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『 う た ひ め 』

「実はね、アリエッタは私の恋人だったんだよ」

 それは魔族という種の頂点に君臨する、人間に魔王と呼ばれる存在、クレディリット・マリアス・ル・ジェストフェリの、突然にして衝撃的な告白だった。

「……は?」

 向かい側にいた彼の義理の息子は、思わずその手からカップを落としかける。

 別に恋人がいたとか、いるとか、そんなことはどうでもいい。同性ながら壮絶に魅力的である義父ならば、それこそ相手には事欠かないほど引く手数多なのは誰でも予想できるからだ。

 問題は、恋人だったと言った、その相手の名だ。

「……正気ですか?」

「あぁ、正気だよ」

 クレディリットは、優雅に紅茶を飲む。

 その顔に慈悲深くも底の知れない、意味深な微笑みを浮かべながら。

 ユディ――ユディフォード・オーリェス・ジェストフェリは、正直、この義父がどうしても苦手で仕方がなかった。決して嫌いではない。だがどうにもやりにくい相手だった。

 全てお見通しだ、と言いたそうに細められる赤い瞳。緩やかな癖のついた金髪。そして人間に換算すると中年の域に達しているにも関わらず、まるで衰えないその美貌。

 絵に描いたような貴族、そして君主。

 嫌だと思いながらも、なぜか彼の命令に逆らえるものはいなかった。

 元人間で忌まわしい過去を持つユディを養子に、挙句に後継者にするといっても、苦言をもらすものこそあれど、表立って反対の意思を示すものは今のところ出ていない。

 いっそ出てきてくれたなら、ユディは喜んで義父に自体の意思を伝えられるのだが。今のままでは反対者がいないじゃないか、という一言と、有無を言わさぬ微笑の前にばっさりだ。

「それでね、ユディ。お前に一つ行ってほしいところがある」

「はぁ……」

「アリエッタが生前暮らしていたという、トゥルーリア家の別邸だ」

 そこにね、とクレディリットは、少しだけ真面目な顔をする。

 いつの間にか声は小さくなり、まるで密談のようだ。

「先日、トゥルーリア本家からどうしてもお前をそこに行かせてほしい――という手紙が届いたんだよ。そこに君に逢いたがっている、一人の令嬢がいらっしゃるそうだ」

 差し出された封筒。

 そこには、トゥルーリア家の家紋が記されている。

「かの一族が跡形も無く屠ったはずの、歌姫アリエッタの『娘』を自称する少女。それがお前を呼んでいる令嬢の素性だ。どうやらあの屋敷に、彼女はずっと幽閉されていたそうだよ」

 その言葉に、ユディは絶句する。

 それはあってはならない、あるはずがないことだったからだ。

 公爵家トゥルーリア。言霊を統べるかの一族の別邸。そんな場所に暮らしていたアリエッタという名前を、ユディはある少女以外に思いつくことはできなかった。


 ――アリエッタ・ライム・エル・トゥルーリア。


 それは、齢十四で全てを失った、言葉を統べる血統の《最高傑作》。

 この世に今も呪いと紙一重の祝いをもたらす、悲劇の歌姫の名であった。

 美しく艶やかな黒髪、星のようにきらめく銀色の瞳。

 闇に属する種でありながら、神に愛された娘と呼ばれたほど、彼女は美しかったという。

 だが彼女はすでにこの世の人ではない。

 ユディが義父と出会う、それよりずっと昔に亡くなった存在だ。

「……亡くなられた時、十四だったと聞きますが」

「ユディ、私の母は、私を十三で産んだよ。庶民はともかく、貴族の間では十四は充分に『大人の女』として機能すると見られ、嫁にも行くし、子供を生む義務も背負うものさ」

 確かにユディの知人には、かなり幼いうちに結婚してしまったものもいる。所詮、貴族間の婚姻など政略以外の何者でもなく、子孫繁栄を重要視するゆえに産めるなら産まされる。

 しかしあのアリエッタだ。彼女の実子など、噂にも聞いたことがない。ましてや目の前の義父はさっき、彼女が恋人だったと宣言したのだ。それも、ユディにとっては寝耳に水だ。

 義父の幼馴染にして理解者である侍女のナリア曰く、若い頃のクレディリットはかなりやんちゃな性格だったらしい。良くも悪くも無邪気で、自分の思うままにふるまっていたと。

 欲しい物があれば手に入れようとすぐさま動く彼が、もしも人を愛せば。

 何が何でも手に入れようとするだろうし、あの美貌ならば入手など容易かっただろう。

「まさか……貴方の子、だと?」

「ふふ、安心したまえ。私の後継者はお前だよ。それに噂では娘だそうだし」

「別にそういう意味では……」

「ともかくトゥルーリア家が、どうしてもお前をよこしてほしいとうるさいんだ。お前というよりも、あの二人が目当てなんだろうけどね。娘同士、何か影響があるかもしれない、とか」

 死ぬほど面倒なことに巻き込んですまないね、とクレディリットは苦笑する。

 だが、相手の魂胆はわかった。

 アリエッタ絡みなら、ユディとあの二人がいくしかない。

 すぐに準備します、と言い残して彼は席を立った。その背中を、クレディリットは不気味なほど優しい目で見つめている。時折、ユディに向けられる奇妙な愛がこもった目だ。

 もしかすると家族が欲しくてユディを養子にしたのかもしれない。だったら、さっさと結婚すればいいと思うのだが……若くして世を去ったアリエッタを、忘れられないのだろうか。

 まぁいい、とユディは自室に向かう足を速める。

 義父のプライベートや過去に、さほどの興味はない。アリエッタとの関係は気にならないといえば嘘になるのだが、逆に自分と二人を手中に収めた動機らしきものは見えた気がする。

 歌姫を忘れられず、それに関係するものを手元に置く。

 義父の性格なら、実にありうる流れだった。


 ユディはその日のうちに、トゥルーリア家の別邸へ出発した。

 別邸にいるとされるアリエッタの娘。それがクレディリットの子なのか否か、明確な答えをもらっていないと気づいたのは、別邸を目前にした馬車の中でのことだった。

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