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5、手紙

 少し眠ってしまったようだ。

 寮の夕食の時間か、舌鼓を誘う香ばしい匂いが鼻孔を刺激する。

 ユーキはベッドから起き上がると、何やら意を決して、夕飯時で騒がしい寮を後にした。

 学生寮の裏手には林があり、そこを抜けると滝があった。山の上から流れてくる水がここで滝壺となり、夏場は水遊びで賑わしい場となる。

 春も、そろそろ夏を迎えるかどうかの瀬戸際で、日中も夏季の湿っぽさを漂わす。しかし、夕方頃はまだ肌寒く、イムシリア国一帯は、まだ暑さと寒さがはっきりしていない気候というのがこの時期常だった。

 そんな風邪を引きかねない温度に、この滝壺周辺は一層寒々とした空気だった。

 滝壺の少し離れた場所には小さな橋があり、それを渡るとダイガンという名の教師が住む宿舎があった。

 煉瓦でできた古びた佇まいのダイガンの住まいには、時々悩める生徒が相談しに来たり、また相談した悩み事が無事解決したお礼にと、贈り物を届けにくる生徒もいる、お悩み相談所のような場所だった。

 ユーキは緊張していた。この現状を打破したい思いに駆られた彼は、一体ダイガンからどんな指導をいただけるか、不安と期待が入り混じっていたのである。

 ユーキは深呼吸を一度してから、扉をノックをすると、中から奥の方で「どうぞ」と声がした。

 蝶番が悲鳴をあげて、今にも外れそうな古ぼけたドアを、丁寧に閉めて中に入る。

 入ってすぐ脇のところはダイガンの書斎のようで、沢山の書物が足場も無いほどに置かれていた。

 部屋から溢れんばかりに積まれている本の向こう側に、ダイガン特有の銀髪がランプの灯にちらついている。

 晩飯時でもあるので室内は若干暗く、ロウソクの明かりがあるにはあったが、光石灯こうせきとうという不思議な石でやたらと明るい寮内や校内にくらべ、どこか物寂しさがあった。

「ユーキ・ジャスウィンくんか。何かご用かね?」

 顔以外にも目があるのか、ユーキとは反対方向を見ながら、ダイガンが話しかけてきた。ユーキは塔のように積まれた書籍を、倒さないようにつま先で歩いていった。ユーキは乱立する本に驚いて、

「先生、読書でもなさっているんですか?」

「ん? いや、これは今度、指導書の授業で扱う資料を作っているんだ」

 ようやくダイガンの後ろ姿が見える位置までやってきた。

 ダイガンは過去、障魔を千体斬ったとされる”千のダイガン”と称賛された、伝説のイムイス使いである。

 ダイガンは時たま、イムシン教の教えを学ぶ、「指導書」という授業を受け持っていた。彼の授業はイムシン教の深い教えと、読書をする者でも読むかどうか迷う分厚い指導書を、どうやって少年達に伝えていくか熟慮に熟慮を重ねたわかりやすい授業だった。イムシンの教えと言えば校内でダイガン先生しかいない、と生徒達からも厚い信奉ができあがるくらいに彼の授業はすぐれていた。

 そんな生徒からの信頼性も確固としてあるダイガンに、今日ようやくユーキは相談をしに来た。

 友達が生きているかどうかも絶望的であり、また別の友達にはそっぽを向かれ、ユーキにはあの一件以来、月明かりが仄見えているような日々を過ごさなければならなくなった。暗澹たる心の世界によってもたらされるユーキの独特な雰囲気は、献身的に接してくれるラビーユやブロウにもどこか近寄り難いものがあったに違いない。それでもブロウ達は、ユーキと友達でいるよう努めたようだったが、ユーキはそんな彼らとも、なかなか昔のように心を開く事ができなかった。そんな心境のユーキが、能動的に他者へ救いを求めるようになるには、一年の月日を要したのである。一年という年月を通して、少しずつではあるが彼の心の扉も、開かれていったのだ。

 ダイガンも毎日多忙を極めてはいたが、たまに校内でユーキを見かけたりすると、「ユーキ調子はどうだ?」「体調はいいか?」とさりげなく声をかけては会話をしようと試みた。ユーキは何ともないふうを装って、ダイガンとの懇談には応じなかったのである。

 ダイガンは一旦作業を止めた。

 ダイガンの書斎では会話もままならないので、隣室へと移動した。

 夕方といえど、この時節は闇夜にはならず、茜色した日当たりが外の森林からの木漏れ日を作り、部屋を彩っていた。部屋は暖炉とテーブル、そして二つの椅子が置かれ、奥にはキッチンがあり、食器も片付けられているようだった。ダイガンは一人で暮らしているようだが、男の一人暮らしにしては小綺麗な部屋である。

 ダイガンはカップに飲み物まで用意してくれ、話は始まった。ダイガンは丸い縁の眼鏡の奥から、彼特有の親近感のわく温かな眼差しを、ユーキを見守るかのように送っている。

 ユーキは、今抱えている種々なる悩みを、洗いざらい話した。

「ムニくんとユフィーネくんか。先生も確かに初めてムニくんに会った時は、ユフィーネくんの事を思い出したよ」

 ダイガンもそう感じていたようだ。

「学校を辞めるかどうか迷っているんです。ユフィーネを思い出すことも、ユフィーネとムニを重ねることも、僕はもう嫌なんです」

 この学校でムニを見るたびに、ユーキの心はユフィーネを思い出し、激しく揺らいでいた。

「そうか。さぞ苦しかっただろう。だが、学校を辞める理由としてはどうなんだろうね。もちろん学校を辞めるという事は、曖昧な理由でも明確な理由でも、やはり先生には残念な事だよ。家庭の事情ならまだしも、君の言うその理由は、難しい事かもしれないが、自分次第で何とかなるものではないだろうか?」

「僕はもう、イムシンも解放出来なくなっていて、学校にいる意味もないんです」

「先生のイムイス使いの経験から言わせてもらうと、イムシンを解放できなくなるのは一過性のものだよ。昔先生も君と似たような目にあったことがある」

「本当ですか!」ユーキは身を乗り出してきた。

「その時、私もおおいに悩んだ。だがその悩みを乗り越えたからこそ、今の自分があると思っている」

 ダイガンはテーブルの上に用意してあったお茶を飲み始めた。ユーキはダイガンに懇願した。

「どうやったらイムシンを解放できるようになるか、教えてください!」

 ダイガンは茶を一口程飲み、ティーカップをテーブルに置いた。

「まあまあ、落ち着きなさい。先に見つめなければならない問題がある。イムシンどうこうの前に、君の場合、イムシンを解放できなくなった理由を、ユフィーネくんに重ねて、学校を辞める口実にしているように見えるがね」

「それは……」

 ユーキは口をつぐんでしまった。

「卒業して、イムイス使いになる道から外れ、別の道を歩む生徒も今まで沢山見てきた。だが、それもその人の人生だ。別にイムイス使いにならなければ幸せではない、という事はないんだ。君は若くして、大人でも難解な問題にぶち当たっているんだよ。友達の生と死、そして自分の人生を左右する、イムイス使いとしての道を貫き通すか否か。私は教師として、また人生の先輩として、君にこの難問に挑め! と言いたいのだ。かつての友達の存在そのものを失敗の理由にして、君はそれでいいのかい?」

 ユーキは黙したままだった。

(そうだ。僕は逃げようとしていただけだ。友達のせいにして、自分のせいじゃないと思おうとしていただけだ)

 ユーキの弱点を克服するという一意専心の思いは目に宿った。そして彼はダイガンの眼を直視するのだった。

「よくありません。確かに先生の言う通りです」

「ユフィーネくんはユフィーネくんだ。そしてムニくんはムニくんでしかない。君は君らしく、ムニくんと接すればいいんだ」

「ですが、僕が原因でユフィーネはいなくなってしまいました。ユフィーネに対して僕が僕らしくするためにはどうしたらいいんでしょうか?」

「そうか、君は自分の責任を友人に委ねようとしながら、自分にも原因があると見抜いていたんだね。しかし君はその責任を学校から離れることで、放置してしまおうとも思っている。先生はこう思う。後ろ指さす人がいたとしても、君だけが悪者だとは思えない、と。君が責任を全うしたいというのなら、その辛さを背負わせてしまっているのは、大人である先生達のせいでもある」

 ダイガンは片手で眼鏡を整えた。

 学校を辞めたとしても、ユフィーネをなくしてしまったという自責の念は、ユーキの性格であれば放置しきれないだろう。中途半端な事をすれば、それだけ後悔するのも明らかだった。


「責任を持つことは大切な事だ。だが、責任というものは転じて重荷にもなる。その重荷に押し潰されて人のせいにするのではなく、責任を果たそうとする強さを自分が持ち続けられるかどうか? 当然ながら、ユフィーネくんに対しての責任は我々大人も持たなくてはならない。だから君一人が、ユフィーネくんに対して重責を感じる事はないんだ。影も形もなくなってしまったユフィーネくんとどう向き合うか? それは君一人が抱えこまなくてもいいんだよ。私も他の先生達もきっと、君と同じように責任を感じている者はいるだろう」

 ユーキはダイガンの話す温かい励ましを真摯に受け止めていた。そしてその温かさは、ユーキの寒冷な過去に、少しだけ暖を燈せたような気がした。

「そうだ、少し待っていなさい。もっと君に元気を出してもらえる薬がある」

 そう言ってダイガンは、書斎の方へ行き、一通の手紙を持って戻ってきた。

「これを読んでみなさい」

 その手紙にはこう書かれていた。


『親愛なる、ダイガン・ストランド先生へ。

 私はユフィーネ・ココリスの母、ネネル・ココリスと申します。

 この度、娘のユフィーネが裏山で行方不明になったことを、重大な出来事として世間では取り沙汰されております。

 学校側の教育はもちろんのこと、イムシン教、イムイス使いという国家の上の方にまで責任は問われていると噂で聞き、ダイガン先生もさぞかし大変な目にあわれていることでしょう。

 元気な娘がいなくなり、私も寂しい一方で、周りから様々な事を言われます。

 優しく励まされることもあれば、時には娘の素行を揶揄されることもあり、世間の世知辛いものを感じてしまうのです。

 私は最初、愛する娘を思い出そうとするたびに、涙が出て、悲しくて仕方がありませんでした。

 正直なところ、誰かを憎まずにはいられない衝動に駆られることもありましたが、そうやっていかに心が突き動かされようとも、私は私、ユフィーネの母なのです。

 世間が何と言おうと、娘の亡骸さえなくとも、私はもう立ち止まらないことにしたのです。

 私にイムシンという、確かな力があるのだとすれば、娘がよく言う、そこから生まれるのは希望なのです。

 私は決して人生を諦めません。希望を持ち、明日へと挑みつづけます。

 今回の一因である障魔の存在がまだ未知なるもので、娘の遺体まで見つかってないとするなら、そこに私は希望を見出だしたいのです。

 しかし、「愛娘は死んだ」

 と、自分に言い聞かせていくことも、できなくはないでしょう。

 ですが私は、あの子はまだどこかで生きていると信じてやまないのです。それはユフィーネが、紛れもなく私の娘だからです。扉の障魔の中がどうなっているか未知の存在であるのなら、私はそこに賭けたいのです。

 娘はいつか必ず帰ってくる。私はそう信じております。

 いつまでも停滞していては、娘の、強いては私自身のためにもなりません。

 ココリス家一同、その希望を糧にこれからも元気に生きてまいります。心が沈んでいるより、いっそ無理矢理にでも、私は元気だと言い聞かせた方が、まだ元気でいられるでしょう。


 ダイガン先生と、イムシリア校の生徒皆様のご健康、ご多幸を祈りつつ


ネネル・ココリス』


 手紙にはそう書かれていた。


「これは、ユフィーネのお母さんの?」

「そうだ。ネネルさんからの手紙は他にも沢山戴いていてね。ユフィーネくんの親族は、君の事を一つとして怨んじゃいない。常に前を向いて、明日へ希望を持って生きていらっしゃる。ユフィーネくんの事を忘れろ、とは言わない。先生もあの時の一件を心に深く刻みながら、自分の人生を生き抜いていくつもりだ。生死に関わる不幸は人を悲しませ、惑わせる。友人の不幸は確かに重苦しい出来事だっただろう。だが、いかに友人が不幸な目にあったからといって、それによって自分も悲しくなり何もできなくなってしまうのは、より悲しい事だとは言えないだろうか? 人は幸せになるために生まれてきた。私はそう信じる。友人がどんなに不幸な目に合おうとも、現実で生きる自分自身は常に目の前の課題と戦わなければならない。だからこそ不幸を乗り越え、生き抜いていくのだ。悲嘆に暮れ、生きようとする意志を見失ってしまえば、生まれてきた意味がないじゃないか」

 突然ユーキはダイガンに質問した。

「人は幸せになるために生まれてきたんですか?」

「ああ、先生はそう思う。生と死の仕組みは先生にもわからないが、そう思って生きていったほうが、なんか前向きな気がしてね。手紙はもういいかな」

 ダイガンは、手紙をユーキから受け取り、封筒へしまいながら、

「ユフィーネくんの不幸は、君がもっと強くなるために彼女が残してくれた試練だと思っていくべきだろう。君のこの悩みはすぐに解決しないかもしれない。だがまずは、ユーキくん自身がどう生きるかなのだ。君が今をどう生きようとするか、それはユフィーネくんの不幸を足枷にして停滞する事ではない。友の不幸を乗り越え、自身の目標を達成する。それが今、君が持たなければならない悩みであり、重大な責務のはずだ」

「はい……」

 ユーキの目から涙が溢れた。

 ユフィーネの家族の強さを見て、自分の弱さがなんて情けないものだったか。そして何よりユーキは、ネネルの懸命に生きようとする姿を文章から読み取る事で、弱さに悩むふがいない自分に力強く活を入れてもらった気がしたのだ。

 ユフィーネは必ず生きて帰ってくる――。

 ネネルは、文章では淡々とその思いを綴っていた。しかしそう思う親心と、生きていく上で欠かせないネネルのような前向きな姿勢は、容易に引き出せる物ではないだろう。だが、彼女は強く生きると腹を決めていたのである。辛く苦しい闇の中でいかに光明を見出だすか? ネネルのこの思いは、まさに自身の絶対的な”生き抜く”という力、イムシンを信じている証なのだ。

「イムシンを解放させるには、とにかく自分を信じることだ。今の自分が例え弱かろうとも、強かろうとも、不幸でも、幸福でも自分の一心、イムシンを信じ抜く。厳しいアドバイスかもしれないが、イムイス使いは、民衆を守る強靭な戦士でなければならない。だからあえて私は厳しく指導をさせてもらった。近い将来、君がイムシンを解き放った姿を見届ける日が来ると、先生は信じている」

「はい……、ありがとうございます!」

「鉄を打ち、鍛えれば剣となる。必ず君は剣になれる。これはどんな悩みも切り開いていける切っ先となるための試練なんだ。健闘を祈っている」

 ダイガンからの激励を受け、ユーキの心境は少なからず前向きなものになった事だろう。

 人生を生きていく上で、このような的確な励ましを送るダイガンのような善き縁との出会いは、なかなか成し遂げるのは難しい。しかし、これまでのユーキのように、立ち止まってふさぎ込んでいたのなら、こうして励ましを受ける事もなかったに違いない。

 ユーキはダイガンに礼を述べ、少し近況などを話し合い、寮へと帰宅した。

 ユーキが午後の授業をさぼったこの日、学校では、ある出来事が起こっていた。

 学校の至る所のトイレや水呑場の水が、出なくなっていたのである。

 イムシリア校の水まわりは、四棟の校舎から離れた位置にキノコのような形をした給水塔があり、衛生面で一翼を担っている。給水塔は校舎とほぼ同じ高さで、人の行き来も乏しい場所に建ち、中は関係者以外立入禁止だった。

 その日の夕方近くになり、水が出るようになったものの、飲もうとした生徒が突然意識を無くす出来事が起きた。

 次々と生徒が保健室や、校外の病院などへ運ばれる中、校内で黄緑色した謎の物体を目撃した生徒が続出した。

 夜も更け、生徒のほとんどは帰路につき、教師達もぼちぼち帰宅しはじめる頃になった。そんな中、生徒を収容した病院の看護士が学校に病状を知らせにやってきた。

 看護士の話では、外傷はほとんど無く、単に意識がなくなって、深い睡眠状態に入っているとのことだった。大勢の生徒が運ばれた事は、稀な例であり、異常な事態でもあるため、慎重に慎重を期した上で、わざわざ知らせに来てくれたのだ。

 病院から伝えに来た看護士と、教師が話している背後に、忍び寄る影があった。


 ユーキはその日、全く眠れなかった。

 ダイガンから指導を受け、寮に帰るとすでに夕食の時間は済み、食事にありつけなかったのである。

 ブロウから学校で奇妙な物体を目撃したり、生徒が多く倒れたりしたのを聞き、騒動のただ中にいなかった自分が、何かズルをしたような気に襲われた。ダイガンからの励ましが自分にはプラスになったのはよかったが、授業をサボったのはあまりいい傾向ではないと、せっかく過去を清算出来そうだったのに、これはもったいない事をしてしまったと後悔していた。


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