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1、ある日の日常

 イムシリア国イムイス学校にて。

 今日も授業、明日も授業。そして明後日も。

 自分の過去と友人との思い出とが、いかに儚く、悔やまれる物だったとしても、時間は流れる事を止めはしない。

 時間が流れるという事は、ユーキも十六歳から十七歳になり、二十歳を迎え大人になる、という事だ。

 そして、胸の中に大事にしまってある、ユフィーネとの短い思い出も部分的に欠損し、ちぐはぐで曖昧な記憶としてしか残らなくなる。

 ユーキはまだ十六歳という少年であっても、思い出という色鮮やかな物が、いつしか色落ちした衣服みたいにヨレてしまうことは理解していた。

 自分が幼少期に、どんなことをしたか鮮明に覚えていないのだから、どんなにユフィーネと共有した時間を頭の中に残そうとしても、いつまで覚えていられるかわからない。

 それでも今は、彼女と戯れた瞬間を大切にしていたいと、ユーキは思うのだった。

 だが、今はイムイスの授業だ。異性との甘酸っぱい思い出を回想するより、眼前の教材、否、泥人形をどう倒すかが問題なのだ。

 学校の広いグラウンドに生徒が十数名集まり、泥人形と相対するユーキ達を取り囲みながら見物していた。

 今日の授業は、二足歩行の大きな障魔(泥人形)を二人一組になって倒す、というものだ。

 人二人分くらいの大きな体躯に、黄土色した体表、障魔の模倣らしくそれなりに恐怖心をそそる、爬虫類じみた顔付きをして、目の前で無機的に立っている。

 ユーキ側は二人。ユーキと同級生で高学年の一年生にも関わらず、早くも剣術の才能を開花させた眼鏡少年、ヨダットだ。

 泥人形はユーキに向かって勢いよく拳固を振り落としてきた。

 躱しつつ、自分がこの一年間ユフィーネ以外のもう一つの悩みだったある欠点を克服しようと実行したが、できず、泥人形は振り落として地面にたたき付けた握り拳を、ユーキの方へ再び放った。

 一回の動作が鈍い。授業と言えど、回復イムイスを扱うことを前提としているわけなので、実戦と同じようにダメージは受ける。できれば痛い思いはしたくない。今まで受けてきた泥人形の攻撃は、たいてい、うずくまって痛みをこらえなければならないほどの痛さだったからだ。

 ユーキは泥人形の顔に片手にあった両手剣の先端を向けて、両手で柄を強く握りしめ掲げながら突き進んだ。

「うぉおおお!」

 しかし、ユーキの猪突は、泥人形の振り回す重い拳の射程距離から外れておらず、横っ腹にずっしりと減り込んだのである。

「うぐっ!」

 ユーキはそのまま横転し、地面をのたうちまわった。

 痛い。五臓六腑全てが金切り声を上げているようだ。

 意識はある。が、格別な痛さだ。

 この体当たりな授業内容は、まだイムイス使いが、他国との戦争に兵隊として駆り出されていた頃の名残でもある。半ば軍隊の様相に近いが、先生方は「イムシンの戒めとして、その痛みを覚えておくのです」といつか授業で言っていた。

「戒め」と先生方は非情な物言いをするが、痛いのは攻撃を喰らった本人で、そんな規則を整然とおっしゃるイムイスの担任教師は、涼しい顔をして高見の見物でもしているかのように、痛がるユーキを心配する様子もない。

 泥人形の目線が、傍らにいたヨダットを捕らえた。

 ヨダットは沈着しきった顔で、両手剣を手前に構え、目を閉じた。そして閉じたと同時に、体から水色の闘気が、遡る滝のように現れた。ユーキがさっきやろうとしてできなかった事だ。つまりヨダットは絶対的根源力、”イムシン”を解放したのだ。

 ユーキは腹部を押さえ、地べたに座りながら、ヨダットの剣さばきを見ていた。

 泥人形はユーキを仕留めて伸ばしている拳を、今度はヨダット目掛けて振り回した。

 ヨダットは寸での所で拳骨を躱した。彼は目にも留まらぬ速さで、泥人形の脇を走り抜けた。途中ヨダットの剣から一瞬、稲妻のような鋭い光が泥人形の体を真横に貫通した。

 ユーキはヨダットの姿が消えたのを目にしたが、見る間に彼は泥人形の背後に立ち、蔑むような目をして、泥人形ではなくユーキを見ていたのである。

 泥人形の体が横に真っ二つになった。グラウンドの砂利に半分になった体が転がった。

 周りの生徒から歓声があがった。

「すげー!」

「さすがヨダットだ!」

 口々に称揚の声が上がる中、ヨダットはユーキを睨みつけ、何か言いたそうだったが、目を閉じて冷笑し、周りの人だかりの中へ消えていった。途中、泥人形は元の泥に戻りながら、地面に溶け込んでいった。

 ユーキは、よたよたと立ち上がり、ヨダットを褒めちぎる辺りの生徒が陽気な雰囲気を咲かせるのを尻目に、脇腹を手で抱え、衆人から外れていった。

 本来なら怪我をしていない方が回復役を受け持つのが、この二人一組で泥人形と戦う授業の決まりだった。しかし、当のヨダットは一年前にユフィーネがいなくなってこの方、邪険にユーキに接していた。

「大丈夫か?」

 ブロウが気さくに声をかけてきた。刺々しい髪型をした、いつも勝ち気な表情をしている、ユーキのクラスメイトだ。

「う、うん。何とか」

「ちょっと待ってろ。俺が治してやる」

 ブロウは体からオレンジのオーラを出し、ユーキの胸部に手を当てると、

「スイヤース」

 と、回復イムイスを唱えた。

 みるみる、ユーキの胸や腹の痛みが引いていった。

「ヨダットの奴、相変わらずだな」

 険しい目をしてヨダットの方を見ながら話すブロウに合わせ、ユーキもこっそりとそちらを覗いた。

「仕方ないよ。ユフィーネの事は、僕が一番の元凶なんだし」

「元凶って……、そこまで自分を追い詰めることはねえだろ?」

「授業で受けた傷がイムシンの戒めだとしたら、僕がそうやって自分を追い詰めるのも、友人としての戒めなのかもね」

「俺はイムシンは信じるが、イムシン教の信者になったつもりはねえ。何が戒めだ。ユフィーネの事は忘れろ、といつも言ってるが、そう簡単な問題じゃねえのも確かだよな……」

 イムシリア国は、イムシン教発祥地であり、イムイス使いはこのイムシン教の教えを元に活動している。

 イムシン教の根幹となる教えは、人間の体内に絶対的根源力、”イムシン”があるとされ、イムシンは日々の生活の営みを支える生命力、または困難を乗り越えるための原動力とされている。そして、イムシンを宿すこの世の人々はみな尊い存在であり、このイムシンという力で人々を救っていける、というものだった。

 イムシリア国民は、例えイムシンの信者でなくとも、自分の体の中にそういった究極な力があることを自覚する者は数多くいた。

 ブロウもその内の一人で、彼はイムシン教の信者ではないが、現にイムシンを解放し、ユーキの傷を癒している。

 宗教として見るイムシンと、戦闘や攻撃方法として見るイムシンがあるが、多くの人々にとってどちらも崇高な存在であり、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。イムイス学校の生徒達も、少なからず自分達が敬れる存在であることを自覚する者も少なくはない。

 信者ではないからと言って、イムシンが解放できない事はない。また、イムシンを意図的に解放できないからと言って、イムシン教信者になれないというわけでもない。

 イムシンを自在に解放した後、イムイス語という古来より伝わる特殊な言語を発することにより、イムイス使いとしての本領を発揮する。先程ブロウがユーキの傷を癒した際、スイヤースという言葉が発せられたが、このスイヤースが、イムイス語という言語の一つだ。

 イムイスの種類は多種多様で、怪我を治癒したり、炎や風、雷などを掌から放つことができたり、瞬時に遠くへ移動できたりすることなどができる。

 過去、人間同士の争いによって、イムイス使いの術は進化してきた。百年前の大戦争までは人を殺す一つの手段としてしか見られていなかったが、障魔が出現したことによって、イムイス使いや、また、それを管理、統括するイムシン教は、宗教としての本来の意義、――不幸から人々を救うという目的――をここ半世紀でようやく取り戻せるまでになってきたのである。


 この学校の教室は、入口から見た真正面に、人の腰のあたりから天井までと、教室の端から端までひとつなぎにしたような、大きなガラス窓があるのが特徴だった。開閉もできる窓が三つほど建て付けられてはいるが、学校の外の風景を一目見ただけで望めるような、枠もほとんど目立たない窓だった。

 机も椅子も木製だが、座り心地はなかなかのものだ。生徒によっては、小さなクッションを敷いて座る者もいる。

 イムイス学校は、基本小学年から大学年までの一貫教育だが、志願すれば途中からでも入学できる特殊な学校である。イムイス使いになることを前提としているにしろ、イムイスや、イムシン教の教えを学ぶ以外は、一般の学校よりも多少レベルの高い内容を習う学校である。先ほどのように、イムイスの厳しい訓練に耐えられなくなり、転校してしまう者もいた。

 小学年から大学年に行くに連れて、だんだんと教室に収容する生徒の人数も増えていく。幼い小学年の子供たちは、親が厳格すぎない限り、障魔という怪物と戦うための粗野な授業を受けさせるという事が、障魔に手を焼く時代であっても、ほとんどなかったのである。

 教室では、別の場所で授業を受けていた女子生徒達が、イムイスの授業で着る軽装から着替え、すでに着席していた。イムイス学校では、黒い制服を着用し、その上からマントを着るのが決まりの一つである。

 男子生徒達も、更衣室で早々と制服に着替え、席に戻っていた。次の授業まで、各々の生徒達はペチャクチャと会話に花を咲かせている。

「なあ、見たか? さっきの授業」 

「ユーキとヨダットだろ? 見た見た」

「相変わらずの険悪な雰囲気だったな」

「ユフィーネって女子が昔いてさ、町でも噂になったことあるだろ?」

「裏山で行方不明になったってやつだろ。知ってるよ」

「いなくなった原因が、ユーキの仕業みたいでさ。あいつら二人、ユフィーネが好きだったみたいで取り合いの大喧嘩とかしたみたいだぜ?」 

「ホントかよ! ヨダットはともかく、そんな調子じゃユーキはイムイス使いになれねえんじゃねえか?」

「そうだよな。先生方が認めてくれそうにねえよ、あの戦いようじゃ」

「そのうち学校辞めちまうんじゃねえ?」

「うわー。それかわいそうっていうか、俺だったら絶対嫌だわ」 

 という、コソコソと鼠が屋根裏を駆け回るように話す男子生徒がいる一方、

「ラビーユ、何見とれてんの?」

「えっ! あたしユーキに見とれてなんかないよ?」

 ユーキの制服姿を彼の後方の席からなめ回すように眺め入り、彼が着席してからも、一挙一動を見逃さず、瞳に焼き付けようとするのは、ラビーユという女子生徒だった。彼女は、栗毛のショートヘアに人懐っこい顔立ちをしていた。愛想の良さそうな顔をしながらその実、ユーキを盗み見ていたのである。ラビーユの前の席にいる女子生徒に突っ込まれ、とっさに出た言い訳はやたらと不自然だった。

「一途だねえ。ラビーユも。ユフィーネさんの事件以来、劣等生に成り下がっちゃったじゃない、あの人」

「劣等生じゃないもん。伏す龍だもん、今のユーキは」

「うふふ。龍だって。ルビデス国の人って変わり者が多いっていうけど、あんたほんと変わり者だね」

「あ、あたしはいたって普通だよ。普通の女の子だよ」

「どうなんだかー。ラビーユが思うほど、彼、意識してないと思うな。あんたの友人として、ちょっとユーキくんに聞いてくるね」

「わわわ、ちょっと!」

 いたずら心いっぱいにその女子生徒はユーキへ直行し、ラビーユは焦りを隠せず追い掛けていった。

 ブロウは鼻をほじりながら、教室の窓から空高く浮かんで流れる雲を見つめていた。

「ここは、平和だなあ……」

 イムシン教の古くから伝わる厳かな教えに見守られながら、彼等は障魔と戦わなければならないという不幸の中で、彼等なりに幸せを見つけだそうとしていた。

 将来、イムイス使いになる夢を見て、今日も価値ある大切な時間が、普遍的に過ぎていくのだった。

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