十六、カエルとニワトリ
ここ西昇町の図書館は白く粉を吹いた煉瓦の建物で、とても古かった。左右対象の形をしており、正面から見ると、まるで羽を広げた飛び立つテントウ虫のようであった。
中は灰色のカーペットが敷いてあり、精緻な模様つきの白く濁ったランプが壁についている、千央は図書館にしては豪華だなと思ったのだが、それもそのはずで何かの資料館もかねているらしい。千央は廊下でホシ胃腸薬と書かれた古い看板を見つけ、たくさんのウミガメの頭蓋骨や一組の甲冑とすれ違ったのだった。
千央はまず2階の自然科学コーナーへ向かい、高い本棚を背伸びして漁った。難しそうな表題が色々と並ぶなかに、調度良さそうなものを見つけた。黄色の表紙の「臨床家畜診療」という本だ。
早速それを棚から取り出しながら、千央は昨日見た夢のことを思い出していた。それはとても短い夢だった。
夢の中の千央は小さな子供に戻っていた、多分5歳か6歳くらいだろうか。
部屋の小さなテーブルにはゲージが置いてあり、中には茶色のジャンガリアンハムスターが入っている。千央はふと思い出した。そのくらいの年の頃に実際にハムスターを飼っていたのを。名前はチビ太といい、名前とは違い、家にやってきた時はすでに大人サイズになっていて、別にチビじゃなかった。しかしよく人に慣れ、手の上でご飯を食べたりする手乗りハムスターだった。
ある時千央は、ヒマワリの種を山盛り入れた陶器の小さな皿持ち、ケージの中を覗いた。チビ太はケージの真ん中でぴくりとも動かなくなっていた。始めは変わった寝姿かと思った。千央が手に乗せると、生きている時はあんなに温かかく柔らかかったチビ太のお腹が、石のように冷たく固まっていた。
千央はそれに衝撃を受けて、ハッと目を覚ました。これは今までほとんど忘れていた出来事だった。
そのあと千央は、自分の飼い方が悪かったのだろうか、としばらく思い悩んだことを思い出した。確かにチビ太は前の日まで元気だったのだ。なんで突然死んでしまったのか、大いに首を捻ったものだ。
後になってわかったことなのだが、どうやら餌にヒマワリの種だけやっていたのがいけなかったようだった。ハムスターの可愛らしさに惹かれて、チビ太を飼い始めた千央だが、テレビで見ただけで詳しい飼育法を全く知らなかった。ヒマワリの種はハムスターの大好物でよく食べる。しかし、同時に高脂肪であり、それだけを餌にしては栄養が偏り、体にかなり悪いことだったらしい。
それをハムスターを飼っている友人との何気ない会話で知ったのは、つい最近のことであった。
唯一の救いはチビ太の死に懲りて、今日まで、新たにハムスターを飼わなかったことだろう、下手したらまた同じ間違いを犯してペットと殺していたかも知れなかったからだ。
目についた本を何冊か集めてしまうと、千央は雑誌コーナーに行き、一冊の雑誌を取ってきた。これは先日真がくれた雑誌と同じもので、シュピオという題と色鮮やかなカエルとニワトリが表紙に印刷されていた。
それからテーブルに座って、それらを読みはじめた。そこへ毅が現れ、向かいに大量の本をどさっと置いた。
「犬の飼育本をいくつか持ってきた、ずいぶん沢山あったよ。これにフィラリアのこと何か載ってるといいけど」
「載ってると思うよ、真も知ってたんだからさ」と千央は答えた。
「よし!!探すぜ!!」
毅は張り切って本を開いた。
朝、千央がハムスターの一件を話した時、毅は自分たちでゴッチの死因を調べようと言いだした。毅も気になっていたのだ、日に日に弱っていったならともかく、ゴッチの死は突然で、まさに不信過ぎた死だったからだ。それに昨日、例の脱走騒ぎがますます大きくなっているのを千央たちは知った。これをそのままにしたら、時期的に彼、――脱走した人――のせいになってしまうかもしれない。いや、他の人がそう考える可能性がどうのというよりも、実は千央自身がそうかもしれないと考えていたのだ。
千央は例の黄色い本に視線を戻した。
この本には、一般に家畜と呼ばれている、牛、馬、ひつじ、ヤギ、豚などの注意すべき病気やその予防法がかいてある。千央はまずそのヤギの項目を開いて、ページを斜め読みした。最初に目に留まったのは、ヤギの病気の代表格だという腰麻痺だった。腰麻痺は脳脊髄糸状虫症ともいい、蚊を媒介にヤギに感染する病気らしい。そこはフィラリアに似ている。発病時期は初夏から大体秋頃までで、条件にあう。千央は毅を呼び読み聞かせた。
「ねぇ、見つけたかもしんない……。この腰麻痺ってやつ……。ほら蚊からうつる、発病は夏と秋……。2週間から40日くらいかけて進行……??……なんか違うみたい。兆候はふらつき、足のひきずり、よだれってかいてある……。違うみたいだね」
千央はさっさと質問を終わらせた。
続いて鼓脹症の欄を読んだ。反芻動物のヤギは穀物を食べ過ぎると、第一の胃の中で過発酵してしまって、最悪の場合窒息死するらしい。かなり苦しそうな死に方だ。
だが、これはありえない、と千央は息をついた。ゴッチの普段のご飯は山に生えている雑草だった。おやつに米煎餅をあげることもあるが、それはごくごくたまにで、食べ過ぎとまではならないのではないか。
ここまで考えた時、毅が声をあげた。
「あぁ!!あった!!フィラリアの写真!!キモイ!!」
と、テンション高めである。
もう知ってるのに、毅は本をひっくり返し、わざわざ千央に見せてくれた。
そこには真っ赤に充血した心臓から虫が吹き出している写真があった。フィラリアに感染した犬の心臓は、そうめんを一緒に盛られた生レバーのようだ。虫は体液でてかてかぬるぬるしている。千央はさらにじっと見てこう思った。いやこうして本物を見ると、あまりそうめんには似ていないかもしれない、もう少し堅そうな、プラスチックのような感じもするな。
「しかし。こんなひどい病気に飼い犬がなるのを、予防しない飼い主ってとんだ人で無しだよな。マジで犬飼う資格ねーよ!!」
毅は怒って早口になった。「千央ん家の近所の動物病院だっけ?そこは正しいよ、こんなの見せられたらみんな素直に薬買うだろうし」
「あ、うん。そうだろうね」
千央はほとんど上の空で答えていた。次のようなことを思案中だったからだ。
人間が前の日まで何の不調もなかったのに、次の日床に打ち転がっていたら、死因は何だろう、やはり梗塞か心臓発作、それか殺しをまず疑うのではないか(ヤギなので自殺は省いた)。無傷の殺しの方法といえば、まずは毒殺だろうと千央は考えた。ゴッチが誤って毒草を食べた可能性がないだろうか。
千央はヤギが中毒を起こす植物を調べて、毅に言った。
「あのさぁ、ゴッチはもしかして、毒のある植物を食べて中毒になったのかもしれない。アセビ、レンゲツツジ、ヒマ、ジキタリス、ジャガイモ、タバコ、チョウセンアサガオ、キョウチクトウ、ネジキ、ケシ、ハウチマメとかが毒になるらしいんだけど。山にこういう草生えていない?」
毅は戸惑った様子で答えた。
「さぁ、とりあえずタバコとケシは山にないだろう……?畑のジャガイモが何かに食われたってことも今のところない。朝顔は庭で育てていたようだけど、チョウセンアサガオかどうかまではわからない。他のは名前だけ言われてもわからないよ」
それから毅は言った。
「ねぇ、前テレビかなんかで、野生動物は自分の毒になる草を本能的に避けるってことを聞いたことあるよ。ゴッチは一応野良ヤギだし、そういうことは起きないんじゃないかなぁ」
「じゃあ、違うか」
千央もそういう話は聞いたことがある、第一野生動物が自分にとっての毒草をホイホイ食べていたら、とっくに死に絶えているはずだ。というわけで、中毒死は候補からはずした。
続いて、自然野の草を食べていることから、急性硝酸塩中毒というのは無し。
他にも感染症の類が載ってはいたものの、それに一日で悪化して死ぬような病気ではないうえに、死に至るのはまれであるとかいてあった。極めつけはこれらの症状と全く一致していないことだった。
千央は思い出した。そもそも、ゴッチには症状といえるものが全く見当たらなかったのだった。死ぬ様も見ていなかったし、いきなり死体を見せられて、手がかりもなく死因を当てろと言われても困る。自分から始めたのだが強くそう思ったのだった。
それから、ゴッチの死体をもっとよく観察しなかったことを、今さらながら千央は後悔していた。例えば中毒を起こした時に出る、よだれの跡だとか、下痢で肛門付近が汚れてたりだとか(見たくはないが)、なにか有用なヒントがあったかもしれなかった。なにより第一に、素人が本を見ただけで死因を特定しようなど無理があった。大体そんなに簡単診断ができるものなら、獣医などいらないじゃないか。
それでも、千央はいくつもの本を読み続けた。その結果、豚の妊娠期間が3ヵ月3週間3日だということや、ヤギには上の歯がないのが普通なこと、牛の腸はとぐろを巻くようにして体におさまっていること、などがわかったが、ゴッチの死因の手がかりになりそうなものはなく、千央は失望して溜息をついた。これまで消去法で唯一可能性がありそうなのが、野草による中毒死だ。しかし、千央には中毒死であってほしくない理由があった。何故かというとだ。
千央は毅に言った。
「ねぇ。もし、中毒で死んでたとしても、こっちは結局は確かめられないよね。食べたものをわざわざ調べるわけにいかないし」
毅は難しい顔で聞いていた、そして頷き、
「まぁ、そうだね」
と言った。それから、思い出したかのように聞いた。
「ねぇゴッチは死ぬとき苦しんだと思うか?」
千央はびっくりしながらも答えた。
「さぁ、普通死ぬときは苦しむんじゃないの?それなりに。死んだことないからわかんないね」
「すごーく苦しんだと思うか?」
「うーん、……調べたなかでは鼓張症が窒息死だから苦しいと思う、あと中毒死も、毒で死ぬわけだし」
千央はそう言いながら、自分も息が苦しくなってきた。まるで千央たちが死因を見定めることによって、またゴッチに新たな苦しみを押し付けているような気がしてきたのだ。つまり自分たちが死因を知らないでいるうちはゴッチの死は安らかなままで、知ったあとに跡付けで苦しみが与えられるような気がしてくるのだ。それが気のせいなのはわかっている、それに実際に苦しくなるのは千央たちだということも。ゴッチは臨終の苦しみを終えて、もう楽になっているのだ、そこには肺もなく、痛覚もないし、苦しいという感覚もない。だからこそ、それが無性に悲しいのだ。
「なぁ、牛の胃って四つもあるんだって、どうりであいつらよく食べるはずだよなぁ」
毅は唐突に牛の解剖という本を見ながら言った。さっきの真面目な会話は何だったのだと思いながら、千央は内心ホッとした。そして笑って言った。
「甘いものは別腹ってレベルじゃないねぇ、これ」
しかしこう言いながらも、無限に食べれる胃袋があれば、さぞいいだろうなと千央は思った。千央はいつも、学校の給食を全部食べきれなくて残してしまうのだ。
調べ物が一段落した後、千央はいくつかめぼしいものをメモに取った。
『脳脊髄糸状虫症 牛から蚊でうつる、ミクロフィラリア、寄生虫
鼓張症 穀物類の食べ過ぎ、それが胃の中で発酵し、窒息死する
中毒症状 歩行失調、呼吸マヒ、心臓マヒ、痙攣、涎、嘔吐、昏睡、下痢…… 』
これらの漢字は難しくて(特に痙攣の攣)、目と腕が疲れた。ふと、向かいにいる毅を見てみれば、かわいい子犬の写真集をにやにやしながら夢中になって見ていた。無性に腹がたって、千央は本をむしり取りたかったが、表紙のビーグル犬と目が合ったので急遽それはとりやめたのだった。
暇ができた千央は次にシュピオを読みはじめた。
●●●
『この件について、病院側が行った説明集会での住民と病院側とのやり取りを一部抜粋して紹介しよう。
院長はまず、地域住民への迷惑と心配をかけていることを謝罪。失踪から捜索までの経緯を説明の後、住民との質疑応答の場がもたれた。
最初に六十歳代の男性が立ち上がり、発言した。
男性―まず聞きたいんですけど、患者はなんで逃げてしまったんですか?よしば病院は患者をほったらかして、自由に抜け出せるような適当な管理体制なんですか?
病院―いいえ。もちろん患者の安全が守られるよう、日々職員とともに努めています。(しばしの無言)けれどもあの時は、停電等で混乱があり、現場の管理は全く普段通りとはいかなかったと思います。
男性―あの時は万全じゃなかったんですか?
病院―万全じゃないというか……。職員は停電や、土砂災害が起こるかもしれないということで避難の準備等で駆けずり回っていまして……。
男性―では、こんなに情報の公開が遅れたのはなぜですか?わかった時点で住民にも通知すべきだったのでは?
病院―皆さんもご存知のとおり、当時は台風の被害があり、患者さん方を保護することが第一でしたので。
男性―忙しかった、と言いたいんでしょうけど、後から言えば良かったんじゃないですか?
病院―患者のプライバシーに配慮して、通知しないと判断しました。
男性―じゃあ、台風が来ても来なくても、どちらにしろ通知はなかったということですかね?
病院―まぁ、多分そうですね。
男性―なら最初っからそう言って下さいよ。では先ほど通知はないとおっしゃいましたけど、何で今回、今になって情報開示をしたんですか?
病院―数日間の捜索にも関わらず、患者は依然として行方不明なままです。それで住民の方々からご協力いただければと考えまして。男性―それが理由ですか?
病院―はい。そうです。
男性―最近、病院周辺で空き巣被害が頻発しているのはご存知でしたか?
病院―少し知ってはいますが。
男性―それとこの件は何か関係ありませんか?
病院―いえ、何の関係もありません。
続いて女性が手をあげた。
女性―あの、逃げた患者はどのような症状で入院してたんです?
病院―それは医者の守秘義務がありますので、お答えできません
女性―でもその人は今も捕まってませんし、家には子供もいるのにすぐ近所にいるかもしれないんですよ。
病院―私が言えるのは、ここは以前と同じくらい安全であるということです。
女性―患者を発見した場合は、どうしたらいいんですか?
病院―(チラシを出す)さっき配りましたチラシの、こちらの番号に電話して下さい。そうしたら職員が迎えに行きますので。女性―危害を加えられる心配はないんですか?
病院―然るべき場所で然るべき人に発見されれば特に問題はないと考えてます。
女性―然るべき場所と人って何です?
病院―それは危険でない場所と……、悪意のない人です。
ヤジ)おい!!じゃ、俺たちは悪意のある人ってわけかぁ!?だから隠蔽してたのか!?
病院―いえ、そういうわけでは……ただ、患者さんを無事に保護するためには皆さんの協力が必要不可欠なのです。
次の質問者は、五十代の男性だった。
男性―あの、よしば病院さんには病棟を増設……する計画があると聞いてますけど……。
病院―はい。男性―で、そこは精神病棟らしいですね?(病院:頷く)それで反対意見もいくらか出てるとかで……、もともと僕自身は反対でも賛成でもなかったんですけど、やっぱり今回このことをずっと黙ってたことで、病院側に不信感をもちましたし、腹も立ちました。それで反対の声もますます大きくなっていますよね。そういうのを防ごうとして病院側は秘密にしてたということはないですか?
病院―いえ、さっきも言ったように、患者のプライバシーに配慮したためです。
男性―でも、反対にあって増設がもし中止にでもなったら国から補助金は貰えないですよね?だからじゃないんですか?
病院―いえ、そんなことはしません。そもそも病棟の建設計画は以前からあったもので、補助金目当てではないので。
男性―じゃあ、補助金が貰えることになったのは棚ぼただったってことですか?
病院―そうですね、運は良かったと思いますけど、そのようなことはないです。
(一部内容を編集・改変しています)
説明会の明くる日、記者は市の病院担当職員への電話取材を行った。
記者)今回の失踪騒ぎについて、よしば病院の対応は適切であったか?
市)誠に遺憾ではある。今後再発防止に努めることを望む。しかし病院は市の施設でもなく、緊急時の判断について現在何の権限もない。さらに病院側は事故を速やかに通報している。何ら問題はない。記者)警察と消防の対応に問題はなかったか?
市)ないと認識している。災害発生直後の捜索は危険であったときいている、警察、消防共に最大の努力を尽くしていたと思っている。
記者)(市側もしくは病院側が)地域住民に情報公開し、協力を要請すべきではなかったか?情報の共有の遅れが今回のような事態を起こしたのではないか?
市)病院患者が脱走した場合の規定は自治体では特に決められておらず、台風の影響もあり、当時現場は平常ではない状態にあった。
初動の遅れがあったというが、あの時点ではどうしようもなかった。
患者情報公開は患者のプライバシーの侵害であり、病院は情報を無断で公開をする権限はない、市も同様である。
個人情報保護の問題もあり一朝一夕では決められない問題だ。
記者)では、この事件で住民が抱いた不安感の解消は自治体として今後どのようにやっていくつもりか?
市)ガイドラインの作成が急務であると認め、今後の再発防止に協力したい所存です。
記者)今回の事件で病院の管理能力について不信感は感じませんでしたか?また事件の影響で増設計画に変更がある可能性はあると思いますか?市職員としてではなく、西昇市民として答えて頂けますか?
市)……不信感は感じていないし、可能性はないと思ってます。
記者)この事件の情報が遅れたのは市長と院長が関係者に箝口令を出したからだという噂があるのはご存知ですか?
市)アンタもしつこいですね。そんなものありません(笑)有り得ませんよ(笑) 』
●●●
それから千央たちは慶幾や真琴たちと合流した。二人はパソコンを使って、死後硬直について調べてくれていたのだった。
「私たちが調べたことによると、死後硬直は動物の場合、死んでから約2時間から4時間で始まって、9時間から12時間で解けるらしいわ。昨日ゴッチを見つけたのは午後二時過ぎ、だから……」
真琴はこのような図を書いて説明した。
『
―~ ↑
―~ )
―4時 )
―3時 )以降やわらか
―2時~?↑▼ゴッチ発見時間
―1 ))
―0時頃))▼最短?の死亡推定時刻
―11カチ))
―10カチ))
―9 )
―8 )
―7 ) (朝)
―6 )
―5カチ )
―4カチ )
―3 ) (夜)
―2時 )▲最速死亡推定時刻 』
「死んでからすぐ見つけていたとしても、もう体が硬直していたから、最低2時間は経っていることになるわ。つまり正午頃ね。逆に一番時間が長く経ってから発見してたとしても、まだ硬直が残ってたから、午後2時から12時間巻き戻して午前2時……」
「死亡推定時刻は夜2時から昼12時までの間の10時間か……随分長いなァ」アンコは言った。「ま、刑事ドラマのようにはいかないよね」
「さらに言うと、死後硬直は気温が高いと速く始まり硬直してる時間も短く、低いと遅く始まって硬直時間が長くなるそうで」真琴は補足した。
千央は腕を組んで言った。
「なら今は夏だし、12時より遅く死んでいた可能性もあるよね」
「でも、山の中だったからいくらか涼しいだろう。それに夜に死んだのなら、温度はもっと低かったはずだよ」と慶幾が言ったものだから、事態はこんがらがり、死亡時刻の推測はますます困難になってしまった。