『 お も か げ 』
「アリエッタには子供がいたのは、間違いないよ。魔族だからね、何となくそういうのはわかるんだよね。というか反対されていたからさ、子がいれば結婚できるかなって思ってさ」
屋敷に戻った息子に、クレディリットはそう言った。
旅に出る前に詳細を語らなかったのは、もしかしなくともわざとだったのか。
怒りのあまり、口元に浮かぶ笑みが歪むのを、自分でも感じていた。
「そう怒らないでくれないか。真剣だったんだから、あの頃は」
「どうだか」
「……お前からすると、確かに私は彼女を見殺しにしたも同然だろうね。彼女がされた全てを知ったのは、全て終わってからという言い訳も、確かに白々しくむなしいばかりだ」
クレディリットは、肩をかすかに揺らしている。
いつになくその表情は、自虐の色を深めているように、ユディには見えた。
当時からすでに魔王と呼ばれる身の上で、好きな娘子一人守れなかったという過去は、他者が創造するよりも深く彼の心を傷つけ、今も血を流させているのかもしれない。
「それで、彼女の子が魔術――いや禁術で生き延びたと知ったのは?」
「直感だよ。身の回りの何もかもを置いて別邸に行った彼女が、唯一持っていったのは長年彼女に仕えていた侍女だった。そして、あの別邸についてすぐに暇をもらい失踪……だからね」
「確かに……何かしら勘ぐりたくはなりますが」
「気がついた時、これは恋文だと思ったよ。彼女から私への、最初で最後の。何通も送った私からの恋文に、彼女が返してくれたたった一通の。だから探したさ、世界中をさ」
「……それで私に出会った、と」
「あれもまた、彼女の導きだったのかもしれないね」
だとしたらユディは、彼女に感謝すべきなのだろうか。あの日、クレディリットと出逢ったことで、ユディの運命はがらりと色彩を変えた。その原因が、あの歌姫ならば。
「しかし、侍女の失踪がどうして子の生存に繋がったのですか」
普通は別のことを考える。
だが、彼は身に覚えがあるとはいえすぐさま子を関連付けた。証拠も何もない。世界中を探し回るにはあまりにも弱い、むしろ存在しないに等しい可能性を、どうして彼は信じたのか。
「そう信じたかったんだろうね、きっと。あの頃の私はまだまだ子供だったから。彼女と結ばれ彼女との間に子を得て、家族で幸せになる未来を奪われたと、信じたくなかったんだろう」
魔王になった一人の少年が、最愛の歌姫と描いた夢。
二人で幸せになること。
そして、たくさんの家族に囲まれること。
けれどその夢は砕かれた。彼女はアリエッタの娘でもなんでもなく、ただ歌姫に踊らされただけの少女だった。あの容姿も魔術で作り出されたまやかしで、全てがでたらめの虚像。
結局、歌姫アリエッタは、子を生む前に死んだのだ。
声を奪われ、四肢を奪われ、世界を奪われ。
医療体制などとても存在しない離島に幽閉されて。
そんな有様で、どうやって子を産むというのだろう。
まさか本当に侍女の一人に、腹の子を移したとでも言うのだろうか。義父の証拠もない直感であり、哀れな一人の少女が思い描いた、くだらない妄言ではないと言うのか。
確かに、もしそうだったならば、あまりにも早い死に理由はつく。
そういう危険な魔術は、その成否に限らず、術者の命を確実に貪りつくす。
仮にそれを行ったとしても、生まれる子の種族は人間だ。身体が作られる前に、人間だった侍女に移したのだから。そうすると、とっくの昔に彼女の子は死んでいることになる。
つまりは、どちらにせよ意味はなかったのだ。
歌姫は死に、生かされたかもしれないその子もすでに死に。
残されたのは、孤独を楽しむ一人の男。
「まぁ、彼女がそうであるとは微塵も思っていなかったよ。トゥルーリア家には一度騙されているからね。私だけじゃない、アリエッタの一件で、かの一族はずいぶん信用をなくした」
クレディリットは、楽しげに笑って言う。
「真実などどうでもいいのさ。彼女と私は愛し合っていて、心は今も共にある。私の花嫁は彼女だけで、私には子がいて、その子の母は彼女に他ならない。ほかには何も、望んでいない」
彼はユディを、ただ静かに見つめていた。
まるでその容姿の向こう側に――亡き最愛の歌姫の面影を見るかのように。




