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二十五、アリジジ

 次の日、青空には朝日が登り、一方千央たちはいくつかの持ち物と食料を持参し、アリジジのいる山へと登っていた。

 ちなみにアリジジとは、まず彼の顔形(とは言え、はっきりとはわからないのだが)や、だぶだぶの服を着た見た目などがアリババと40人の盗賊に出てくるアリババの挿絵になんとなく似ていると伊鶴が言いはじめ、結果付いたあだ名である。そこからさらに普通に話していると十代に見えるが、思案顔でいると顔中を被う髭のせいか、どこまでも老け込んで見え、それがお爺さんみたい、とアンコが指摘し、それでアリババとジジィで、アリジジという風になった。アリジジは昨日申し合わせた通りに、最初に見つかった落とし穴の側にいて、大人しく座って待っていた。彼は肘をつき、背後の石に寄り掛かり、大変くつろいだ様子であった、そして千央たちを見つけると、嬉しそうに手を振った。

 毅は早速持ってきていたオレンジ色のTシャツを渡した。これは毅がパジャマ代わりに着ていたもので、かなり大きめのサイズのものだった。それから毅は彼の汚れた衣服を引き取った。病院から脱走した時から着たままであろうそのシャツは、汗やら泥やらでとても汚れていた。

 アリジジはTシャツを着替え終えると、千央たちが持ってきていたペットボトルの水を少し手に取り、目の周りを擦って洗った。顔に密集して生えた白い毛に水滴がつき、それは太陽の光をうけて、輝いていた。

 いくらかさっぱりとした様子のアリジジを見るや、千央たちは早速この奇妙なことの顛末、というかなりゆきをことの起こりから今まで、なるたけくわしく話して聞かせようした。

 アリジジが疑われ特別警戒されている理由、なぜヤギを解剖したのか、それが悪魔祓いの儀式だと一部で取り上げられたことなどを。アリジジはそれにとても興味があるよ、と聞く気満々の興味津々の顔をしていた。

 これこそ授業中に生徒が求められる理想の姿なのだろう、アリジジの顔を見て千央はそう思った。

 まず最初に公平が切り出した。「最近、ここらへんで精神病院増設の反対運動があってたことは知っていますよね?」

「ああ、それは知ってますよ」アリジジは頷いた。

 それなら話は速いと、千央たちは安堵した。だがそもそも考えてみれば当事者にある入院患者たちが知らないはずがないのだ。

「でもそれがどうかしたんですか?」アリジジは少し笑って言った。「今の僕らに何か関係が?」

 それが大有りなのだ。よしば精神病院増設反対運動は千央やアリジジをこのような状況にした原因の大きな一つなのである。

 毅は話を始めた。

「いや、その方が都合が良いから、ちょっと聞いてみただけです。えーと、そもそもうちを取材したいって人に声をかけられたのが始めで」

「待って、違うよ。その前に部屋を貸したことを話さなくちゃ」慶幾は話を遮った。「反対運動の集会に使う部屋がないというので、一度集会の場として貸したことがあったんです。その後、大学から取材がきて、除霊するところを撮って行ったんですけど、それがひどいんです!!その時の映像が出鱈目に利用されちゃって……」

 慶幾は語気も荒く訴えた。話が本題から少し逸れ始めていたが、しかし間違いなくそれが、この騒動の一つの始まりになったわけだ。千央は自然と頷いていた。

 話の途中だったが、アリジジはそれを止めた。

「ちょっと待って、話が飛びすぎて何のことだかわからない。除霊って……?何を?言っているのは反対運動の取材じゃなくて?」

 困惑しながら慌てて聞き返すその様子に、皆は少し驚き、思い出した。

 まぁ、なんということだろう。反対運動の件に気を取られて、霊能者のことはすっかり忘れていた。まずそこから説明しないといけないようだ。なんて面倒臭くまどろっこしいのだろう。しかしそれが普通の感覚であるということを、千央はすっかり忘れていたのだった。

 公平は思案しながら言った。

「え~と、僕らの親はある霊能者の信者なんです。僕らは今その霊能者の家が企画した集まりに参加している最中なんですよ」

 聞きながら千央はなんだかミジメな気分になった。

「はぁ……?」 アリジジは言った。どうやら、のっけから引かれてしまったようである。

「霊能者、というとアノ霊能者?」

 アリジジは聞き、千央たちは頷いた。彼がどのような姿の霊能者を思い浮かべたのかはわからないが、千央は別段、補足する気にはなれなかった。

 公平は一本調子で話を再開した。低くてぼそぼそとした話し方であった、しかし集中していたのか、不思議と聞き漏らすことはなかった。

「とにかく霊能者のうちは何度か、反対運動の集会に利用されていたんです。それである時、大学で地域宗教学かなんだかを研究しているって男に声をかけられた。その人は霊能者本人には秘密で人を見る様子を取材したいと言っていて、僕らはその手引きをしたんです。本当なら紹介が必要なのを省いてやったりして。そしてその取材からしばらくたった後、テレビを付けたんです。そしたら……」

 公平は唾をごくりと、飲み込んだ。千央も息が詰まる思いだった。

「そしたらなんでか、霊能者がニュースに出てたんです。紛れも無く、あの人たちの取材を受けた時のやつがですよ。その番組ではなぜか、反対運動はこの宗教団体が扇動していることになってたんです。僕らは本当にびっくりしました」

 公平の話しは唐突な尻切れトンボで終わった。しかし、それなりに状況は説明できていたと思う。 アリジジは始めのうち、困ったように苦笑いして聞いていた。だがやがて奇妙な表情を維持しつつ、黙りこくっていった。少なくとも良い印象を持っていないのがわかった。

 しばらく皆は沈黙を守っていたのだが、いきなり伊鶴が長い指をひらひらさせてアブラカタブラ……と囁き、魔女のようにヒェッヒェッと笑った。その場違いで唐突な態度とアリジジの深刻気な困惑具合との対比がおかしくて、千央たちは肩を揺すって笑ってしまった。

 一笑いの後、アリジジは気を取り直したようすで、切り出した。

「話の内容はだいぶ飲み込めましたよ、多分。すごく変で面白い話だとは思う。でも僕が危険だと言われているのにはそれは関係はあるんですか?」

 全然無いな、と千央は思った。公平は言った。

「いや、あんまりありませんね。山でゴッチの死体が見つかったのはそれから少し経ったあとなんです。近所の人たちはあなたの仕業だと思ったみたいで大騒ぎでした。本当はこいつらが(言いながら、公平は千央と毅を見た)やってたみたいですけど、僕もあの時はそう思っていました。なぜなら、最近ここらで空き巣が多発してたんです。食べ物も盗られたらしいし、他には鎌とかもね……」

 いや待って、と千央は思った。アリジジがゴッチ解剖の犯人だと疑われていることと、霊能者が反対運動の扇動だと思われていること、この二つの事柄は全く関係が無いとも言えないのだ。というのも、この間見た雑誌にヤギの死体の周りに悪魔祓いの痕跡が云々、というようなことが書いてあったことを思い出したのだ。しかし、どちらにしても間違った情報なわけだから、言ってもしようがないだろう。



 さて、午後過ぎから千央たちは昨日話していた骨のある墓へと向かうことになった。話を聞いたアリジジも一緒に行きたがったので、普通の道は使えず、一行は山の中を横切って行くことになった。遠回りにはなるがアリジジを人目に触れさせるわけにもいかなかったからだ。

 この山は杉の木がとても多く、当然ながら杉は落葉樹なので、地面全体には痩せたリスのしっぽのような枝が降り積もっていた。それも、これでもかというほど厚く大量にあり、そこを歩く時はまるでスプリングベッドの上を渡っているようだった。

 また、それを突き破るようにしてイネに似た葉や、蔦のような植物が生えていた。「近所に出てたドロボウって、やっぱりアリジジだったの?」

 こんもりとした枯れ草の山を踏まぬように気をつけながら、伊鶴はアリジジにこう尋ねた。そのような場所は居心地が良いのだろうか、千央たちが体重を掛けて乗ると、わずかなすき間から小さなクモが這い出てくるのだった。

「そうですよ、僕です。生きるために食べ物は必要だったので。もちろん申し訳ないとは思ってたんですけれど……餓えには勝てなくて」

 アリジジは答えながら、首を振った。質問に対し、アリジジはこのように罪をあっさりと認めたが、後から独り言のように言った。

「でも、変ですねぇ。鎌とかの武器は盗ってないんだけどなぁ」そして、ズボンのポケットをおもむろに探りながら急に声を大きくした。「だって、武器はもう持っているからね」

 ワッ、と伊鶴は声をあげて、アリジジの側から逃げ出した。他の子も心底びっくりして、顔を見合わせた。しかし、アリジジがポケットから取り出したのはただの石ころであった。

「どんな時でもユーモアは忘れずにってね。アハハ」

 アリジジは爪のような形をしたその石を取りあげて笑った。

 正直、全然冗談になっていないと千央は思った。公平もそう思ったようで、呆れてこう言ったのだった。

「こういう時、そういうユーモアはいらないすよ」皆はこれに同意して、一斉に頷いた。伊鶴はそうだそうだと言った。

「ところで、アリジジは今まで一体どうやって生活をしてたんですか?」

 真琴は細長い枯れ枝を拾って、それを振りながら聞いた。

「どうって……、山の中をただひたすらさ迷い歩いて、喉が渇いたら川で水を飲んだり、お腹が空けば食べ物を漁って、眠くなったら寝て……浮浪者というよりは人間でない、まるで野生生物のような生活でしたね」

と、アリジジは言った。

 この“野生生物”という例えはかなり的を得ていると千央は思ったのだった。野生生物といっても肉食のライオンやチータなどではなく、シマウマやキリンなどの草食動物である。なにせアリジジはこの数週の間、村の人たちから狩られる立場にあったのだから。それに、アリジジの特異な容貌を見ていると益々そう感じる。千央はアリジジの顔にビッタリと張り付いた銀髪の剛毛を見て思った。すると急に白毛だったゴッチのことが思い出され、なんだかアリジジが今にもメーメーと鳴き出しそうに思えてきたのだった。

「夜とか、一人でいて怖くはなかった?」

 千央は聞いた。真夜中の真っ暗な山で、一人取り残されていることを考えるだけで、千央は恐ろしかった。それとも、アリジジくらいの年齢になれば暗闇など自然と平気になるものなんだろうか?千央はまた考えていた。けれどもそもそも、千央はアリジジの歳がいくつか知らないのだった。

 この疑問に対して、アリジジは気楽なようすでこう答えた。

「いや、得には。唯一恐ろしかったのはいつだったか、夕方川に近づいて蚊の猛襲を受けた時ぐらいですね。服にも口に入ってくるし。それにあの後しばらくはかゆくてかゆくて、気が狂いそうになりました。薬も無いしね」

 そして、不意にアリジジはクスリと笑った。

「なんて、僕がこんなことを言うのも変な話だけど」

 しかし、流石子供と言うべきなのか。ほとんど全員がアリジジの今言った自虐的発言の意味が分かっていなかったらしく、慶幾がまたすぐ新たな質問をした。「あの、逃げている最中、人には会いませんでしたか?ずっとあなたを探して随分たくさんの人が山に入っていたはずなんだけど」

 アリジジは考えるように黒目を上の方に向けた。

「うーん。確かに気配は感じてました。盗みに入った時も、山にいる時も。ですがはっきりと姿を見定めたのはあなたたち二人が最初です。あまりに人には会わないものだから、僕はむしろ少し寂しくなったりして……」

 しかし、この運の良さがアリジジを今まで逃げのびさせたのだ。

 それにしても……、真っ暗な山へ着の身着のまま逃げ出し、長く不便な野生生活に我慢ができるくらい、そんなに精神病院とは嫌なところなのだろうか?千央は以前にも占い師の元に通うくらいなら精神病院の方がまだましだと思った覚えがある。しかし案外とそうではないのかもしれない。千央はそう考えながら歩き続けていた。



 その後千央たちは喋りながらいくつか坂を下り、またいくつかの坂を登った。そのうち周りの木々は杉から竹に変わっていった。しばらく歩いた後、千央たちの進行方向に竹やぶに紛れて、茶色の竹製の囲いが出現した。

 千央たちは転ばないよう気をつけながら柵を乗り越え、墓場に入っていった。

「こっちだよ」

 毅に導かれてアリジジを含む千央たち8人は、骨があるという奥の方まで歩いて行った。この墓場も他の例にもれず、灰色、または黒っぽい墓石が等間隔に並んでいた。しかしすっかり荒れ果てて、そろって石のツヤはなくなり、砂ぼこりがついてしまっているのか、表面は粉を吹いているようになっていた。

地面は草がぼうぼうとしてのびっぱなし、端っこの竹やぶに近い場所にあるお墓には枯死した竹が積み重なっていてかなり陰気臭かった。このようすに幽霊なものアレルギーの千央でさえ、ご先祖のバチが当たるのではないか、と心配したのだった。

「この場所に骨があったんだ」毅は中ほどまで進んだ角地にある、小さなお墓を指で差し示した。

 これは高さが他のものの三分の一ほどしかなく、横に長い墓石と台座だけのもので、四角い石の積まれて作られた台座には乱杭歯のような隙間が空いている。

 アンコは早速、地面に膝を付けて屈み込むと、土下座のような形でその真っ暗な隙間に顔を近づけて覗き込んだ。 アンコの髪は垂れて、地面に着きそうだった。その後ろで千央はワクワクして待っていた。

 だが、アンコは言った。「ねぇ、見当たらないけど。骨なんて」

 アンコの声は空洞の中に響いて、くぐもって聞こえた。

 えー嘘だ、と毅が言い、今度は毅が地面に突っ伏した。そしてこう言った。

「本当だ、なくなってる、からっぽだ」

 それから千央たちは交代で次々と穴を覗き込んだ。

 やがて千央の番もきたが、確かに穴の中には少し湿った地べたがあり、暗闇の中数本の貧弱な雑草が生えるのみで骨のカケラも見つけられなかった。

「おかしいなぁ……」毅は首を傾げた。

「本当にここで間違いないの?」真琴の質問に毅は頷く。

「うん。僕の記憶ではここで一番小さな墓のはずだから。他にないでしょう?こんなに小さいの」

 千央は周りを見渡した。毅の言う通り、これが一番チビなお墓のようだ。

 慶幾は言った。「もしかしたら、バクテリアかなにかに分解されて土に還ったんじゃない?」

「いや、それはいくらなんでも早過ぎだよ」と、アリジジ。「骨はそう簡単に消えないって」

 しかし千央はそうだろうか、と思った。千央は以前、通学路の途中にあるツツジの生け垣の中でスズメの死体を見つけたことがある。見つけてすぐのスズメはとても綺麗で茶色い羽を掛け布団のように広げ、まぶたを眩しそうに細めており、死んですぐに見えた。 しかし、数日経つと死体にはすごい数のアリがたかっており、もはやスズメではなく黒い鳥のように見えた。数日後には肉どころか羽まで失われており、スズメは全身骨格標本になっていた。このころまでに、千央のスズメに対する興味は大方失せていた。

 そして次に千央が気づいた時にはとうとう骨すらどこかに消えてしまい、その場所にはスズメの跡すら残らなかった。ここまで数週間くらいしかなかっただろう。だから死体というものは案外とすぐ姿を消してしまうものなのではないか、と千央は思ったのであった。

「そうだ、いいこと考えた」

 伊鶴は突然そう言って林の中へ消え、長い手頃なサイズの枝を持ってきた。そしてそれを墓穴へ突っ込み、中の土を力任せに掘り始めた。

「止せよ。墓荒らしだぞ」公平がやんわりとした調子で止めたが、あんまり効果はなく、伊鶴は「地面に埋まっているかも」と言って構わず掘り進んだ。

 伊鶴はしばらくガリガリという音をたてていたが、やがて嬉しそうな声をあげた。彼は何かを掘り当てたようで、それを枝で持ち上げた。

 その大きさは大人の握り拳ほどの丸っこい骨は、確かに何かの頭蓋骨のようだった。目玉が入る二つの穴と逆さ涙型の鼻の穴があり、顎もあったからだ。だがしかし、明らかに人間の骨ではないのが千央にはわかった。大きさについては言わずもがなだが、その口の中には鋭い一対の犬歯が生えていたからである。

「これ犬の骨?」アンコは顔を歪め、隙間の向こうで歯を剥いている頭蓋を見ながら言った。

「いや、鼻が短いし、丸いから猫じゃないか」と公平は言った。

「あるいはチワワかも」

 言いながら伊鶴はさらに掘り進めていった。弓なりに曲がった(おそらく)肋骨が何本も発見され、やがてその大きさから、これはチワワではなく、猫であろうという結論に達した。

「何で、こんなところに猫の骨があるんだろう。この中で死んだのかな?」アンコは不思議そうに言った。

「まさか、こんな小さい入り口に猫が入っていけるわけないよ」伊鶴は言った。「多分、死んでから入れられたんだよ」確かに、墓に出来た隙間は猫の頭でも通るのは無理なくらいに狭かった。何か通れるとしてもせいぜいネズミくらいだろうと、千央は思った。

「そもそも、これは誰のためのお墓なの?石に何も彫ってはいないし。普通は家族の名前が彫ってあるでしょ。増田家の墓とか、家の墓とかさ、ねぇ」

 アンコの言う通りだ。それに、一体誰が猫を人間用の墓に埋葬するなんてことをしたんだろうか?ここは人間専用の墓場ではないのか?それとも動物霊園も兼ねているんだろうか??

 とにかく見つかった骨の状態から考えてみると、これは死体を燃やした後の納骨ではなく、死んだまま埋めた埋葬なのだから、どちらにしろ正式に埋葬されたものではなさそうだなと千央は思った。

「うん。まぁ、そうかもね」アリジジは大層気のないような返事をし、墓の前に座りこんだ。そして、土台にあった角の石を一つ掴み、グラグラと左右に揺すり始めた。皆はそれを注意深く見守った。やがて、がりがり、ボリボリという鉱物や砂が擦れる音がして、石は意外とすんなりと土台からはずれた。どうやら墓石はコンクリートで固定されたりはしないらしい。土台はポッカリした穴が開き欠けた虫歯のようになって、暗い中身が覗いていた。

 それからアリジジは、指を開いて熊手のようにすると、中にある地面の砂を掘り始めた。するとざらざらの土から一本の骨が現れた。これは弓なりに曲がっていた。

「これは肋骨みたいだ」

 アリジジはそれをつまみ上げて、観察しながら言った。

 続いて、砂からは溶けかけの白いプラスチックのような凸凹した代物が出て来た。

「これは背骨かな?」公平は覗き込み言った。

「多分ね。でもこっちはもっと小さいから尾の部分だろう」とアリジジ。

 それからしばらく、アリジジは時間をかけて名無しの墓の中から幾つもの骨を探していった。一通り捜索が終わると、骨は頭から尻尾まで猫の形に並べられていった。だいたいの大きさを見たところでは、墓には成猫一匹が眠っていたようだった。

「完璧に出来た」まるで猫の開きのように並べられた骨たちを見てアリジジは言った。

 千央には専門の知識はないが、その数の多さからして、おそらくほとんどの骨を集められたようだ。

 隣では真琴が眉を寄せて気色悪そうにしていた。一方千央はというと、猫の骨を見ても特に悪い気分にはならなかった。普段見慣れている生きた猫とあまりに違っていたし、むしろ大きなアイホールを持った顔がコミカルで、いつか見かけたゲームだかアニメのヤラレ役に思えてくる。それは骨を糸で繋げたマリオネットのような動きをするのだ。

 千央たちは、相談の上また猫を元のところに埋葬することに決め、間もなくそれを実行した。

 墓に人骨疑惑事件はこうして終わりを迎えたわけだが、結局あの猫の骨はまだ人間の墓の中にあるのだと思うと、千央はなんだか妙に思った。

「あーあ、期待はずれだったわね」帰りがけ、アンコは失望するのと同時に、責めるような声を出した。

「どうして嘘なんかついたんだ。ただの猫の骨じゃないかよ」

 毅は言い訳をした。

「小さい頃は確かに人の骨に見えたんだよ」

 それに対して慶幾は、

「あんな牙の生えた人間がいるかよ。幼稚園児だって普通わかるだろ」と言って責め立てるた。

「もしかしたらいるかもしれないじゃん」

「どこに?」「……地球のどっかにさ」

 毅はこのような負け惜しみを言い、いじけたようすだった。

「でもホラ」千央は毅をフォローするつもりである骨を一本指差した。

「これは小人だかの骨に見えなくもない」

 それは細く真っすぐで小さな足の骨にも見えた。

「まあまあ、その話はもうそのぐらいにして……」アリジジが慶幾を宥める声が聞こえ、ぎゅっと木の葉と土の擦れる音がした。彼はこちらに向き直り、皆に向かって尋ねた。

「ねぇ、さっき取材に来た人に協力したって話してくれましたね。“協力”って言うと具体的に何をしたのか教えてくれませんか?」

「それは……」慶幾は口ごもりながら言った。急に毅への攻撃的な口調から方向転換を迫られ、とっさにそうなったのだ。「受付の場所に忍び込んで客の予約表に名前を書き込んだだけです。あそこは一見さんお断りになってるから」

 アンコは横から言った。「それでカメラで撮ってって、数日後にテレビでそのとき撮ったものが使われてたの。まるで違うのに反対運動の拠点みたいに言われてた、それに"反対意見の根拠はこのカルト集団の差別偏見思想に下づいてる、そして危険な方に扇動してる"って言ってた。でも、それは本当じゃないよ」

 うーん、とアリジジは唸った。「じゃあ、実際のところ霊能者は病院移転についてどういう考えをもっていたんですか?」

「実際のところ?そう。興味ゼロって感じだったよ。そのことについて話すところさえ見ていないよ。ましてや反対運動の先導なんてさ、ありえないよ」

「そうだよ」公平は強い調子で言い、皆は顔を見合わせて頷きあった。

「じゃあ……、どういうわけでテレビの取材をうけることなったの?病院建設に反対でも賛成でもないなら、巻き込まれて面倒になるだけではないですか?」

 アリジジの指摘に、皆は黙りこくってしまった。これは取材と言っても実際には霊能者側には全く知らされていない、秘密のものなのだ。

「取材の許可は霊能者本人が受けたわけではないんです」

 公平が相当言いづらそうしてに切り出した。この公平の態度こそ皆の後悔を代弁するものだった。

「あの取材は僕たちが勝手にセッティングしたものでした……。取材の何日か前、真が知らない男の人に話しかけられたんです」

「ああ、君?」

 アリジジは真琴の方を見た。

 皆はアリジジに自己紹介を済ませていたが、しかしもちろんこの場にいない真のことは知るよしもなかった。

「いや、その真琴じゃなくて、真はつい最近までここにいた別の子です。けど、ハチに刺されてアレルギーになって帰ってしまって」

「ハチアレルギー?」アリジジは顔をしかめて言った。

「ええ。アナフィラキシー・ショックとかで過呼吸になって……入院したんですよ」

「それ大変じゃないですか」アリジジは白毛の中に埋まった黒眉をくっとあげて言った。

「でももう回復して退院したから大丈夫ですよ」

慶幾は話を元に戻そうとした。

「それで……、とにかくその真が道端で声をかけられたんだよなぁ?」

「うん」毅は頷いた、今回の彼はすっかり聞き役に徹していた。おそらく自分の家の話題に肩身がせまいとはいかないまでも、なんとなくの遠慮や参加のし辛さを感じているのだろう、千央はそう思った。

「道端でかい?なんだか怪しい人ですね。よくそんなものを引き入れようと思いましたね」

「あの時は怪しく見えなかったんですよ。大学でをテーマに研究してるって言ってたし」公平は早口になり、弁明した。しかしすぐに、

「まぁ、今から考えると怪しいですね」

と認めた。


「それで霊能者の占いが嘘だと証明してくれるって言われたもんだからさぁ」

 伊鶴は硬そうな自分の髪をつまみながら言った。

「嘘?なんの?」

「霊能者がインチキだってことを証明してくれるという話です」千央は淡々とした調子で話しながら思っていた。そういえば、毅たちにこのことは話しただろうか?と。佃という人物は千央と公平の会話を聞いて嘘を暴くことを決めたという件については……??千央は思い出せなかった。

「私と公平が話していた時にそう言われたんです」

「あれはすごく面白かったですよ」

 慶幾は眉をしかめ、口元をゆるめながらアリジジに詳しいことを話して聞かせた。

 あの約束の日、霊能者の家には若い男女が二人、連れ立ってやってきて“マオくん”について相談をしはじめた。最初は女性の早世した弟か二人の子供のことかと思われた。霊能者もそのつもりで会話をしていたのだが、どうも両者の様子が噛み合わない。それもそのはずで、実はマオくんというのは犬で人ではなかったのだ。臍の緒だの、学校のことだのと散々アドバイスをしていた霊能者は赤っ恥をかいた。

 慶幾の言う通り、あのちぐはぐな面談は相当面白味があった。いつも持っていた霊能者にたいする不満や反抗心、疑念がすっかり解消されたように思えた。

 しかしそれは一時期のことで、あのあと数日もしないうちに、その状景が番組で放送され、千央たちが陽気でいられた時間はごく短い間であった。

 だいたいの話を聞き終えて、アリジジは言った。

「じゃ、君たちは霊能者のことは信じてないんだ?」

「まぁそうですよ。それは確かに証明されましたから」

 公平は自信あり気に答えた。

「ふ~ん……じゃあ霊能者の占いが嘘だと分かったのはある意味その佃、って人のお陰ってわけなんですね」

 アリジジのこの言葉に千央はなんだか動揺し、唇を噛んでしまった。痛いところをつかれたからだ。この出来事で千央たちうち何人かが、霊能者の占いの呪縛から解かれたのは確かなのだ。しかしアリジジにはそういう意図はなかったらしく、かまわず言葉を続けた。「でもそのビデオをテレビに売っちゃったのはさすがに変かもしれませんね。都合が良すぎませんか。その大学の人はテレビ局にコネでもあったんでしょうかね」

 アリジジはしばし考え込んだ。

「さぁ……」毅はため息をつくように言った。

 公平は毒づいた。「きっと金でも詰まれてなびいたんだろう。金持ちには見えなかったし。でも腹が立つな」

 やっぱりさぁ、と真琴は横槍を入れた。

「私ちょっと思ってたんだけど、その人本当に大学の関係者だったのかなぁ?」

「……だってほとんど時間をおかずにテレビに売っぱらってるじゃない。あの時、世間にはまだここの反対運動のことは取り上げられていなかったはず。それなのにあの人は反対運動の集会場に来て、霊能者のビデオを撮って……その上それをすぐテレビ局に売るツテがあったのよ。これはいくらなんでも出来過ぎよ。偶然ではこんな風に需要と供給がピッタリあうことってないと思うの。もしかしたら、あの人は依頼されて来たかあるいははじめっから特ダネを狙ったテレビ局の人だったかもしれないって思うの」

「でも、名刺をくれたでしょう?なら本当に大学生だったんじゃない?わざわざ嘘を紙に書いて相手に渡すなんて変だよ、用意が周到過ぎる。大人相手にならまだわかるけど……」と慶幾は言った。これはすでに千央たちの間で何度か交わされていた会話だったが、アリジジのためにそれがまたなされた。

「僕らも直後は電話でもして聞きたかったんだけど、折角貰った名刺を無くしちゃってさ、いくら探しても出てこないんだよ」

 毅はアリジジに説明するに言い、その声は最後は独り言のようになっていた。

「とにかく連絡先さえわかればなぁ」真琴は大変惜しそうなようすで言った。

「でも肝心の名刺をどこにやったのか、全っ然思い出せないよ」と伊鶴。

「誰か間違って洗濯に出したとかじゃないのか?ポケットとか心当たりのとこは見たのか?」公平は慶幾に尋ねた。

「もう思いつくとこはとっくに捜したけどなかったよ、服とかまじ大変だったよ」

「おまえ、ポケットがたくさんついた服好きだもんなァ」

「アア、やれやれ」毅はわざとらしく肩でため息をついた。しかし少し笑顔だった。

「……やっぱりさ。あの番組はなんか仕組まれていたんじゃないか?あれで反対運動の勢いが鈍くなって市長達が得をしたのは事実だろう?病院賛成派にとっては本当にいいタイミングだったし……」

 公平は早速陰謀論を吹っかけた。千央は、「またその話か」と小さな声で呟いた。

 千央自身は、佃が実はテレビ局の人間で身分を大学生と偽るという話は、まぁ考えられるかもしれないと考えていたが、しかし院長やら市長の差し金というのはあまりにぶっ飛んでいる説であり、正直眉唾ものだと千央は思っていた。

 しかしアリジジはしばらく考えた後、それはありえなくもない話だ、と言い、一定の興味を示したようだった。



 千央たちはもといた山に帰り着くと、林の奥でアリジジの寝床を作りはじめた。

 まず、ストロー状の枯れ草を敷き詰め、上に毛布をしき床にした。低木からしなる枝を周りから一つにもってきてまとめ、テントのように麻布をかけて天井にし、少し突き出ている枝には懐中電灯の取っ手を引っ掛けた。最後によく絡まった茂みで周囲を覆い外から見えないようにした。すると、ちょっとした秘密基地のようなった。 このころになると、アリジジと皆は大分打ち解けてきて、話もはずんだ。それはアリジジの特異な風貌に慣れてきたというのもあった。といってもアリジジの毛むくじゃらな見た目を別段怖がっていたわけではない、むしろ墓場への散歩と軽作業の時間を通し、それを特別だと思わなくなった、というのに近かった。

 正午頃になると、皆は出来立ての寝床に座り、増田家から持ってきたおにぎりを食べた。寝床はそんなに広くはなく、すし詰め状態だった。距離が近すぎて、お互いのひざ小僧の匂いがしていた。

 おにぎりにかじりつきながら、公平は例の陰謀説についてまた喋りだした。彼が以前から言っていたその目論みの内容は、市長が反対派の内紛を起こさせようとしたというものだった。

 アリジジもその意見に大方肯定的だったが、しかし、その見解は少し変わった風であった。あの反対派=得体の知れない宗教というイメージの番組作りは、内部分裂を狙った反対派や信者のみを対象にしたものではなく、市長はもっと大きなところを対象に、訴えるためのものではないかと言うのである。

「もっと大きなところ?それって何?」慶幾は囁くように聞いた。

「それすなわち……」

 アリジジの呟きに千央たちはアリジジの方へ頭を寄せた。

「世間の一般大衆のことだよ」

 千央はそれを聞いて顔をあげた。皆も驚いたようす、もしくは何がなんだか訳が分からぬといった表情である。

「わかりやすく説明するね」

 アリジジはそう言うと、一体どこからか拾ってきたのだろうか、白い棒を使い、砂をガリガリいわせながら地面に図を描きはじめた。

 まずはじめにアリジジは円の中に(反対派)という文字を書いたものをいくつかつくり、一つに信者、もう一つに市民などと書き込んだ。

「これが反対派の全体像だとする……」

 と言いつつその円の脇には風船ガムのような形をしたふきだしをつけて、病院建設反対!!と言わせた。

「で、これが反対派の主張だよね」

「そして、これが今回テレビがやったことさ」 アリジジは地面にあった丸をふきだしもろとも大きな円で囲んだ。そしてそれにアブナイ宗教団、という注釈をつけた。

「こうやって病院建設反対の意見丸ごとを胡散臭い集団だというイメージの膜で包み込んでしまうんだ。すると外から見るとこの集団から出ているのは皆胡散臭い宗教に基づいた反対意見なんだよ。この中身は実際にはどうでもいいんだ。例えるなら……そうだな、全体が木に覆われた山から煙があがれば、川や岩が燃えてても外からだと木が燃えてるようにしか見えないだろう?それと同じさ」

 しかし、川や岩が燃えるだろうか?と千央はちょっと首を傾げたが、それにかまわず(というか、気づいていなかったようだ)アリジジは続けた。

「これで病院建設に反対する奴ら=カルト教団という印象が反対派全体にもたれるんだ。信者や市民関係なくね」

 だけど千央には、テレビの報道のされ方が、市民の認識にすぐに直結するとは思えなかった。少なくとも今の段階ではそんなに浸透しているとは思えない、当事者・関係者以外、全国のほとんどの視聴者は、気にも留めていないか、数あるゴシップの一つとしか思っていないのではないだろうか。

 千央は、それをアリジジに言った。

「うん。僕はむしろ反対と言うと頭のおかしい集団と同列だと思われるというのを反対派に認識させるのが目的じゃないか、と思うんだ」「もちろんしっかり理論武装して主張する人もいるだろう。でもそんな人は少数派だろうし、他の大多数の人にとっては反対意見を言うときの動機の説明が難しくになってしまう。補足もなしにただ単に反対だとだけは言えなくなる。意見を言うハードルを高くするんだ。そうして主張する機会を少なくして、反対の数をどんどん減らしていくわけ。反対意見を言うだけでアブナイ呼ばわりされる恐れがあるのなら、そうとうの熱意がない限りほとんどの人は黙っちゃうってことさ。僕でさえそうするね」

 簡単に言うと、あちらの味方は不利であると戦況を読ませ、敵を尻込みさせる作戦であろうか。やはり年上というのは違うのだなと千央は思った。 説明を聞いて、公平は頷いた。「確かに一般の……普通の人らなら、十分及び腰になるだろうな」

 千央は名前すら覚えていない市長に対しての怒りがむくむくと湧いてくるのを感じた。とは言え、この説が正しいかはまだ全くわからない。だからこの話に完全に感化されてはいけなく、余地を残しておかなくてはいけなかった。なので千央は一応怒りを感じておく、という程度に気持ちを留めておいた。

「じゃあ、あの呪いだとか悪魔の儀式だとかのヘンな記事もその作戦の内の一つなのかしら?」アンコは上を見て眉をしかめながら言った。

 その言葉は千央たちに以前読んだゴッチについての珍妙な記事のことを思い出させた。どこかの魔術研究家だというおじさん(おそらく)が、ゴッチは呪いをかけるための生贄にされたのだという説を主張しているものであった。

 アリジジはその話の詳細を聞くと、驚いたのか茶を飲みそこねて、むせだした。あんまり咳込むので真琴が背中を摩ってやる始末だった。しかし、しばらくして喉のつかえはとれ、一息いれるとアリジジは

「そんな話があったのかい」

 と言ってきた。それから、

「是非とも見たいな、その記事。面白そう」とも言った。

 もちろん千央たちはアリジジの頼みを快諾した。しかし、一つ重大な問題があった。その記事の載っていた雑誌『エモ・モザイク』はまだ家にあるのかしらということだ。

「出来たらそうしたいけど、捨てられてもう残ってないかもしれないよ」

 毅は顎に手を当てて考えながら言った。

「またそれかよ」

 慶幾は、突っ込んだ。慶幾はあの名刺のことを言っているのだった。

 アリジジは言った。「とにかく、その佃って人の連絡先が分かれば色々と事情が聞けるかもしれない……。まず、その最初に会った真って子に詳しい話が聞きたいね」

 それに対して千央は答えた。

「じゃあ、今日帰ったら様子を伺いがてら真に電話して聞いてみましょうか?」

 アリジジは頷き、そして頼んできた。「うん。でも出来たら、僕も立ち会いたいんだ」

「わかりました。なら明日、電話を持ってきますね。今から取りに行くには時間が遅いから……」と、毅は言う。

 確かに、千央たちの秘密基地には西日がさし、太陽はゆっくりと山の陰へと引き寄せられていたのだ。

 慶幾はこう言った。「けどさ。今さら新しいヒントが見つかるとは思えないんだけど……もう何回も話しただろ?」

「そうかもしれないね。だけど、とりあえずね」

 アリジジは笑いながら、顎をぽりぽりと掻いて言った。

「藁をも掴む思いなのさ」

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