレが優秀である以外にないからだ! やられた連中はオレに従っていれば、やられずにすんだだろう。人が何年と命を紡ごうが、愚か者かそうでないかの判別は、こうも一瞬でできてしまうとはな……。ま、そんな蛇足は将来、オレの著作で思う存分後世に伝えてやる。さっさとその役立たずを運べ! 人質のラビーユが邪魔で仕留められるかわからないが、時間稼ぎはしてやれる。ありがたく思うことだ」

「わかった。とにかくブロウを運ぶよ」

 ムニとユーキはブロウを運びながら、校舎へと入っていった。

 シタターグは、ヨダットの飛び入りに生物としての危機感を感じたのか、運んでいる隙を突こうとして、ムニとユーキを襲おうとはしなかった。

 ヨダットは手招きをした。すると壁に突き刺さった剣が自ら離れ、ヨダットの手中に戻ってきた。

 ヨダットは水色したイムシンを、背後から勢いよく発し、掌で剣の刃の部分を撫でながら、イムイスを唱えた。

「炎イムイス付加!」

 するとヨダットの手から赤々とした炎が現れ、剣に纏わり付いた。

「お前の弱点はもうわかっている」

 シタターグが蛸のように体を変形させ、数本の足を使いヨダットを捕らえようとする。ヨダットは気にせず、楽々とそれを回避しながら、

「ただ、それをやろうとする余裕が他の連中にはなかった。連中にはそれほどお前が強敵に見えたのだろうな。だが、オレは違う。ルーハデッヒ家の名において、お前を仕留める!」

 イムシン教内部の中でも、本拠地である寺院直属のイムイス使い達がいた。

 ヨダット・ルーハデッヒは、歴代、寺院に勤めた国内でも指折りのイムイス使いルーハデッヒ家の嫡男だった。彼の父も剣術に優れ他の追随を許さず、父子ともにルーハデッヒ家の名を誇りに思っていた。

 いわば、シタターグを悠然と退けようとするヨダットの姿勢は、その誇りを持つが故なのである。

 イムシンを解放したヨダットは、舞うようにシタターグと攻防を繰り広げた。

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