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一、お尋ね者







 ――どうやら私には悪魔が憑いているらしいので ――









 墨を流した様な色の山間の道に、車が列を作り走っている。上から見ると、一つ一つの車のライトはまるで、糸を伝うビーズの様な動きをする。もしくは血管を流れる血液のようだ。ただ、緑や青色の球もあることから、もしかしたら人のそれではないのかも知れない。

 その赤血球の中の一つ、92'製ビビオの車内には、なつかしのヒット歌謡曲特集と称し、70年代初めに大流行りした、ある歌手のバラード曲がラジオから流れてきていた。それは、一人の耳には今まで忘れていた懐かしい曲、一人の耳には初めて聞く新しい曲であった。

 そのうち、後ろに乗った幼い方は、物思いにふけた顔をして窓の外を眺めはじめた。色とりどりの光が素早く目のはしを過ぎ、小さな鼻を横切り、また目を渡って行った。



 右手に等間隔に並んだ樹木は元気がなく、哀れ、殆どが立ち枯れしてしまっている。

 奥の方には、細い煙突のついた奇妙な建物がある。初めは煙突から火葬場かと思ったのだが、しかしそれにしては壁の絵が少々不謹慎ではないかと、こちらに向かってアカンベーやニヤリ笑いをするキャラクタを見ながら思い直した。

 そして左側にはアメリカンカジノ風のパチンコ屋があり、黄色やピンク、グリーンの光が建物を縁取り、巨大な蛍光板では、レースカーが走ったり、イルカが飛び跳ねたりと、次々と場面が早変りしていた。そして、建物からのびたサーチライトは夜の底を更っていた。

 やっと混んでいた車が動き出し、長い間座って固まった体をほぐすため、千央は肩に食い込んだシートベルトを緩めた。ドライブは好きだったが、今回は楽しめそうもない。しかし、隣に座った父は、上機嫌なのが分かった。



 今年12才になる千央は今まで普通の子供として育った、はずだった。七五三には神社に行った、着物姿で仏頂面の写真が残っている、一方、両親は満面の笑みである、現金にも千歳飴を貰った後の顔は笑顔である。クリスマスにはケーキを食べる、両親からプレゼントも貰う、サンタさんの代行、というわけで、夜中に枕元に置いていってくれる。そして、先祖のお墓は近所の寺にある。日当たりが良く、供えた花はすぐ嗄れてしまう。特に宗教的な決まり事はない。ある意味とても日本らしい家庭だった。

 だが、なにがきっかけだったのだろうか。いつのころからか何か得体の知れない悪い物が憑いてきたのだった。今では千央の後ろに普通じゃないものがたくさん控えていた。

 胎芽、水の精、下級武士……、猫……電信柱……野菜畑……家々の明かり……



 ぽつぽつと現れる平野らしき部分には家が密集している。まるで茸のようだと千央は思った。茸は一つあるとそばに固まって生えてくると聞いたことがある。

 高速道路を下り、大きな川にかかる橋を渡った。対岸側は真っ暗だ、水面には星が光っていた。どうやら橋を挟んで県境を越えたらしく、家が急に減りはじめた、車は畑と大型トラックしかない土地を走っていた。なんだか、ゴーストタウンの様な感じのする田舎だった。

 向こう側にこんもりとした山が見える、色の濃いブロッコリーのようである。千央たちはその山へ向かっているのだ。

 山道に入ると、群青色の空が全て緑林に覆いつくされた、何か光るものと目があったと思ったら、それは林から顔だけ突き出した狸の目であったりした。

 しばらく進むと、車のエンジン音の他に砂が軋む音や石が弾け飛ぶ音が加わった。車が脇道に入ったようだ。唐突に車が止まり、千央は前につんのめった。

ようやく目的地についたらしい。父は行くぞ、と目配せし、さっさと降りていった。

 千央は降りようとして足に力を入れたが緊張のせいか、長く座っていた痺れのせいか、情けないことに全く力が入らない。

 千央は今回の教祖が更正に暴力的な手段に訴えないことを何にともなく祈った。

 やっと車を降りた千央は、それを見た。

 木は整えられ、前庭の通り道には白い砂利がしいてあり、その道の先に白いペンション風の家がそびえ立っている。ゴーストタウンのようだとは思ったが、まさか幽霊のような建物に遭遇するとは。町の明かりもない山の中、それはまさにゴーストのように闇に浮かびあがったのだった。それは邸宅といってもよいほど大きく、横向きに打たれた板が鱗のように見えた。

 立派だった、お金持ちか。気にいらない。千央はそれさえも憎たらしく思えた。別に金持ちだから嫌いなわけではない、彼らの金集めの方法が気に入らないのだ。

 千央は大股に、足取りをしっかりと歩いたのだが膝下がゴムのように頼りなく、アンバランスに感じられた。ふと横を見ると、綺麗な蛾が柱のように群れていた。お手玉のような動きで上がったり、下ったりを繰り返して飛んでいる。さらに蝙蝠がその間を縫うように滑空している。

 色々複雑な気分で扉を開けると、余計な笑みを張り付けた、親しげな雰囲気のおばさんが奥から出てきて、二人を出迎えてくれた。二人は中に入った。

 玄関は広く、こんな時間だというのに来訪者の靴がいくつも並んでいた。革靴が主だ、千央はなんだか気が重くなった。脇に置いてある鉢植えには透明のバイクの雨よけカバーがかけてあった、おそらく温室代わりに使っているのだ。

 千央は靴を脱いだ時、その中に見覚えのあるものを見つけた。

 鉢植えに植わったその植物は、生姜の様な木肌と多肉植物の様な葉をもっていた、最近、金の成る木として店で売ってあるのをよく見かける。そして千央の家の玄関にも同じものが一つあるのだ。

 思いがけない共通点の発見に、千央は苦笑いをさせらた。しかしそのおかげで、少しだけ、緊張がほぐれた。

 つづいて、二人は奥の和室に通された。

 中には中年や年寄りを主に人が沢山集まっていた、子供も数人いた。

 千央達は、部屋の一番後ろに通された。父は回ってきたボードの紙に何やら書き込んでいた。その横で千央は一度は座ったが、どうしても我慢出来ず、膝立ちし、ミーアキャットか、プレーリードッグみたいに前の方を覗き見た。

 前方には低い舞台の様なものが作ってあり、そこから誰かの囁き声が、人垣の間を縫って漏れ聞こえてきた。前の詳しい様子はこちらからは大勢の人垣のせいで見えない。けれども、こんなに人がいるのに話しているのは前にいる数人だけで、他の人は病院の待合室の様にただ座って大人しく待っていた。

 たとえば、千央のナナメ上にいる青銅色の作業着の男は緊張した面持ちで、ただ前を見つめている、肌はよく焼けて赤土の様だ。隣にいる良さそうな丸顔の若者は腕を組み、目をつぶっている。奥の方にいる中年女性は、座っているのも辛そうにしている。腰を痛そうに摩っていた。窓側には年の近い兄弟が騒がしくお菓子の取り合いをしていて、おそらく母親だろうが、地味で痩せた女性が2人が奇声を発するたび、それを諌めている。

 部屋の中は低い話声と時々あがる子供の声の他、とても静かなものだった。千央は前の方で行なわれているやりとりを聞こうと、全力で神経を集中させたが、やはり全く聞こえなかった。

 けれど、前の舞台近くにいる人には間違いなく聞こえているはずだ、個人的な話を知らない人に聞かれて平気なのだろうか?

千央は彼らのプライバシーを人事ながら心配した。それに、すぐに千央にも無関係ではなくなる話だった。

 しかし、千央はこの賑わいぶりを見て脱力感を覚え、少し情けなく思った。こういう商売を始める奴は大抵詐欺師か頭の配線がどこかおかしいと千央は思うのだが、しかし信者たちもまた、どこか変に思える。どちらがより不可思議な存在なのか判断がつかないくらい、というのが千央の考えであった。

 霊能者がそれを詐欺行為だとわかってやっているのなら、倫理的にはともかく、ある意味冴えてる、といえるだろう。しかしながら信者の思考回路の方は、どうひっくり返っても全然理解が追いつかなかった。

 育ちが違うからだろうか?それとも、千央の頭が堅いからだろうか?

 千央には全くわからなかった、完全にお手上げである。結局いつも、本当に他人の脳みそというのは不思議だナァと思い、首を傾げて終わるのだった。

 暇を持て余した千央は、まわりを見渡して、なぜこの人たちがここに来ているのかを色々想像してみた。

 まず、一番分かりやすいのは腰の痛そうな中年女性だ。おそらく、腰痛の件でここに来ているのだろう。次に母親と2人の兄弟だが、夫とうまくいっていないのか、子供連れのところを見ると彼らが問題でも起こしたか、いずれにしても子供達が元気そうなので、あまり不幸そうな感じはしない。逆に深刻そうに見えるのが、作業着の男である。千央は男性が多額の借金でも抱えているのだろうか、と妄想をした。千央には、中年の男性の悩みというのはあまり想像できなかった。作業着を着ているということは、身体は元気なはずだ。だけど、こんなに夜遅くにここに来るなら早く家に帰って体を休めたらいいのに、千央は肉体労働をしているであろう彼を見て思った。

 一番解せないのは、隣に座ったこの若者だ。年寄りが多い中で際だって若い彼は、健康そうで、普通に見えた。彼は瞑想するように目を閉じていた。なんとも堂々として落ち着いている、というより千央とは違い、周りのことに全く興味が無いのかもしれない。

 千央がしばらく見ていると、男はふいに目を開けてこっちに笑いかけてきた。千央は驚いて急いで目をふせた。

 千央はただ目を瞑むって、自分の心臓の音を聞いた。あることに気づき、千央は動揺していた。考えてみれば千央自身も観察対象であり、同時に彼らの仲間であるのだ。

 自分はどう見えているのだろうか。きっと問題児に思われてるだろうなと思い、嫌な気持ちになった。所詮この部屋にいる人たちと、自分は同じ穴のムジナであった。 本来なら、自分のために使うべき時間や金を、この馬鹿な場所に注ぎ込んで、いるのかいないのかも分からないようなもののために、人生を二重三重に無駄にしているのだから。

 その時ふと、さっきの瞑想した若者の気持ちが読めたような気がした。彼は千央と同じように、ここにいることを恥じ入っているのだ。

 しかしすぐに、自分と同じ心情ということはない、と気づいた。彼は大人だし、来るのも来ないのも勝手なのだから、千央のように大人に連れてこられることもない。自らの意思でここにきているのだと。

 千央は仲間を失ったような気がして、がっくり肩を落とした。たった0コンマ1秒の間の仲間意識だったけれど……。

 千央はこの場の一人一人に怒鳴ってまわりたい気分になった。もし、怒りが目に見えるなら、まわりの人は千央を震源に津波のように広がっていくものが見えたんじゃないだろうか、しかし千央は幸いかな、そのような特異体質ではなかった。千央は急に胸が焼けるような悔しい気持ちになった。

 ここにいる、千央を含む人たちのせいで、この詐欺師は肥続けているのだ。千央は興奮してきた、具合が悪くなりそうだ。

 こんな馬鹿で害しかない集団に加わったことはあっただろうか。いや、あったよ、何度も。畜生。千央は目の前にいる信者たちを心の中で罵倒し続けた。お前らのせいだ。チクショウ……。も う いや だ。

 そして怒りと共に、哀れみの気持ちも千央は感じていた。嘘の言葉に騙され、搾取されるばかりの人達。かわいそう。なにもかも、卑劣で狡猾、良心を失った醜い人間のせいなのだ。

 ここで千央の頭に浮かんだまだ知らぬ霊能者は、化け物じみ、そして滑稽な姿をしていた。


 カエルの様な顔の詐欺師は、豪華な玉座におさまりきれないほど肥満している。まわりには小人が群がり、なにかを懇願しながら順番に巨大な口に食物を注ぐ。上戸を流れるように食物はたちまち奈落の底へ落ちていく。小人たちは甲斐甲斐しく世話を焼くが、あまりの忙しさに働くほど体はやせ細り弱っていく。

 中々面白い絵が出来上がった。千央はその中に自分自身の姿を見つけ、3度自嘲的な笑みを浮かべた。ひどい気分だった。自分がこの犯罪詐欺行為の小さな協力者になったような気がした。

 いや、実際にそうに違いなかった。

 千央は、この場所にいるのも辛くなり、目を粒って動かず、せめて感覚や気配を消しさろうと努めた。

 まず、この状況から脳の意識をずらすため他のことを考える、これはなるたけインパクトがあり、気を逸らしやすいものがよい、簡単にいえば、考えたくないような嫌なことだ。だから、千央は学校のことを考える。次にその事柄から関心のピントをずらしていく、すると何かに気を取られているような感覚だけが残り、そのうち磁石のS極とN極のように、じわじわと自分の身体とまわりの空気の境目が分からないようになる。

 そして、自分の意識が視野とともに段々と小さくなっていく、ここまでやると肉体は服とほぼ変わらないような感覚になる。また、精神的にきつい出来事にも、ある程度まで無関心でいられた。

 そうして、うまい具合に虚無感が千央を包みこんでいった。千央は膝においた自分の手が、もはや他人ものに思えた。それは百メートルも二百メートルも先にあるように見え、千央はそれを力なく眺めまわし、ひたすら時間が経つのを待った。



 ふと千央は気がついた、どうやら自分たちが今日の最後の客のようだと、千央たちの後からはとうとう新しい客はやってこなかった。信者達は相談が終わると少しずつ前に詰めていくので、次々と後ろにある明かりは一つまた一つと消されていった。そうすると、部屋はどんどんと暗くなっていき、千央は寒々とした気分になった。

 後半になって舞台が近くなると、前の方の話もきこえるようになってきたが、しかし、来訪者のほとんどは常連らしく、切れ切れの内容しか理解できない。千央はうまいことできているなと、感心すると同時に残念に思った。これでは霊能者の占いの方法が読み取れないからだ。大袈裟だがとりあえずは敵を知れというではないか。少しは心の準備ができるかもしれないと思い、千央はこれまでの経験から少しばかり推理してみた。


 はじめ通っていた霊能者は、頭の禿げた坊さんのような格好の男だった。大きな菩薩像が庭先に飾ってあったのが忘れられない。

彼は当時習っていた習字のおじいちゃん先生に顔がソックリであったから、なんとなく親しみがわいた。しかし、気性が粗く攻撃的な性格で、千央は面食らった。彼からは胎芽と水の精をもらった。

 いつだったか、なぜか羊の彫られた石鹸とカステラを帰りにくれた。そうだ思い出した。その時は調度年末だったのだ。2002年の12月末の出来事であった。その年の次の干支は未であるから。

 次に行ったところは、ボロい猫屋敷であった。霊能者は女で、みすぼらしい格好をしていた。容姿は悪くなかった。なにしろ地元テレビ局の美人リポーターに顔が似ていたからだ。彼女は前世の話をよくしてくれた。あなたの前世は頭の良い侍であるから、勉強を頑張りなさいと言われ、千央は反応に困った。

穏やかな性格で、そこに行くのはそれほどストレスにならなかったが、ボロボロの壁に張られた写真の数ときたら。年代は出鱈目にまぜこぜになっていて、白黒の写真から昭和後期と思われるものまであった。さらに千央が気になったのは、彼女の家の猫が揃いも揃って青目の白猫であったことだ。

 ……結局考えても、何もわからなかった。

 ともあれ、父がこういう人達の居場所を一体どこから見つけ出してくるのかが、千央にはとてつもなく疑問であった。とりあえず、大人の情報網ってスゴイ、この一言につきた。


 「小千谷さん」急に自分の名前が呼ばれ、千央はびっくりして飛び起きた。周りを見渡すといつのまにか、他には誰もいなくなっていた。

 部屋の中はすでに外の闇が迫っているような暗さだった。千央と父は膝立ちで前に行った。舞台の上は煌煌としたオレンジの光で満ちていて、二人の影は背後へ真っすぐに伸びていた。千央は自分の血圧がいくらか上がったかのように感じられた。

 舞台は、床から15センチくらいのところにつくってあり、後ろに地味な色のカーテンがひいてあったが、派手な装飾品でほとんどそれは見えなかった。

 壁からはピンクのボンボン飾りが垂れ、七夕のような紙飾りは動く度に、乾いたカサカサという音をさせていた。奥にある古い木箱にはなにが入っているのだろうか。黒檀の大きなテーブルにはいくつもの菓子箱が山と詰まれていた。いろいろな形の香炉からは細い煙がたえまなく出ている。それらが混然一体となって異国風の複雑なタピストリーみたいになっていた。

 その真ん中にコウモリのような顔をした老婆が座っていた。

 霊能者は千央の妄想に当たるとも遠からずという姿をしていた。

 がっしりした体を粗い編み目の黄色と茶色のポンチョが包んでいて、それが後ろの風景に溶け込み、まるで蛾の保護色のような効果を発揮している。

 特筆すべきはその目である。皮膚がたるんでいるせいで白目部分は見えず、瞳しか見えない。その色は緑か青、しかし外国人のような色ではなく濁った膜がはったような目だった。

 奥に椅子に座った女の子がいて、高飛車にこちらを見下しているように見えるが、単に高い位置に頭があるせいかもしれない。それから派手なチェック柄のフエルト地のツーピースを着た中年女性がいて、脇で書類整理をしていた。もう随分暖かいのにも関わらず、そんなものを着ていて暑くはないのだろうか、千央は不思議に思った。

 千央は緊張したが、挑むような気持ちもあって、ふてぶてしい顔を向けた。なんとなく懐かしい感覚だ。

「さて、今日は何のごようでしょうか」と老婆。

「ええ、今日は娘のことでお尋ねしたいことがありまして」

 老婆はこちらを見据え、

「あらあら、どうしたの」

と言った。

 父は

「あのですね、この子がこの間、普通じゃない状態になりまして」

「普通じゃない?」

「この間寝室を覗いた時、この子が……、誰かと話していまして」

「お話してていた?誰かと?」興味深げにききかえした。

「決まって深夜二時ごろです、何か暗闇に向かってぶつぶつと」

 ここで千央は、堪らず赤面した。

「朝聞くと、本人は覚えていないといいますし……」

 それから数分間、しばらく千央にとって、つらい時間となった。

 父は千央の異常行動の詳細を述べた。

「他にいつだったか、夜中にいきなり起きて暑いと大声暴れ回って、顔が燃えると顔を真っ赤にして言い、息が詰まると苦しそうでした。恐ろしかったですよ、私は。まるでこの子が何かに憑かれたように暴れ回りまして。とても尋常ではない様子で」

 父は強く息をはいた。

「まぁ、そうでしたか」 霊能者は本当に驚いているのか、その降りをしているのか、わからない反応を見せた。

「で、どうやって落ち着かせたんですか?」

 霊能者は探偵のような目つきで考えながら言った。

「しばらく宥めていたら、大人しくなりました」

「大変でしたね」と老婆。

 さらに父は「後ですね」と続けた。まだあんの!?

「虚ろな目をして空間を見ていたり……、、何か危機せまったような顔をしてグルグル回ったり、とつぜん犬のように唸ったり」

 千央は声をだして笑った、笑うところではなかったのだけど、悲惨な気分を盛り上げるために必要だったので。そのことには何も言わず、霊能者はでは見てみましょう、と言った。 千央は前の方に呼ばれ、膝立ちでステージ前に移動した。

 霊能者の前には黒檀っぽい文机があり、その上にはフタ付きのマグカップ、と用紙がニ、三枚、手には万年筆がある。

「手を出して」

 千央は霊能者に拳をつきだした。

 霊能者は千央の拳に手をおき、下を向きぶつぶつとつぶやいた。

「☆※●□▼※」なんとも物騒な独り言である。手相を見るのかと思ったが違うようだ。

 霊能者は後ろにいた父にきいた。「この子は兄弟はいない?」

「はい、一人っ子ですね」

「ふぅん、そうなのね」

「この子は何か大きな病気をしたことはある?」

「いえ、特に大きなものは……」 ここで霊能者は千央の手を裏返し、強引に開こうとした。

 千央は意固地になって拳を握ったままにしようとしたが、無理矢理開かされ力ずくで伸されてしまった。

 彼女は人間の手を初めて見たかのように千央の手の平や指を入念に調べはじめた。

 これどこかでみたことがあるなぁ……そうだ。テレビでみたチンパンジーが実験で似たような動きをしていたのだ。その時の実験はどのようなものだっただろうか、と考えているうちに、彼女の手は千央の二の腕あたりまできていた。まるで、千央の腕が命綱であるかのようにがっしりと掴んでいた。目に映るものが本当にそこにあるかを確かめているようだった。

「この子冷え症だね」 まだ腕をべたべた触っていた、加減しつこい。

「そうです。最近食欲もないようで大分痩せたんです」 霊能者は人差し指と親指とで、千央の手首の太さをを図ると、なるほどと言った。

 これすらも何かの霊のせいにすると千央には何となくわかって、うんざりした。おそらくただの夏バテであるのに。

「うゎ、冷たい冷たい」

 今度は霊能者は千央の手を、摩擦で暖めようと擦っていた。千央は冷え症だった。さすがに悍ましく、千央は腕を引っ込めようとしたが、霊能者がすごい力で掴んでいて微動だにしない。数秒間無言の攻めぎあいが繰り広げられたが、結局千央はしぶしぶ諦めた。

 その時、どこからか笑い声が聞こえてきた。声の主を捜すと女の子と目が合って、千央と女の子はしばらくの間睨み合っていた。

 そして、ふと、鳩尾辺りに違和感を感じたと思ったら、今度は千央の胃袋辺りを霊能者は突くように触っていた。

そして、じくじくしてるねと言った。 私の胸には水虫菌でもいるのかと千央は憤慨した。やれやれと、千央は仏頂面で大きく息を吸って吐いた。また笑い声がする、幻聴だろうか。

 また霊能者は何事かぶつぶつ言い、今度は何かを探っているかのような感じだった。恍惚の表情。これがトランスというやつか、千央は少しだけ感心した。「この子はどんな性格ですか」

「温厚、気弱、引っ込み思案、大人しい、強くものが言えない」 確かにここに来てから喋っていないが、それはあまりにあほらしいからだ。

「お母さんはどんな人ですか」

「活動的ですね、テレビ局に勤めていまして」

父は母の話題になると生き生きしだした。

「お母さんからではない」

「お父さんはお仕事はなにされてるんですか?」

「歯医者をやっております」 父は厳かな調子で答えた。

「家は三人暮らし?」

「いえ、母方の祖父も一緒に住んでます」

「あら、婿養子になられたの」

「いえ病院が母方の祖父の病院なので」

 千央は父はこのことを言いたくなかったのではと思った。でも、父も少しは嫌な思いをしてもらわないと不公平だ。 そういえば、父はたまに自分のことを、皮肉って職業養子と言っていた。

「学校は楽しい?」

 初めて質問された。千央はうーんと唸った。

「学校でも大人しい子です」

さらに父は続けた。

「成績もいい」

 千央は目を剥いた。

「体育は?」

「割とできる方だと思います」

「友達とけんかしたりは?」

「そんな性格じゃないです」「そういえば、以前学校に行きたくないと言ったことが……」

 霊能者の目が一瞬キラリと光った、ような気がした。

「それはどんなわけで?」

「ええ1年前くらいですかね、具合が悪いと言って急に休みがちになりました」

「何で嫌だったの?」 霊能者は千央の顔を覗きこんできた。千央は押し黙った。

「友達同士のトラブルらしいんです。担任の先生が色々動いて下さって、それで行けるようになったんですけど」

「どういう揉め事だったの?」

「先生がおっしゃるには、仲間外れにされてるんじゃないかと、なんというかクラスにボス的な子がいるらしいんですよね。それで友達も一緒になって無視したり、大人しい性格ですから、何も言えんでしょうが」

 さて、千央はここで怒るでもなく悲しむでもなく、ふと、オヤ、何かがおかしいぞと思った。確かにここでやっていることは大概がおかしいし、格別へんてこではある。しかし今感じたものは、また別のおかしさだ。閃きに似た性質の違和感というのか、いくらか陽性の興奮が混じっていた、ここではかなり珍しい部類の感情だ。

「どんな子?」

「その子はかなり気が強くて、クラスでも度々トラブルを起こしていたようです。この子はきいても何も話さないんですよ」

 老婆は隣の父と千央を交互に見ながらきいていた。千央はその間苦悶の百面相を演じていた。

そしてよりによって、つらい時は言わなきゃダメよ、と霊能者に説教されてしまった。千央は、私は今現在つらいのだが、これは一体誰に言えばいいんでしょうか、と内心皮肉った。その子が関係あるかもしれませんね、お祓いをしましょう、と霊能者は言った。

 これは新しいパターンだった。かわいそうにその子は生きてるのにもかかわらず、亡霊にされてしまった。しかも、いじめられているのを前提に話が進んでいくので、おかしいことになっている。

 実は今の父の話、この話には大きな誤解がある。千央は今回の学校の件について得に誰にも話していなかったが、てっきり今までの父のようすから、このトラブルを九割方把握していると思っていた。しかし今回の話でその半分もわかっていないらしいということがわかったのである。勝手な推測で話しているのだ、しかしなんであんなに物知り顔で自信満々なのだろうか、千央は不思議でならないのだが……。 とにかくこの霊能者は全く関係がない別の話をもとに、千央の憑きものを診断することになるようだ。これは良い見極めの材料になる、と千央は思った。つまり彼女が本物の霊能者であるならば、話の真偽も含めて真相を見破るのではないかと千央は考えたのだ。なにせ彼女は霊と話しができるわけだから、本来ならば親や本人も知らないことがわかってもいいはずだ。

 しばらく黙った後、霊能者が口を開いた。

「その子の念が千央さんに干渉して、雑霊を引き寄せています」

千央は大きく息をついた。やっぱり、偽物だ。やった。

 そして、千央の肩に手をおき、話しかけた。「出ていかんね……ここにいちゃいかん……、出ていかんね!!ダメダメ、離れなさい!!」怒って吐き捨てるように言った。

千央は自然と肩が震えだすのをなんとか耐えた、まだ霊能者の手が肩に乗っていたのだ。息を吸いそこない、鼻が豚のように鳴りそうになった、千央は息を止めて耐えた。霊能者はまた呼びかけたが、霊はどうやら出ていきたくないようだ。

ちなみに出て行っても何か合図や印があるわけではないようなので、霊能者の態度からなんとなく汲み取るしかない。

「頑固かばい」

 頑固なのはあんただよ、クソが。

 そしてまた霊能者は千央の手を握りしめた。

「ところで一族の中で早死にした人はいませんか?」文机の用紙を見ながら言った。

 さっき父が書いていたものだ、千央も向かいから覗き見ることができた。

 彼女は他に家族の流産、借金、病気の有無、不貞等をきいていった、千央はしばらく家族に降り懸かった災難の歴史を興味深く聞いていた。



 千央から数えて五代の先祖に結婚を生涯五回もした人がいたこと、祖父の親戚一家が大水で全滅したこと、~年前馬屋が完成したその夜に火がでて、馬が焼け死んでしまったこと(これは知っていた、なぜなら父の実家にはその死んだ馬の墓がある、行く度にそこで話を聞かされる、赤毛(鹿毛のこと)の美しい馬だったらしい)などを聞いた。

 話をきいた霊能者は一人一人不幸な魂が千央に残っていないか、目をつぶり念を送るようにして確かめていった。時折、誰だかわからないが何かを見つけたように独り言を言ってはそれを追い払う仕種をしていた。それは人相手に話すというよりは、勝手に家に侵入した野良猫を邪険に追っ払っているような口ぶりだった。なので千央はご先祖を内心とても気の毒に思った。

 途中、何かに気づいたようにいった。

「一族で一番長生きした人は誰?」

「曾祖父ですかね。確か90代で老衰で亡くなったそうです」

「ご長寿ね。でも見えてるのは女性なの」 囁くようにいった。

「曾祖母かな」

「寝たきりだった?」

「はい」「なんで亡くなったの」

「胃ガンです」

「それがこの子の胃にきてるのかもね」 千央の肩を撫でて言った。

「ちゃんと最後までお世話してあげた?」

「さぁ、僕はよく知らないんです」

「誰が世話してたの」

「祖母じゃないでしょうか」

「嫁姑仲は良かった?」

「さぁ……、昔すぎて」

 わからないことだらけだ。

 霊能者は祈るようなふりをし、深刻そうな口振りでをひらいた。

「あのね……、そのお祖母さん水が欲しいお腹がすいたって言って成仏できず苦しんでる。亡くなった方が成仏するためには生前の厄怨みやら未練を取り去る必要があるの、それが取り去られてないと成仏できないでこの世とあの世の間で永遠に苦しむことになるの」「ちゃんと墓参りに行ってる?」

「いえ忙しくてあまり」父は小さい声で答えた。

 今度はキリスト教でいう煉獄のようなところにおばあちゃんは捕まっていて抜け出せない、ということらしい。しかもお嫁さんに死に際に虐待された?!という設定で。

本当のところはわからないものの、お嫁さんはとんだとばっちりである。

おばあちゃんも引っ張りだされて災難だ、知らないやつに不幸な死に際だと難癖をつけられて、死後の世界で意識があるなら、きっと怒っているだろうと思った。というかむしろ、千央が怒っていた。

 そして一族の誰かが成仏してないと他の人にも悪い影響があるから、そのためにもお祖母様を無事成仏させなければならない、と霊能者は付け加えた。千央は大きく溜息をついた。

「そしてね、なぜこんなに幼い子が憑かれたかというと、ご本人が我が儘だからよ。普通はこんな小さな子に頼らないでもっと大きな人に行くから。友達のこともそう、本当なら憑かれるようなことじゃないのにそうなったのは、あなたの心が病んでいるせい。だからちゃんと親の言うことを素直な心で聞かないとダメよと言った」 “病んでる”……病んでる。病んでいる……。

 素直な心で聞かなければいけないのか、それはとても難しいことだった。とても。千央はニヤッと笑ってしまった。なんだか可笑しいのと情けないのとで。

 最後辺りにはもう、千央は緊張もとけて、場の雰囲気にも慣れてきていた。というか時間的に長過ぎて緊張が続かなくなっていて、くだらねえと思いながら聞いていたのが、態度に出ていたのかもしれない。ばれていたか。もしかしたら少々反抗的だった千央への仕返しかもしれない、とも思ったのだった。

 最後に霊能者は一枚の絵を見せてくれた、赤い長毛の猿が水彩絵の具で書かれてあった。これがあなたのわがままの精だと、千央は説明を受けた。訳が分からない。猿は足を一歩踏み出し、こちらに向かって歯を剥いている。それを含めた、友人の雑霊などを追い出すらしい。

 それで今日は終わりだった。時間は大分オーバーし、一時間もたっていた。何かと浮き沈みの激しい一日だった。

 

 

 帰り道、二人と一匹の見えない道連れが増えた車は真っ暗な道を走っていた。とりあえず、ひいおばあちゃんにはお茶を出してもてなす。もちろん頭の内側で。Mちゃんは……、オレンジ?リンゴ?わかったファンタね。どうぞ。二人は乾杯した。ぜひ仲良くしてね。え?お前には何もないよ、居座られたら私困るもの。それにお前はお客じゃないんだよ、全くわがままなやつだな。それ飲んだら帰ってね。わかった?千央は皆に頷かせた。



 満足かい?千央は隣に座った父を覗き込んだ。緊張と不安から解放された千央は、疲れきってドアにもたれかかっていた。目がショボついて、肩がこっている、そして身体のどこかの管がいまもドキドキしていた。なにか一仕事やり遂げたような感覚だった。

 多分かなり遅い時間だった。千央は別れ際に言われた言葉を思い出していた。今日一番、千央が脱力した瞬間だった。“次にここに来るのが嫌だというかもしれませんが、それはこの子の中の雑霊が追い出されまいとそう言わせています。まどわされず、次回も必ず連れてきて下さい”逃げ道は無いってことか、やれやれ。そう思いつつ、内心ホッとしていた。実は毎回こういうところに来る度に本当に見える人だったらどうしようと不安に思う。しかし千央の内面を見破るということはなく、ほとんど父の話から(千央はたいてい黙っている)推測できる範囲の答えなのだ。その結果やっぱり偽物なんだとちょっと安心して帰ることになる。と同時にガッカリした気分にもなる。ただ、特に当たりもしないが外れもしないので、本当に偽物なのかハッキリしたところはわからないのだ。

 今までの霊能者ははっきり偽物だと確信がもてずにいた。しかし、今回は見事な外れだった。ここまで確実に偽物だとわかったのは初めてだった。

 霊能者は話の真偽を見抜けなかった、愉快である。勝ったのだ。今回は父の勘違いが良い効果をもたらした、わかりやすい指針指標になってくれた、千央の秘密が守りの砦になってくれたのだ。

 山の坂道が終わり、高速道路に入った。一つ一つの山影が波のように動いているように見える、寝ぼけているのだろうか。空気や光がゆらいでくる。

 しかし、今日霊能者のやった、死者を使った脅しのようなこと、あれはどうだろうか。千央は不意に怒りを覚えた。

 信心深い人や年寄りなら成仏していないとそれらしい理由をつけて言われたら、強迫観念になり、簡単に鴨になってしまうのではないかと……。やっぱり最低だ。ますます霊能者嫌いになった一日であった。千央は自分が死ぬ前に“自分は化けて出たりしないから、偽物には用心しろ”と遺言書に警告を書く必要があるなと冗談のように思った。

 だがそれでも、本物の霊能者がいるなら是非あってみたいと千央は熱望するのだった。千央の思考の始めから結末までを完璧に辿れる人がいたなら、その人は千央にとって最大の理解者になるのではないか、と思うのだ。

 それは言葉も必要ない、唯一無二の存在になるのかもしれない。


 ふいに、目の前の山の影が過ぎ去り、千央の目に大きな光るものが飛び込んできた。なんだ、夢を見ているのだろうか。それは、黒い地に何列にも連なった大きなビニールハウスで、まるで怪獣のさなぎかまゆのようだった。それは、篭ったように白熱していた、溶けた太陽が蝋のように落ちてきたように。そのうちきっと何かが生まれてくるのだろう。怪獣かな。千央は笑った。そんな突拍子もないことを考えつくなんて、もうここが夢の中なのか外なのか分からなくなってきた。そして次の瞬間、千央は意識を完全に失ってしまったのだった。

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