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六、深夜徘徊

 布団から出て窓を開けると、サァサァという雨音が、より一層はっきりと千央の耳に聞こえてきた。いつも見ている庭の風景とは違い、今夜は雨の白い線が余すところなく引かれていた。そこはしつこいまでに定規で縦を引かれている世界であった。

 同室の二人は、規則正しい寝息をたててすでに眠っていた。なんだか喉が渇いていた。そして、千央は急に空腹感を覚えた。そういえば昨日は夕飯を食べそこねたのだ。

 倒れた後、千央は近所にあった個人商店で休ませてもらい、水野さんの車で病院へ向かった。そこで点滴の治療を受けて増田家に帰ったのだが、くたくたに疲れていてその後すぐ寝付いてしまったのだった。病院の先生の話では、水分不足と暑さのせいで熱中症になってしまっていたらしく、夏の水分補給の重要さと熱中症の危険について、先生に長々と注意されてしまった。話を総括すると、馬のように飲み食いしろ、ということらしかった、千央には少なくともそのような意味に聞こえた。その先生は「そのおかげで毎年僕は夏バテ知らずですよぉ、アッハッハッハハ」と出っ張った腹を揺すって笑った。

 さて千央は、階下の真っ暗な台所に行き冷蔵庫を漁っていた。ここの台所はとても古かった、壁側にコンロや流し台があるのだが、ガス周り一帯には古い茶色の油汚れが堆積し、もはや一種のコーティング材になっていた。多分そのせいで物の角は丸みを帯びて、部屋中が常に油臭かった。そして流し台は劣化して水を出す度シンクがバンバン音とをたて、とてもやかましかった。廊下側にはカウンターのような形で窓がついていて、千央たちが普段食事をする部屋と繋がっている。そっち側には比較的新しいと思える一升炊きの炊飯器と、銀色の扉の巨大な冷蔵庫とが鎮座していた。しかし、その冷蔵庫の中身は生肉や生玉子くらいで、すぐに食べられそうな物は何も入っていなかった。あまりにすっからかんなので、ここはまだ夢の中じゃないか、と疑ったくらいだった。

 冷蔵庫がブゥーンと唸り、千央はあることを思い出した。あの控え室には毅が食べまくっていたお菓子が沢山あるはずだ。そして、あれを食べればいいんじゃないか、と。状況が状況だし、クッキー2、3枚くらいなら、黙って食べても次の日ちゃんと言えば怒られはしないだろう、と千央は理由をつけて考えた。

 そうと決めたら、早速控え室に千央は向かった。控え室は台所からそう遠くない場所にあった。千央はあのカーテンの側に立って開けようとしたが、何かに邪魔された。また中から生き物の気配がするのだ。だがしかし、腹が減ると気が短くなる人がいる、まさに今の千央がそれだった。すでに頭の中は食べ物でいっぱいで、特別それについて考えることも躊躇することもなく、千央は黒いカーテンを開け、警視庁特捜部並の迷いのなさで控え室に乗り込んだ。

 案の定、中には人がいた。その人は毅に会った時と同じ場所で、磨りガラスから洩れる月明かりの元、何かを熱心に読んでいる。青い寝間着姿だった。それは最初のお尋ねの時千央と睨み合った、あの女の子であった。確か、名前は季生とかいったか。

 季生はこちらに気づいて少し驚いた顔をしたが、すぐに親しげに微笑み、こう言った。

「お早う」季生は千央の腕の点滴の後を見ていた。千央が病院に運ばれたことを知っているのだ。「起きたんだね。もう気分はいい?」

 千央は蚊の鳴くような声で“はい”と頷いた。多分聞こえたと思う。

「本当よかったねぇ。死なないで」と大袈裟に彼女は言った。

 まさか死ぬほど症状が重かったとは思えないが……、千央は少し笑って頷いた。しかし、困ってしまった。これでは何も食べれない。だが、こちらから言うまでもなく、上手いことあちら側から聞いてくれたのだった。

「もしかしてお腹空いて目が覚めちゃったの?」

 千央は頷いた。

「だよねぇ、晩御飯食べずに寝ちゃったもんだから……。でももうすぐ朝ご飯だから、我慢した方がいいよ……ってまだ二時台じゃないの」彼女は時計を見ながら自分に突っ込んだ。時計はデジタルで2:18と表示していた。

「いいわ。私もお腹すいてたし、カップ麺でも作ってあげる。というかそれしか作れないんだけどね、うん。ちょっと待っててね」と言って立ち上がると、季生は騒々しい音をたてて、部屋を出て行った。

 千央は駆け足で行ってしまった彼女の後ろ姿を見ながら、よくわからないがなんだか良い人らしいなと思った。と同時にとてもドジらしいぞとも気づいた。季生は大きな茶色菓子缶を大きく蹴り飛ばし、読んでいた何かのファイルを根こそぎひっくり返していった、それが辺り一面散乱していた。千央はそれを拾い集めた。重い灰色のバインダーには何かの資料が大量に納められていた。その中身には千央はてきめんに見覚えがあった。そういえば以前、毅が台帳はここに置いてあるということを教えてくれたのだった。千央は興味をそそられ、何回もページをめくり、霊能者版カルテとも言えるそれを見ていった。

 紙には弁当箱のような区切りの中があり、それぞれ性格、体調、家系などがかいてあり、その人の相談事が一枚でわかるようになっている。内容は病気、人間関係の話が多いようだ。カルテは基本的に文字だらけだが、あるコーナーにお子様ランチのおまけのような感じで憑きものの絵がちょこんとついている。これはあの子が描いたのだろう。季生という人は本当に絵がうまいなぁと感心しながら、次々に千央はファイルをめくっていった。千央も一回目の面談の時に描いてもらったが、鳥の顔をした青白いエジプト風の兵隊や、人面蜘蛛、何かを避けようとする綿ウサギだったりと、人によってそれぞれ違うモンスターがかかれているので、見ていて面白かった。他にも猫やヘビ、山羊などがあった。

 それに、このモンスターたちにはバトルものの少年マンガみたいに、それぞれ一つずつ火水木土の属性があるようだった、脇にそういう印がうってある。見ているうちに千央はあるパターンを発見した。おそらくこの印は家での宿題に関係あるらしいのだ。属性が火の場合お香を焚くのを勧められている、水の性質がついている場合は、下水管に酒と塩を流して清めるらしい。これらは霊を慰めて次の面談まで悪い作用を抑えておくという効果がある、と霊能者に以前千央は聞かされたのだが、ただこの属性をどんな基準で決めているのかが謎だった。多分だが、会った印象で適当に決めているんじゃないかと千央は考えている。あの時、千央が反抗的な態度でいたから火になったのではないだろうか?反対に元気が無かったら水になるわけだ。どうだろうか……?今度毅にきいてみようかな、と思った。

 千央がファイルに覆いかぶさり、夢中になって見ていると、なにやら人の気配がした。目をあげると側には季生が立っていた、いつの間にか戻ってきていたのだ。彼女はファイルを勝手に見ていたことには何も言わなかった。手にはカップヌードルと箸を持っていて、千央に一組くれた。ラーメンは湯が入っていたので暖かかった。

「それ、自分のはあった?」彼女は千央の向かいに腰を下ろしながら聞いてきた。

「ないです。探してはみましたけど」千央は首を横に振り言った。

 今のところ千央は自分のカルテ、知り合いのカルテ、どちらにも遭遇してはいなかった。もともと特に名前を気にして見ていなかったのと、年代順がバラバラな上、あいうえお整理もされていなかったので、探す気も失せるというものだ。とりあえず自分のものは探したが、それさえ見つけられなかった。

「そうだよねぇ。ちゃんと整頓してないもん。これじゃ不便だっていつも言ってるのに」季生はそう言って首を竦めた。ちょうどその時、季生の腕にあった電光時計が鳴り出し、3分が経ったことを伝えた。

 さぁ食べよう、と季生はラーメンの器のフタを剥がして開けた。千央はそれを見て笑った。季生は大きなかまぼこを逆さにしたような形の古くさい眼鏡をしていたのだが、それがラーメンの湯気で曇ったのだ。彼女は照れたようにニヤと笑って、眼鏡をはずして言った。

「そういえば、名前聞いてなかったね。私、増田季生子、毅のいとこ。今年で十六。あなた名前は?」

「えーと、小千谷千央といいます」千央は頭を軽く下げた。

 彼女は中肉中背で、長い黒髪を真ん中分けしていた。そして下膨れの顔をしていたが、顎は細く尖っていた。そのふくふくとした頬だけで下膨れの形を作っているのだからすごい、それは頬袋に餌を詰めたハムスターに、ちょっとだけ似ていた。

「これはあなたが描いてるんですか?」千央はファイルの絵を指して聞いた。“そうだよ”と季生子は答えた。

「へー!!すごい」千央は感嘆の声をあげ、「うまいねぇ」とボソリ呟いた。季生子の喋り方が移ってしまったようだ。



 その後二人は黙って麺をチュルチュル啜っていたが、

「そうだ!思い出した。新しい客の名簿はあっちに置いてあるんだ!!」といきなり季生子が膝頭を打って立ち上がった。

 思いついたからって、本当に膝を打つ人を千央ははじめて見たのだった。季生子は黒いカーテンの端をすり抜け、隣室の占い部屋に入っていった。千央はカーテンから頭だけを出し、そのようすを覗いた。

 夜の占い部屋は静まり返っていた。ステージには白い紙のテープで結界のようなものが張ってあり、黒檀の文机の上にはグラスに入った透明な液体と、小さいお茶碗(おちょこか?)にご飯を円錐形に盛ったものがお供えしてあった。千央はハイハイして、文机のところに行くとグラスの液体の匂いを嗅いだ、どうやらこれはただの水のようだ。

「ゴメン、見つからないわ」その横で季生子は、辺りの木箱やらを手当たり次第開けたり、ひっくり返したりして探していたが、結局見つからなかったようだった。 特に頼んではないんだけどなぁ、と千央は思った。もしかしたら自分の描いた絵を見て褒めて欲しいのかもしれない、そんなことは朝メシ前だが、もちろん両方とも口には出さなかった。

 二人は再び隣室に帰ると、残ったラーメンを食べた。お腹一杯になると、千央は足先をメトロノームのように振り大あくびをした、体がとても暖かかく、とても良い心持ちになった。また疲れを感じてきたが、今度は心地好い眠気を伴っていた。

「眠いのなら寝たら?あと三時間は寝られるよ」眠そうな千央を見て季生子は言った。壁の時計は午前三時であった。千央たちの早起き習慣づけ作戦はまだ続けられていたのだ。

 部屋まで戻る際、千央は日記を付けていないことに気がついた。それで川つりのことを書こうとしたのだけど、色々複雑すぎて、結局止めてしまった。

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