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『 ま な ざ し 』

 トゥルーリア家の別邸は、人里からかなり離れた山奥にあった。

 周りに集落も山小屋さえなく、森の中を切り開いた道だけがまっすぐ伸びる。そこを馬車で数時間ほど進んだ先にあったそれは、もはや別邸というよりも隠れ家に近いように思えた。

 馬車から降りたユディは、荷物を手に屋敷を見上げる。

 見た目はごく普通の、ただの屋敷だ。

 公爵家の本家所有の別邸にしてはやや地味ではあるが、それでも大きな都では中流貴族の屋敷程度の豪華さはあるだろう。こんな山奥ならば、多少装飾が地味でも致し方ないか。

 その代わりなのか、屋敷の前面に広がる庭はかなり整えられていた。

 長い道の先にあるこの庭は、いきなり視界に飛び込んでその色彩を伝えてくる。トゥルーリア家お抱えの庭師は、界隈でも凄腕の職人と誉れ高い。きっと彼に整えさせたのだろう。

「お庭きれいですの」

「お花きれいですの」

 ユディの傍らには、よく似た容姿の、色の違う二人の少女が立っていた。しかし今は各々に近くの花壇の前にしゃがみこんで、咲き誇る花をキラキラした瞳で眺めている。

 それを眺めてから、ユディは馬車の中にある荷物を引っ張り出す。二人は荷物のことなどすっかり忘れてしまっているのか、きゃあきゃあとはしゃいでいた。

 そういう姿は実に、ごくごく普通の少女と言える。

 同じデザインの、色違いの衣服。長い髪は絹糸のように細く艶やかな金色で、それぞれ毛先にかけてわずかに違う色が滲んでいた。それは、それぞれの瞳の色と同じだ。

 双子の片方は朝陽。

 白い衣服に身を包んだ、朱い瞳の少女。

 もう片方は夜宵。

 黒い衣服に身を包んだ、藍い瞳の少女。

 ユディがそう名前を告げた、人形のごとく見目麗しき双子の姉妹。

 常にユディのそばにいる彼女らは、ユディの妹でもないし身内でもない。かといって義父の養子でもなければ実子でもない。あえて言うなら、ユディの養女――というべきだろうか。

 表向きは『使い魔』ということになっている。

 まだユディが人間だった頃、彼は二人を商人から『買った』。

 奴隷として使役するためではなく、諦められなかったとある目的のために。

 もっとも……二人と過ごす生活の中、ユディは目的を捨てたのだが。

 母を早くに亡くし、己の力だけで彼は生きてきた。

 晩年の母に叩き込まれた、魔術の力。死期を悟った母は、ユディが泣こうと喚こうと、容赦なく魔術を学ばせた。文字通り叩き込んできた。これがお前のためなんだと、泣きながら。

 母をそうまでさせた理由はわからない。

 名も顔も知らぬ、父に関係しているのかもしれない。実はユディの父はそれなりの家柄の生まれで、魔術師として名をはせればユディの存在に気がついて守ってくれるのではないか。

 実の子だと知れば、助けてくれるのではないか。

 そんなことを母は思ったのかもしれない。

 母の思惑はさておき、ユディは一人で生きていく術を手に入れた。

 持ち主のみを守る人形を作り続け、その筋では知らぬ者はいなくなり。貴族のみならず王族からも発注がくるようになって。いつしか彼は『稀代の人形師』と呼ばれるようになった。

 ユディは注文を受けるままに人形を作り、得た利益でさまざまな研究をする、というごく普通の日常を過ごした。傍目には若くして財を築いた、まさしく恵まれた存在だっただろう。

 どこまでも高みに上れる天才だと、誰もが思っただろう。

 ――そんな彼でも、届かない限界はある。

 種族だ。

 どうやっても、人間では至れる高みが知れているのだ。数千年さえ生きられるといわれる魔族と人間では、あまりにも与えられた時間も、体感する時の流れも異なっていた。

 ならば、自分は誰にもマネをできない偉業をするしかない。

 そして彼は今までとは別物の、誰もなし得なかった『人形』を作ることにした。

 すなわち、生きた人形を。

 魔族さえ生み出せていないそれを生み出したなら、ユディの名前は永遠に残る。それは永遠の生といって差し支えない。ただの『才能のある人間の人形師』で終わるつもりはなかった。

 しかし――ユディはそれを捨てることにした。

 人形の素材の一つとして、商人から買った名もない双子。二人との生活で、ユディは違う未来を見てしまった。穏やかに時間を流し、双子の成長を見守り、兄として親として生きる。

 二人はいずれ嫁ぐだろうし、子供も生まれるだろう。

 彼女らが得た新しい家族に見守られながら、手を握られながら静かに死ぬ。

 それでいいじゃないかと、思ってしまったから。

 しかし捨てたはずの目的は、その直後にこの上なく歪な形で達成された。夢を捨てたことを知った双子が、ユディのためにという想いから、実験を強行してしまったのだ。

 人ではなくなった二人のため、ユディもまた同じ実験を身体に施す。

 そして、本来はならばあるはずの無い力を手に入れ、魔族に変じたのだった。

 その時に得た力がユディ――いや、朝陽と夜宵が招かれた理由だ。

 彼に常に寄り添っている『使い魔』たる双子の人形姫。

 歌姫亡き今の世で、唯一その歌姫の詩を制御しうる『アリエッタの娘たち』。

 彼女らの力が、協力が、どうしても欲しいのだろう。

 そうなった背景には、三人が人間ではなくなった原因となった実験に、アリエッタの遺物が使われていたせいだと義父は言っている。実験の副作用、副産物、そういうものだと。

 ユディはせいぜい、人間を辞める程度だった。魔族と成ったことで魔術師としての力が多少は増しただろうが、これという自覚が無いのでおそらくその程度の変動だろう。

 双子の場合は、同性ゆえにユディよりも強く影響がでたらしい。

 アリエッタの詩を、双子は完璧に操ってみせる。まるでアリエッタ本人のように。

 しかし二人に術式の才などない。元は完全なる人間だから仕方が無いが、本人たちにも引き出せない力は、それでも『存在する』がゆえたちが悪い。

 眠っている方がずっとマシだ。起こさなければ封印もしやすい。

 そこで人形師でもあるユディが出てくる。

 双子を『人形』に見立て、ユディが制御するのだ。言うならば指揮者だろうか。それには双子との間に硬い信頼関係が無ければいけないが、三人の場合、それの心配は無用だった。

 二人が謳い、ユディが支え、歌姫の詩を制御する。

 それが、今の三人の生き方だった。

 奇しくも――かつてユディが描いた光景は、叶ってしまったわけだ。

 今となっては、底意地の悪い皮肉でしかないが。

「ユディさま」

「誰かきましたの」

 荷物を全部引っ張り出したところで、同時に服を引っ張られる。

「ユディフォードさまですね。そして……朝陽さまと夜宵さま」

 現れたのは、いかにもといった衣服に身を包む侍女だった。年齢は大体中年、という感じだろうか。ちょうど義父に直属で使える、ナリアという侍女と同じぐらいの背格好だ。

 淑女という言葉が似合いそうだ。

 おそらくはそれなりの、名のある家系の出なのだろう。

「中に入ってお待ちくださいませ」

「……わかった」

 彼女に促されるまま、三人は屋敷の中に入る。

 別邸という呼び名だが、かなりの広さを誇る敷地があった。

 屋敷の大きさも、ユディが所有する別邸よりも大きいのではないだろうか。まぁ、ユディの場合、別邸というよりも工房という感じなので、屋敷の大きさはさほど重要ではないのだが。

 中に入ると、そこは吹き抜けの、広々とした玄関ホール。

 天井からはシンプルだが大きなシャンデリア。いかにもといった感じの内装だ。いたるところにトゥルーリア家の紋章をモチーフにした飾りやらがあるのも、実に公爵家らしい。

 だが、それよりも目が向かったのは、玄関からまっすぐ進んだ先にある広間。おそらくパーティの類では、ここが休憩室か何かになっているのだろうが、そこは明らかに異様だった。

「これは……」

 黒い髪、銀色の瞳。

 そして、うっすらと薔薇色に染まる唇。

 壁という壁に飾られた、一人の少女の肖像。それこそ壁紙のように、彼女はびっしりと飾られていた。彼女を目に入れないですむのは、うつむいている間だけという感じだ。

 優しく微笑むその少女の名を、ユディは知っている。

 いや、誰もが知っている。

「アリエッタ・ライム・エル・トゥルーリア……」

 それはこの別邸の持ち主たる公爵家が、かつて誇った《最高傑作》の歌姫。言葉を、その音を統べるがゆえに、歌声も重視したかの一族に生まれた、まさに神に愛された選ばれた少女。

 その声はいかなる奇跡をも呼び、その詩片は永遠の守護を約束した。

 だが彼女は――。

「これは歌姫さまですの?」

「アリエッタさまですの?」

「あぁ、そうだ」

「そっくりですの……」

「おんなじですの……」

 二人は、たたた、と肖像画の一枚に駆け寄っていく。

 おそらく、一番最後に描かれたものなのだろう。

 年齢に似合わぬ凛とした表情で、かすかな笑みを浮かべる一人の少女の一瞬が、そこにしっかりと描かれている。なぜ残されたのか、理由は定かではない。

「でも、すごく綺麗な人ですの」

「憧れちゃうですの」

 ねー、と互いを見合って笑っている。

 そういうところは、何もなかったあの穏やかな日々と同じままだ。

 あれからもう三桁ほどの年数が流れたが、それとも人間ではなくなったせいなのか、双子の精神年齢はあまり生長をしていない。肉体に関しては、言うまでもなかった。

 ユディもまた、これという変化はない。

 ――ある部分を除いて。

 昔のユディはこげ茶色の髪と瞳の、ごく普通の容姿をしていた。

 だが、今は違う。双子に無かった変化が、ユディに起こっていたからだ。力ではなく別のところにアリエッタの影響が出ていた。だから二人が、ユディを見て『そっくり』という。

 艶やかな白い床。

 そこに反射するうつむいた己の顔。

 長く伸ばされた黒髪。そして月のようだと義父に言われた、銀色の――。

「ユディフォードさまですね。お待ちしておりました」

 そこに、初老の男性――おそらく屋敷の執事がやってくる。

 数名の使用人も、その背後に控えていた。彼らは静かに、すばやく動き、ユディたちの荷物をさっと受け取った。そしてあらかじめ決められているらしい、二階の客間に向かう。

「お部屋の準備が整うまで、こちらでお待ちくださいませ」

「……一つ、たずねてもいいか」

「はい。何なりと」

 男は底の知れない目で、ユディを見ていた。

 そこに義父に似た気配を感じ、居心地の悪さを覚え、視線をそらせたくなる。

「もしやと思うが……私が、主賓か」

 義父はユディが呼ばれたと言っていた。だがユディというよりも、自身の力を制御する術を持たぬゆえ、彼から離れられない双子こそが目当てだろうと。それはユディも同意見だった。

 どちらかというとユディはいつも添え物だ。

 魔術でいうなら素材の一つ。

 術者はあくまでも、朝陽と夜宵の二人なのだ。

 しかし目の前の男は、はっきりとユディの名を呼んだ。そこの朝陽と夜宵に気づいていないはずがないのに。だからユディは、この問いかけに否定が欲しかった。

 しかし、男は小さく頷いて。

「左様にございます。……ゆえに、準備に少々時間がかかります。そちらのご令嬢は予想外でしたので、ユディフォードさまお一人用の客間しか、準備ができていないのです」

「仮にも公爵家所有の屋敷だ。客人は多いのではないか?」

「以前は……ですが、今はもう、誰も訪れようとはいたしません」

 だろうな、とユディは心の中で思う。

 魔族にとって、アリエッタという存在はある意味で最大のタブーだ。一応トゥルーリアの系譜に名前は残っているが、その存在が語られることは少ない。

 アリエッタという歌姫は、その悲惨な生涯無しに語ることはできないだろう。

 彼女には十三ほど年の離れた、幼い弟がいた。彼女は弟を可愛がり、その誕生日に詩を送ろうと半年もかけて考えた。そしてそのお披露目の日、悲劇は唐突にやってきた。

 いくら年齢にわりに大人びていても、所詮彼女はまだ十四歳。

 その年齢では、人間も魔族も精神年齢は同じだ。

 十四歳の少女にとって、両親とは未だ何物にも変えがたい『愛を乞う相手』だった。自分をもっともっと見てほしいと、彼女は無意識で思った。あるいは自覚していたのかもしれない。

 だが、両親は幼い息子ばかりを見た。

 娘も愛していたが、どうしても後回しになってしまった。

 そんな積み重ねが心の黒ずみになり、アリエッタの詩にしみこんでしまった。

 詩は、感情次第で大きく変動する。同じ詩、同じ詠み手でも、その時の感情で得られる結果は異なってくる。それが言霊の難しいところであり、他にはない最大の特徴だった。

 些細な悪意、些細な憎しみ。

 それがもたらしたのは、死だった。

 時を止めたように息をしなくなった息子に、両親は半狂乱になった。

 疑いの目は、姉であるアリエッタに注がれる。

 彼女は否定も肯定もせず、唖然とした様子で動かない弟を見ていたという。

 アリエッタの両親は、すぐさま娘をこの屋敷に幽閉し、誰とも会えないように全ての連絡手段を断ち切った。そして数ヶ月もしないうちにここから離島へと移動し、そこで処刑した。

 魔族としては異例の若さで、彼女は世を去ることになったのだ。

 罪人のように、処刑という形をとって。

「しかし……どうしてそのアリエッタ嬢の、娘とやらがここに残されている。そして、なぜ私を名指しで呼びつけた。朝陽と夜宵ならともかく、私個人はアリエッタとは縁がない」

「それはお嬢様に、直接お尋ねくださいませ」

「では今すぐ会おう」

「お嬢様は現在お休みなさっております。夕食の時に、お会いになると」

「……わかった」

 部屋に行く、とユディは背を向ける。

 彼が言う『お嬢様』とは。おそらく義父の言っていたアリエッタの娘だ。

 いるはずがない、いや生まれているはずがないあの歌姫の娘。あれほどにアリエッタという名前そのものを恐れたトゥルーリアが、手にかけることもできず隠すしかない存在。

 そんな相手に会うのだ。

「準備なしにつっこむのは……油を被って火に飛び込むようなものだな」

 そのつぶやきに、不思議そうな顔をする朝陽と夜宵。

 何でもない、と頭をなでて、ユディは普段あまり見せない笑みをこぼす。そして三人は階段のそばで待機していた侍女に案内されるままに、あてがわれた客間へと向かった。

 それを、不安そうな表情で眺める気配に、気づくこともないまま。

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