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二十ニ、タヌキ巡査殿

 園さんは玉子をボゥルに割り入れ、箸を使って掻き混ぜた、黄身と白身が混じり斑状になった。真琴は鍋をコンロにかけて、お湯を沸かしていた。アンコは焼豚を細く切っていたが、伊鶴と慶幾にそれをつまみ食いされ、二人の肩をど突いた。そろそろ昼餉の時間で、増田家の台所では昼食の準備が着々と進んでいたのだった。

 千央はというと、竹で編まれたひらべったい篭を持たされて、畑までキュウリとトマトを取りに行かされていた。千央は庭で白熊の絵を描いている季生子を颯爽と横切って行き、男跳びで生け垣を越えた。そのあと何かの気配を感じ振り返って、ギョッとした。なぜなら後ろに毅がついて来ていたからだ。

「ねぇ、あれは一体何だったと思う?」

 どぎまぎする千央に毅はいきなり切り出した。

「何のこと?」驚かされたことの怒りもあって、千央の声は自然と刺々しくなった。

「あの黒い影のことだよ」毅は全くめげるようすもなく言った。目が生き生きと輝いている。「本当にゴッチの霊かも知れない」

「止めてよ。私苦手なんだよ、そういう話は」

 千央は早足のまま答えた。しかし、毅も早足になってついて来ていた。

「それは知っているけど、君以外に話しができる人はいないだろ。普通、二人そろって幻を見るか?しかも二度もだよ」

 毅は二本指を立てて言った。彼は多分解剖の時に見た手と重ね合わせて考えているのだ、と千央は分かった。つまり、あの時見たのはゴッチの復活シーンで、先日おじさんたちの間を飛び回っていたのはゴッチの霊魂だというわけだ。

「僕山へ探しに行こうかな。また会えるかもしれないし」

 千央は立ち止まった。

「いや。やっぱりあの手は見間違いで、黒の影は毅の言う通り、ただのくまんバチだったんだよ。私昨日調べたんだもの」

 昨日帰ってから千央は、増田家の書庫にお邪魔して、そこにあった昆虫図鑑を使いくまんバチについて調べたのだ。千央は毅に教えた。くまんバチは全体が真っ黒のずんぐりとした大型のハチで、飛ぶ時はかなりやかましい音がでる。あの時、影はロケット花火みたいな音を出して飛んでいた。それを考えると、条件がピッタリ合致するのだと。

「どっちにしろ死んだものがまた復活するなんてことは有り得ないよ」

 しかし毅はまだ納得がいかないようすだった。

「そうかなぁ……僕はそうだったらいいなと思ってるよ」

 毅は夢見る表情で言った。千央は返事はしないで、代わりにもいだトマトを、乱暴に篭に放りこんだ。

「あっそうだ、あとね。鷲崎さんに今日聞かれたよ。僕の剪定バサミを知らないかってさ」

「何て答えたの?」千央は聞いた。

「知らないって言ったに決まってるでしょ。どう答えればいいわけ?」

 毅はしばらく考えて言った。「そうだな。ハサミはゴッチを切り刻むためにちょっと拝借しました、そして現場で無くしました、とか?」

 千央は途方に暮れた。もしかしたら、鷲崎さんまでも厄介に巻き込むかもしれないのだ。少なくともこれで犠牲者の候補が一人増えてしまった。

 ふと、思いついたかのように毅は言った。

「ねぇ、僕思うんだけど。もしかしたらさ、反対派の人たちはゴッチの死体が見つかって喜んでいるのかも知れないな?あいつらはこのネタで勢いづいてるぜ。きっと……」

「それは分かっているよ」

「下衆なやつらだよなぁ、本当に……」毅は歯を見せて、言った。

 千央はぶつぶつとつぶやいた。「なんとかして、攻撃が彼……、男かは知らないけど、その人に攻撃が向かないようにしなくちゃ」

「無茶だよ。そんなのが出来るものなら、もうとっくにやってるだろ」毅は言う。

「そうだけど……」千央はまたがっくりと落ち込んだ。

 でも、無実の人に罪を被せたままにするわけにはいかないのだ、と千央は自分のつい最近の経験から強くそう思ったのだった。沈黙を守る真犯人の、それは義務のような気がするのだった。



 千央たちは野菜篭を持ち、増田家の庭に足を踏み入れた。しかし、前を行っていた毅が歩みを止めたのでそこでつかえてしまった。千央が毅の背中を肘で突っつくと、彼は答える代わりに屋敷の方へと恐々指を差した。「おい!!あそこを見て!!」

 毅は囁いた。「警察官がいる!!」

 毅の指差した先、増田家の玄関口には紺色の服をきた背の高い大人が一人いた。中へやたらと頭を下げている。その頭には服と同じ色の帽子が乗っていた。彼はでっぷりと肥えており、遠目からでも制服がきつそうなのがわかった。顔は日本風屋敷の庭に置いてあるタヌキの置物にそっくりで、天然のアカンベ目をしていた。ちょうど警官は玄関から出て行くところらしく、千央たちは彼が完全に増田家の敷地から出ていくまで、全身を膠着させ、そのようすを見送った。

「えらく時間がかかったね」

 二人が増田家の玄関に入ると、そこには公平と伊鶴がいた。それから、

「遅かったね」

 園さんもいて、こう言いながら千央から野菜の入った篭を取り上げた。

 公平に話を聞くと、二人が話している合間に警察が増田家の人達に話を聞きに来ていたそうだ。とはいっても、ナイフの持ち主がどうとかという話は全く出なかったらしく、その点で千央はとりあえずホッとした。

 お喋りな伊鶴は教えてくれた。ヤギは解剖の前からすでに事切れていたことを警官はすでに知っていたらしい。こういうことは傷の具合で分かってしまうというのだ。警官が聞きたがったのは、一体どういう風な経緯でゴッチを埋めることになったのかということであった。死ぬ以前ヤギを世話していて、埋めたのは千央たちだというのを誰かから聞いてやって来たのだろう、おそらくはあの青年からだろうなと千央は推測した。

「あのヤギは君たちが世話をしていたって聞いたけど?本当の飼い主は誰なの?」

 中年警官は汗をかきかき、伊鶴たちに問うた。

「飼い主はわからないです」伊鶴は言った。「山でそこら辺をふらついていたのを見つけて、なんとなく……餌をやっていただけなんです」

「じゃ。どうしてヤギは死んじゃったのか、分かるかね?」とタヌキ氏。

 慶幾は首を横に振った。

「イエ。昼、山に遊びに行ったら死んでたんです。いきなり、1週間くらい前に。なぜ死んでしまったのかはまでは分かりません、直前まで元気だったはずなのに」

「穴は深く掘ってきちんと埋めた?すごく浅かったとかない?もしかしたら匂いに惹かれて動物が掘り返したのかも知れない」

 今度は公平が答えた。「もちろんちゃんと掘って埋めました、多分大人のあたりの深さまで。土も大分盛ったしね……。えっ!!墓の場所ですか?それは僕らしか知らないはずです。まぁ、不思議ですよね」 “不思議ですよね”公平のこの言葉に千央はドキッとした。僕らしか知らないはず公平はなんの気なく言ったのだろうが、千央にとっては犯人はこの中にいると明言されたのと同然であったのだ。

 タヌキ警官の話を聞いて、千央と毅は結局現場ではナイフもリュックも皿も何も見つからなかったようだと結論づけ、大いにホッとした。しかし、まさかナイフに足が生えて勝手にどこかに歩いていくわけがないし、やはり誰かが拾っていってしまったとしか考えられなかった。そしてその人物は、この大騒ぎの中、今だだんまりを決めこんでいるのだ。拾った人には反対派に攻撃の要素を与え続け、存分に活動を続けてほしいという思惑でもあるのだろうか?いや、仮にナイフが出てきてもそのことの妨げにはならないはずだ。ということは、ナイフの元の持ち主を知っている人物かもしれない、だからこの事件の真相が例の脱走患者のなどではなく、ただの子供のいたずらであるとわかると、都合が悪いということなのかもしれない。

 唯一庇う理由のある人物に毅の保護者たちがいるが、反対云々は当てはまらないし、さすがにそのことについて尋ねてくるだろう。リュックを見つけて気が付く位親しくしてる人も同じだろう。と、いうことは結局なぜなのだろうか?一体何のために?拾った時ゴッチの死体に気づかなかったのか?そんな馬鹿な、あんなに間近にあったのに。もしその人がこの恐慌のような雰囲気を面白がっているのなら、かなり趣味が悪い、もしかしたらそいつは愉快犯的な思想を持っているのかもしれないと、千央は思った。

 得体の知れない不気味さというのを千央は噛み締めていた。そしてまた頭痛がし始めてきた。千央は自分がゆっくりとした混乱の中にいることを、このところ自覚し始めていた。知らない人の手が自分の方に迫ってきたのに、驚いて身構えたが、しかし、それは自分の手だったり(髪を整えようと手を上げただけだったのだ)何かの気配がして、後ろに誰かいるのかと思って振り返ってみると、それが自分であったりするのだ。そのときは誰かと一瞬目があったような気がするのだが、周りには誰もいないので、そんなはずがない。

 千央はこの件で癇癪も泣き言も言わずにじっと堪えていられた。冬の厳しさに体が慣れていくように、このうっすら霧がかったようなストレスにもいつか慣れていくだろうと考えて……。それが何時になるかはわからないが、千央は正直それが待ち遠しくて堪らないのであった。

 そうやって考え込む千央の前には、彩りの良い美味そうな冷し中華があったが、それを見ても千央は全く食欲を感じなかった。



 結局、ヤギの死体の件は世間で大々的に取り上げられることはなかった。唯一かなりマイナーな雑誌『エモ・モザイク』、一つのみが取り上げていた。


特集【注目の村】森の中で悪魔崇拝の痕跡発見さる!?


「 現在、よしば病院の増設問題で揺れるX村の山中で、地域の子供たちが飼っていた牝ヤギのバラバラ死体が発見され、周辺住民は一時騒然とした。死体はX日の昼前、男性が発見した。ヤギは死後数日が経過しており、内臓は体外に引きずりだされ腐乱し、実に凄惨な現場であったという。

 記者はこの不可解な事件について、当雑誌では毎度お馴染み、世界の魔術儀式における第一人者で魔術現象研究家の岡崎貞一さんに話を聞いた。岡崎さんは、これは悪魔崇拝の儀式の痕跡である可能性があると主張する。(以下岡崎さんの話)


『この絵(図1を参照)を見てご覧なさい。胃、心臓が一定の感覚を置いて散らばり、ヤギの頭がちょうど東を向いていますでしょ?この点をそれぞれ直線で結びつけ、それをヤギの角の間、その位置から覗き込むと……特殊なある三角形の図が浮かび上がってくるのがお分かりになりますね(図2)?これは精霊を呼び出すため、古代より脈々と伝えられてきた隠し魔方陣の一種です。

中世のヨーロッパで魔女狩りが行われた際、一見分かり難いものへと段々と改良され、進化していった一系統にあたります。しかし、専門家が見れば一目瞭然です。古来から魔術使いたちはこれを使い、精霊たちと面会し、契約を交わすわけなんですね。なお、ヤギの胃は従属と傲慢を意味し、心臓は肉体的な力や最も重要なものや出来事、つまりは生命を指します。そこから推察するに、この魔方陣に込められた願い、この場合は呪いのようですが、それはある人物の抹殺であると思われるのです。

こういうエネルギーの必要な呪詛の場合は普通、雄の動物がよく使われるのですが、この牝ヤギが飼われていた、沢山の子供たちに可愛がられ愛されてきた環境を考えてみるとより生命パワーの強いこのヤギを生贄としてより好ましいと彼ら、もしくは彼女たちが考え選んだのでしょう。ですからヤギの腹から生命、安らぎ、安全を意味する子宮が取り除かれていれば、これが死の呪いだということはほぼ間違いないと思いますね。』

『え?その呪いを受けた対象ですか?それはあるものに従属し、傲慢なる人物です……。ここで名前を出すことは控えさせていただきますね、下手に指摘なんかしたら、脅迫になってしまいますから(笑)なので各自読者様の方で推理していただくということに……(苦笑い)』

『……さらにヤギの死んだ推定日の月の状態、潮の満ち干から考えると、呪いの儀式に最適の日なんですよ、この三角形に……――


 ――……ここで当記者が気になったのは、以前よしば病院の増設反対運動に参加し話題になっていたある宗教団体の存在であった。

 この宗教団体の教祖である、女性は現在七十八歳と高齢であり、長年霊能者として地域に密着し信頼され活躍していた。しかし、ご存知の通り、彼女はあるテレビ局の行った暴露によって反対派の運動から退くことを余儀なくされている。

 だが、それでも今だ反対運動を構成する一部に霊能者側と深い親交をもつ人物が少なからずいるという。記者は村に住むある人物に話を伺った。

『ああ、確かに人の出入りは頻繁ですなぁ。あそこは本当に人気ですよ。それに信者と近所に住む子供同士とが遊んでいるのを何度も見かけました、家族ぐるみでも付き合いがあるようですね。』と、いうわけである。

 さてこのヤギは文字通り人間たちの争いのスケープゴード(生贄)にされてしまったのだろうか??」


 ここで記事は終わっていた。隅っこにはご丁寧にも現場の見取り図までついていた。そしてちょうど現場にいたという人物が描いたスケッチは、サインペンか何かで乱雑に描かれておりそれが余計に緊迫感を醸しだしている。

 千央は思った。この記事の内容はものすごく間違っているし、言いたいことは沢山あり過ぎた。世間でも、まゆつば物だと思われたのに違いない。しかし、これを読み終えた千央は、とりあえず記者の謎の推理力に舌を巻いた。何故なら、ヤギをバラした犯人を脱走した患者(仮にそんなことを書いたら大変なことになるだろうが)ではなく、霊能者側の人間だと指摘していたからである。 さらに、これの隣にあった記事を読んで千央は初めて知ったのだけど、よしば病院の院長が今病気で入院しているらしかった。

「なお、よしば病院の院長はX日より入院中であり、現在は面会謝絶の状態。」とある。

 この雑誌では、明らかに霊能者たちが院長に死の呪いをかけたのだと案じている訳だけれど、雑誌編集者に聞いたとしても、記事がたまたま隣り合っているだけだと言うのだろうな、千央はそう思って怒りを感じた。しかし、誰かに抗議することもできないので、奥歯を食いしばるだけで千央の怒りの表現は終わってしまったのだった。



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