二十四、傷痕
千央たちが泊まっている増田家別宅の風呂はとても古びている。湯舟は狭くて底がかなり深いし、滑りやすい床はタイル張りで間違って転ぼうものなら、頭が搗ち割り氷みたいにどーんと砕けそうだ。
そのお風呂に今夜、千央はアンコと一緒に入っていた。本当は真琴も誘ったのだが、真琴は中学生で少し年上なのもあり、子供と風呂に入るのは嫌だよと断られた。しかし千央たちはまだ幼いので、その点においては全く平気だった。
千央は膝をかかえて湯舟に浸かると、とっくりと考え込んでいた、ついさっきまで起こっていた出来事のことを。今日は本当に色々なことがあったなぁと思いながら。
「あっ!!痛っつ!!」
いきなりアンコは声をあげた。彼女は鏡の前に座り石鹸をもこもこに泡立てて、さっきまで体を洗っていたのだが、今は自分の足を見て顔をしかめていた。
「どうしたの?」千央は湯舟の端から覗きながら言った。
「うーん。これに泡がしみるの」
見るとアンコの脛には赤く長い擦過傷がいくつかあるのだった。
「そんな怪我、いつしたの?」千央は少し驚いて聞いた。
「うん、祭りの時に階段のとこでね。降りてきた人とぶつかって転んだの。ものすっごく痛かった」アンコは怒りつつ答えた。「しかも、その人謝りもしなかったんだよ!!あー、今考えても腹が立つ!!」
「絆創膏は貼らないの?」千央は聞いた。
「いいよ、かすり傷だし。でも擦れて火傷みたいになったところがまだ痛くてさ……。これ、ちゃんと綺麗に治るのかなぁ?」
アンコはつぶやき、傷をあちこちから眺めた。
「そうだ、盲腸の傷見る?」
といきなりアンコは言いだし、上半身を捻った。成る程、鼠蹊部に近い右の下腹に斜めの傷がある。でも完全に治癒して、もう半分消えかけていた。
「去年切ったんだ。千央は、入院したことある?」
アンコにこう聞かれ、千央は横に首を振った。今のところ千央は入院どころか麻酔の経験すらなかった。それはいいことだが、しかし、こういうことは小さい時に体験してある程度慣れていた方がいいのかもしれないと思うこともあった。なぜなら大人になって初めての入院となると、多分、親身になって世話してくれる人も甘える人もいないだろうから、とても心細く不安だろうと思うのだった。
「手術、怖かった?」千央は聞いた。
ううん、とアンコは言った。「別に。それより、食べたり飲んだりできないのがかなり辛かったな」
アンコの話によると、手術前にはたいていの場合、飲み食いが禁じられるらしい。確かに腹一杯の状態で腹を切ったりしたら、色々不都合がおきそうだと千央は納得した。
そしてアンコは言った。絶食が明けて最初に飲んだ、紙パックのリンゴジュースほど美味しく感じたものはないと。千央はそれほどに食べ物に感動したことがなかったので、少し羨ましく思い、是非そのリンゴジュースを飲んでみたくなった。しかしその前の辛い絶食期間を考えると、やっぱり普通のジュースの方がいいな、と考えを改めてた。
それをアンコに伝えると、彼女はけらけらと笑って、「そりゃあそうだよね、私だって二度と入院したくないよ」と言った。
千央もちょっとだけつられ笑いをした。しかしそのうち、本当の笑いになった。ただっ広い風呂場に二人の小さな笑い声が響いて浮き上がっていき、湯気と一緒になっていった。
その時、千央はふとアンコの後ろに人型の大きなシルエットが浮かび上がっているのを見つけた。
ここの風呂場は、低い位置に大き目のガラス窓がついていた。もちろん窓は透明ではなくすりガラスだったが、それでもすぐ近くにいると人影がうつりこむ。つまり今、窓の側には誰かが立っているのだ。
千央はウワーッと声をあげた。アンコは驚いて振り返り、影を見つけてヒッ、と息を飲んだ。
「鍵、鍵」と千央はアップアップしながら言った。
窓にはクレセント錠が着いていたが、恐ろしいことにその鍵は今かけられていなかった。アンコは急いで錠を閉めた。その後は、しばらく氷オニをしているみたいに二人は固まって、微動だにしなかった。そのうち、謎の影はゆらりと揺れて、窓の前から立ち去って行った。
「誰なのあれ」とアンコは震えながら言った。
千央はあの影が覗きかと思い、しばらく心臓がバクバクどきどきしていたが、よく考えると自分たちがまだ全くの子供だったと気がついた。ちょっと自意識過剰で被害妄想が過ぎたかな、と少し落ち着いてきた千央は湯につけたタオルで顔を拭きながら思った。
だがアンコはピリピリとして、まだ警戒しているようだった。さらに大胆にもアンコは窓を少し開け、そこから顔を覗かせて外を窺った。漆黒の暗闇がすき間から覗いて見えた。「ちょっと、怖いから閉めてよ。早く」
千央はアンコに頼んだ。しかし、アンコは急に窓のすき間から猛犬のような狂った声でわんわんと吠え、そして振り向いてこう言った。
「だってまだ外にいるんだよ」
それを聞き、千央は今度こそ恐ろしくなった。しかしアンコは大分遠くを見ているようなので、千央はタオルを肩にかけて立ち上がると、頭をアンコの上に乗せ、千央は串刺しだんごのような格好で野外を覗き込んだ。
暗闇の中には忙しなく動く一つの影があった。遠くの芝生を早歩きで通り過ぎ、花壇に近づいていた。顔形は暗闇でよく分からなかったが、そいつは前屈みの上、ひどい猫背歩きで草原を駆け抜けていった。
「うわぁ、変態に会っちゃったよ」アンコは戦々恐々として言った。
千央は言った。「別に綺麗な女の人がいるわけでもないのに、覗いてどうするんだろう。相手も子供でなんだがっかりって感じだよね」
アンコはふっと吹き出した。
「馬鹿だね、千央は。知らないの?世の中には子供に欲情する奴もいるんだよ?」
「それはテレビのニュースとかで知ってるよ。でも大人の人なんだから相手は大人の女の人の方が良くない?」
男の人は胸の大きな人が好きだと聞くし、千央としてもその方が魅力的に見える。幼児体型の千央たちの体など、キューピー人形や長ひょうたんと大して変わりないし、何の面白みもないではないかと思うのだ。
「普通はそうだろうね。でも、ロリコンは案外とそこら中にいるのだよ。うじゃうじゃと……」
アンコは指をひらひらとさせて言った。
千央は苦笑いをした。
「そんな、なんかノラ猫みたいに言って……」
「だって、私も前にあったことがあるもん」
アンコは力を込めて言った。そして、以前にあったロリコンの話をし始めたのだった。
「6歳か7歳の時に市民プールに遊びに行った時、確か夏休みだったかな。いつも私は子供用の浅いプールで泳いでたんだけど、そこがすごく混んでたから、大人用の25mプールの方に行ったの。でも背が低かったから、泳がないでつま先立ちでプールを歩き回ってた。途中、何回かある男の人とすれ違ったんだけど、その時なんか変な感じがしたんだ。初めは多分気のせいだろうと思って、私は折り返して行った。でもまたすれ違う時に変な感じがした、さっきと同じ人とすれ違った時に。それでやっとこれが気のせいなんかじゃないって気がついた。そんで急に怖くなって、プールからあがってさっさと逃げ帰ったんだよ。それでさ……それで……、おしまいなんだけどね」
話は唐突に終わった、千央は何と飯能すべきか迷った。アンコはあまり辛い体験を語っているようではなかったため、同情地味たことを言うべきではないような気がしたのだ。
「ふーん、それは嫌だったね」 千央はアンコの突然の告白に、考える時のように顔をしかめた。それから、困惑もしていた。アンコが痴漢にあったのは可哀相だし、同情もする。しかしそれをどのくらい表に表していいものかと、千央は迷っていた。
もしこの話を笑いとばしてほしいのならそうするし、怒ってほしいのなら千央は喜んでそうするだろう。人を罵るのは結構得意だ。しかし、今のところはヒントが少な過ぎる。どちらの場合かが全く分からないのだ。それにアンコがこのことをもう気にしてないくらいにふっ切れているのなら、千央の(アンコにとっては)過剰な反応によって、その時の不快な気分をまた蒸し返すことになってしまうのではないだろうか、そして自分は可哀相な目にあったのだ、と再認識させてしまうのではと思ったのだ。なので千央はこう言って、とりあえずすぐ答えを出すのは保留した。
「まぁねぇ」アンコは感情の読めない顔をして、のんびり答えた。
千央は聞いた。
「このこと、誰かに言ったの?」
「ううん、言ってない。だってあの時はそんな人がいるなんて知らなかったから。でも、今度あったらさ……、前は逃げることしかできなかったけど」アンコは大きく息を吸い込んだ。
「その時はきっと、そいつの人生を終わりにしてやるんだ」
「いいね、それ」千央は賛同した。
変態野郎に対して、千央ならこうするだろう。大きめの鎌を対象者の首にネックレスのようにかけて、取っ手を持ち、一気に全体重をかけてその場に座るのだ。力のない子供にはとってはとてもよい手だと思う。 アンコはさらに続けた。
「会社も首になって、奥さんも子供も泣くんだよね。最低だね」
千央はここで気がついた。どうやらアンコの言っていた人生を終わりにするの意味は、殺すというわけではなく、警察に通報するという意味だったらしい。
もしかしたら、自分は少し凶暴なのかもしれない、と千央は気がついた。被害者のアンコの復讐に対して、被害にあっていない千央の意気込みは、過激過ぎるからだ。なのでもう少し優しくなるべきなのかもしれない。いや、アンコが被害者だからこそ、引け目になっているのかもしれなかった。どちらなのかは分からないが……。
しかし、とりあえず千央は言った。「それくらいじゃ、まだ足りないんじゃないの」と。
これに対し、アンコは首を竦めてこの復讐話は終わった。
あっそうだ、と千央はふと気がついた。警察といえば、この間祭りの途中で遭遇したボヤ騒ぎは一体なんだったんだろう?あれは下手したら放火になるのじゃないのか?ここまで考えたところで、千央はあることをひらめいた。
「ねぇアンコ、その怪我はいつしたって言ってたっけ?」
「言ったじゃん、祭りの時だよ」
「細かく言うと、祭りのいつ?」
「火事を消そうと一緒に水を持って階段を上ってたでしょ?その途中で別れた後すぐだよ」
やっぱり、と千央は思った。
アンコが本当のことを言っているのなら(そもそもアンコには嘘をつく理由はないはず)、その話には違和感がある。あの日千央たちが火を消すためにのぼった道は、山のてっぺんまで一本道だったはずなのだ。しかし、千央たちは運んでいる時も火事が消えた後も、誰ともその道ですれ違ってはいない。それは確かだ。では、アンコにぶつかってきた人物はどこからやって来たのだろうか??……多分それは途中から森から抜け出てきたことになるだろう。その人物はなぜそんなことをしたのだろうか?夜中の暗い山に一体何の用があったのだろうか……?
千央はしばしの間考え込んだ。答えはとっくに出ていたのだけれど。
風呂上がり、千央たちは扇風機の風に当たりながら、あの日の夜階段でぶつかった人について話し込んでいた。
「で、詳しくいうとどんな人だったの?」 真琴は障子戸に肩を寄せつつ、訊ねた。
「別に、ごく普通の男の人だったよ」アンコは答えた。
議題は当然、放火があった直後、現場の林から急いで立ち去った人物の正体についてであった。議論を始めて間もなく、千央たちは一つのある結論に難なく行き着いていた。
毅に確認したところによると、千央たちがあの日駆け上がった山の道はやはりあれ一つっきりだそうで、周りは竹林ばかりであるという。それも密集した細い竹に邪魔されて、山に慣れた毅でも歩き回るのはかなり困難らしく、子供である毅でもそうなのに、いい歳をした大人が道草するのに選ぶとはとても思えないと言うのだ。
唯一まともな寄り道理由として思い当たるのは、山の中腹にあるお墓へのお参りぐらいだが、それももうほとんど廃墟のように朽ち果ててしまっていて、墓の持ち主も誰なんだかよくわからない状態であるという。
「確かにものすごく怪しいよなぁ、そいつ」慶幾は後ろに重ねてあった敷布団にバッタリ倒れて言った。
真琴も言った。「ねぇ、その人が火事を起こした犯人で、逃げる途中にアンコとぶつかったんじゃないの?」
「ありうる」伊鶴は頷く。
「それにさ。どんな物好きがわざわざ夜中、山中の墓にお参りに行くんだよ。めちゃくちゃ不気味だろ」と毅は付け加えた。
「夜中にヤギの解剖しに出掛けて行ったお前が言うことかよ」慶幾は言った。
「本当だよ」もう仰向けに寝転んでいた真琴がお腹をひくつかせて笑った。
千央も笑った。千央も一応当事者であるだが、それでも可笑しかったのだ。
「ねぇアンコ、そいつってどういう人だったっけ?」伊鶴は向かいに座っていたアンコに尋ねた。しかしこれは、さっきから散々繰り返されてきた質問なのだ。
「だからもう何回も言ったじゃん」
アンコは少々苛立ちながらも答えた。
「身長170cmくらいで、痩せても太ってもない。それと年寄りか若いかはわかんない」 慶幾は少し不平たらしく言った。「ちゃんと覚えといてくれとけばよかったのに、そうしたら後で捜すもの楽だったはずだ」
アンコは眉根を寄せ、恐い顔をして慶幾を睨みつけた。
「だって、あとからこんなに重要になるなんて思わなかったし、それに夜だから暗くてよく見えなかったのよ」
と、このようにアンコの記憶による犯人像はかなり頼りなかったのだが、しかし、なぜ放火をしたのか、という動機付けを考えるにあたって、千央たちはほとんど苦労をしなかった。なぜならこの数日間近頃周辺で続発していた事件と、この放火を重ねて考えるのは子供の千央たちでもあまりに簡単であった。
「つまり」慶幾は肩をついと竦めて言った。「公平たちが見た、逃げたの男が犯人ってこと?今日会った脱走患者じゃなく……」
「……脱走事件に便乗した、模倣犯ってこと?」真琴が後を引き取って言った。
「模倣犯って?……何なの?」千央は誰にともなく聞いた。
「それはね……」と毅は目をグルリ回した。「今起きてる事件を真似して、他の奴が別に事件を起こすこと。手口は同じだから当然最初の事件と同一犯だと考えられる訳だから、真似した方の犯人は罪を逃れられる訳。もっともこれは真似する事件の犯人が野放し状態じゃないと意味ないんだけどね」
「何で?」アンコは聞いた。
「何でって……、警察に捕まってたら悪いことできないからでしょ」と、真琴。
「ああ、そっかぁ」
「別の犯人が存在してるって……?」公平はうーん、と唸り声をあげた。「まぁその可能性も無きにしもあらずってところかな。あんまり期待しすぎるのもよくないと思う。……でももしかしたら、一連の事件はあの男の人の仕業じゃあないのかもしれない。生きるために食べ物を盗んだのならまだしも、林に火をつけたり、刃物を盗んだりするのは確かにおかしいよ。彼にとっては派手な事件を起こして注目を向けられることはむしろ避けたいと思うんじゃないかなぁ」
千央は頷いた、そして考えていた。いくつかの事件の犯人が別人であった場合、それはとてつもなく迷惑千万な人物なのではないか、と。動機はどうあれ脱走した彼に放火やら空き巣の罪を被せ反感をもたせることで、結果村人と病院と市長側の対立をより煽り立てることになっているわけだから。
「いや、それはわからないよ」慶幾は首を振りつつ、にやけ顔で言った。「あるいは夕方公平が言っていた通り、あの人はまともなふりをしているだけかもしれないしね」
公平はそれを聞いてのけ反り、ハハハと引き攣り笑いをした。
「どちらにしろ、明日にはまた会えるよ。その時にあの男の人に聞けばいい。いまさら嘘つかないだろ」毅は手をひらつかせながら言った。
今日の帰り際、千央たちは、明日同じ場所でまたあの男に会うことを約束をしていたのだ。夜が明けて、外出できる時間になるまで後半日以上はあるだろうが、千央は明日彼に会うのが楽しみで、明日が待ち切れなかった。千央がこんな気分になったのは久方ぶりだった。 千央は腹に手を当て、満足げに息を吸い込み、やがてうとうととし始めた。
そこへ“早く風呂に入ってくるように”と、言う園さんの催促の声が部屋まで聞こえてきて、千央はハッと目を覚ました。
「じゃあ私、入ってこようかな」
真琴はそう言って、タオルと寝巻きを持って立ち上がった。そもそもこの話を初める前、彼女は風呂に入ろうとしていたのだ。
真琴が部屋を出ていこうとした時、アンコは思い出したように言った。
「あ、そうそう、真琴。覗きに注意してね、もういないとは思うけど」
「覗き?」真琴は立ち止って振り返り、顔をしかめた。
「さっきアンコと風呂に入っていた時、窓の外に人の気配がしたんだ」と千央は言った。
「それ、厳密には覗きとは言えないんじゃないか……?」慶幾は半笑いで言った。
「でもどっちにしろ、不審者ってことには変わりないじゃない。こっちが声かけたら、振り返りもせず逃げていったんだもの。ねぇ?千央」
うん、と千央は頷いた。
「声かけたのかよ」慶幾は声をあげて笑った。
「危ないかったんじゃないの?それ。不審者を刺激するようなことして」と公平。
「違うよ。ただ、本当に不審者か確かめたかっただけよ」とアンコ。
「危ないのは同じだろ」
アンコはそうかなぁ、という顔になった。
「アンコは変な所で肝が据わってるんだね」慶幾は呆れて言った。
「うわー、気持ち悪ぅ」話を聞き終えて、真琴は寒気がするように腕を組み言った。
「一人でお風呂入んの怖いな、どうしよう。誰か一緒に入ってくれない?」
誰か、と言っても、一緒に入れるのは千央とアンコしかいなかった。しかし、千央は困って苦笑いをし、アンコは、私もうお風呂はいいわ、と言った。
これを受けて、毅は提案した。
「じゃ、季生子を誘って一緒に入ったらどう?」
真琴は納得したように言った。
「そうね、そうしよう」
そうして、真琴は部屋を出て行き、足音は廊下を曲がって消えていった。
布団に倒れ込んでいた伊鶴は言った。硬そうな黒髪は扇風機の風で揺れている。
「ねぇねぇ、こう言っちゃ悪いんだけどさ。その犯人ってもしかしたら鷲崎じゃないのか?庭に普段から出入りしてるだろ」
「まさか」 公平は飛び起き、目を細めて叱るように言った。「そんなわけないだろう」
「鷲崎は違うよ」毅は言った。あくびをしてそんなこと取るに足らない、というように。そして、ふと言った。
「ああ、そういえばさ。今思い出したんだけど。あそこの墓には面白い逸話があるんだよね。聞きたい?」
皆は何?という顔をした。
「そこは古い墓だってのはさっき話しただろう?で、墓石はそのせいかかなりガタがきててさ。台座からずれて隙間ができてた墓がいくつかあったわけ。そこで僕は見つけたんだ。その墓の隙間の一つに、骨が入ってるのが見えるところがあるってのをね。僕はそれを友達に教えて自慢したんだけど、全然感心してもらえなくてさ。それどころか、墓に骨が入ってるのは普通だから何もすごくないって一蹴されちゃって、以来すっかりこのことは忘れてたよ。真っ暗な闇の中で、大きな真っ白い骨が浮かび上がってさぁ……、すごく綺麗な骨だったな。異常なほどに白くってさ……、白過ぎてむしろ偽物のようにも見えたよ」
大きな?、千央は一瞬疑問に思った。
「でも最近、初めてお葬式に行って火葬されたおじさんを見たんだけど、変なんだ。お墓には骨をそのまま入れるわけじゃないんだよね。骨は焼いた後砕くから、普通僕が覗いて見たような大きな骨がお墓に入っているわけがないんだよ。そうだろう?でも僕が見たのは、全く崩れていない完全な骨だったんだよ」 話の内容がいきなり重大になってきて、千央を始め他の皆は身を乗り出して聞いた。
「じゃあ、それはちゃんと納骨された人の骨じゃないかも、ってことか?」
公平は目をぎらつかせて言った。
「まぁ……、あるいはそうかもしれない」毅は頷いた。
「骨はそこにまだあるの?」千央は尋ねた。
「さぁ、知らないけど」毅は首を横に振りながら言った。「ずっと行っていないし、今気づいたんだから」
慶幾は喜喜として言った。
「なら、明日山に行く時にお墓へ寄ってみようよ。もしそれが本当の人骨なら、正真正銘の殺人事件じゃないか」
「こっわー」アンコは口笛を吹くようにして、口をすぼめて言った。
それからしばらくして毅は突然、髪を掴独り言を言った。
「僕、髪を切ろうかな」
それを聞いて、公平はまた目を細めていた。