エピローグ
何を信じ、何に希望を持ち、どんな気持ちで明日へ挑んでいけばよいか?
この疑問は、人が己の人生を通じて、何度も悩み、何度も書き換えられていく事柄に違いない。
ムニという少女も、将来に望みを見つけるために、その疑問の答えを探そうとしていた。そんな彼女の脳裏にふとよぎったのは、ある人物の名前だった。
”ユフィーネ・ココリス”
この名前こそ、ムニにとってこれからを指し示す道標となるものだった。
ユフィーネという少女が何者か、ムニにはその正体と自分の過去とが、鏡に映し出されたもう一人の自分のように感じるのである。
だが、ムニには忘れてならない事があった。
すでに解決し、被害にあった全員のイムシンも元に戻ってはいるが、学校を襲撃したという自身の犯した罪は、紛れもなく現在に結果を残している。
ムニがジャムシン使いの道から、イムイス使いの道へと目標を変えたとしても、ユーキ達、身近な友人に今後どう顔向けしていけばよいのかわからなかった。
先程の食事は上手く取り繕う事はできた。何より彼女は誠意を込めて、ユーキと接したつもりだった。
――ジャムシンの道は、確かにわたしにとって時間の浪費だった。恨むべくして恨むのなら、わたしをこんな目に合わせた、ブラクスンさんやドルフさんを心から恨む事はできる。そして、ジャムシン使いだった事は、生涯隠し通しながらユーキさん達と過ごしていく事も……。
「無理だ」
ムニは一言発し、きっぱり自分を罪人だと決め付けた。
こんな自分がこれからイムシンの教えを学んで行くだなんて、ユーキ達と同じ空気を吸うだなんて、なんとおこがましい事だろう。
ムニは悩んだ。ますます眠れなくなってしまった。
もし自分の罪を、ユーキ達に正直に話せたとして、自分が自分でいられるだろうか? 自由に学生生活を送れるだろうか?
だからこそムニは、ユフィーネという名に希望を見つけ出す。
ユフィーネの生い立ちがはっきり解れば、自分の罪も少しは軽くなるような気がする。
ムニはすでにユフィーネの真実の姿を解っていたのかもしれなかった。しかし、それを見極めるのも差し出がましい。自分は今、ムニ・ユイツなのだから。
「僕はムニを守っていく。どんなことがあっても」
夕飯の時に、ユーキが言っていた言葉を思い出した。
嘘を付いて、素知らぬふりをしながら、そこまで言ってくれるユーキ達と共にイムイス使いを目指すか、それとも、自分が大丈夫だと思える時が来たら、せめてユーキにだけでも、学校襲撃に加担し、ジャムシン使いだった事を話すか……。
――現実の厳しさが、わたしを試そうと迫って来る。嘘つきとして自分を責め続けるか、正直者となって一時の恥を被るか……。ユーキさん達から親切にさせてもらっているわたしには、どちらも苦難の道に変わりはない。
ムニは自分がイムシンを信じているのであれば、ユーキにだけでも、自分の全てを知ってもらいたいと思っていた。
そしてムニは、ユフィーネという少女に将来を賭けてみようと思っていた。そして、ユーキという少年にも頼ろうと思った。彼を信じ、彼の事をもっと知りながら、彼と共にイムシンの道を歩いていく。それが、この状況でムニが得た希望だった。
――ユーキさん、すみませんが、あなたにわたしの背を預けさせてください。どうしてもあなたという存在が、わたしをそうさせてしまうんです。あなたがいなければ、わたしはもっと道を踏み外すところでした。今のわたしには、あなたしか信じられる人がいないのです……。
ムニは一旦、ユーキに自分の罪を全て打ち明けようと腹に決めていた。
ムニにとってユーキが唯一の存在であるがために、自分が虚言を吐いて生きていく事が許せないのだ。そしてユーキだからこそ、なおさら嘘で自分を守っていく事がより罪に思え、息苦しく、そして悔やしいのだ。
だが彼女は、一歩引いて自分を見つめ直した。本当にそれでよいのか? 馬鹿正直に自分の思う人だけに、真実を伝えることが、最善の道なのだろうか、と。
ユーキがいかに親切な少年であっても、彼との繋がりがムニにとって今後、好転していくかどうかは解らなかった。ユーキが彼女の罪を知り、彼女と変哲のない日常を過ごしていくのであれば、ユーキは罪人をかくまっていることになってしまう。ユーキにとって迷惑この上ない話ではないか。
それならまだ、自分はあの時嘘をついたのだと心の中で責め続けていった方が真っ当な道のような気がする。誰にも迷惑をかけず、自分の中で、罪という膿を携えて生きていく……。
――わたしにはその道しか残されていないのだろう。とてもじゃないけれど、ユーキさんと罪を共有するのは、彼に負担がかかりすぎてしまう。ユーキさんを信じると言ったって、これでは共謀者になりかねない。
ユーキが夕飯の時に見せた笑顔が、ムニの眼底にふつふつと浮かんでくる。それは彼女の全てを満たしていくような気がした。
だからこそ、自分は偽りを着飾って生きていくのだ。
イムシンを信じ続ける彼女が、これから先、虚言を吐きながら信用するユーキ達と信心の道を歩んでいく。矛盾だらけだが、人も社会も国も、矛盾の一つや二つ当たり前のように抱えている。それは、彼女も”世の常”と遜色ないということなのだ。
いつまでも出口の見えてこない暗いトンネルの中を、ムニは歩いているようだった。
この先に何があるというのだろう。
今の彼女にはユフィーネという希望を抱くことができても、イムシンという自分の心を信じることができても、ひたすらに明日から先の未来が暗黒に包まれていたのである。
――罪を償うためにやはりわたしは、イムイス使いの道を目指すしかないんだ。強い戦士になって、障魔に苦しむ人々を救っていく……。今わたしにできる償いは、そうした目標を持つことしかないのかもしれない。
鏡に映る自分を、厳かに見つめる。
自分がもしユフィーネだったとしても、その目的は変わらない。誰かを憎んでも、誰かのせいにしても、現実はもっと厳しい表情で自分に迫ってくるのだ。そしてもしかしたら、思ってもみない不幸を体感する時が来るのかもしれない。
だからこそ自分を、イムシンを信じて明日に挑んでいくのだ。未来へ突き進んでいくのだ。
何を信じ、何に希望を持ち、どんな気持ちで明日へ挑んでいけばよいか?
人はそれを探し続ける運命にあるのだろう。この時の彼女は、今の自分にふさわしい答えを見つけられたのだ。
罪の重さで体が悲鳴を上げても、この脚は広大な大地の上で何度も立ち上がる力を持っている。この胸は天空を抱く程の大きさがある。希望を掲げ力強く歩を進めよう。
ムニは孤独な道を歩もうとしていた。だが彼女は夜の帳に輝く蛍光のような、小さくも生命力に満ちた明かりを深々と発していた。
そして彼女はようやく寝息を立てるのだった。一体どんな夢を見ているのだろう。
ブレイガイオン
~光と闇~
完




