第1話 大広玲夏は天真爛漫な女の子
春の心地よい風が桜の花びらをひらひらと泳がせる。
4月のはじめ、今日から俺、唯佑人も高校2年生。だからと言って、特に感慨などない。
むしろ、高校に向かう足取りが重い、つらい。
……いじめられてるとか、春休みの宿題が終わってないとかではないぞ。
まあ確かに徹夜はしたけど。
理由は単純明快で、駅を出てから高校まで長い登り坂が続くから。特に夏だと地獄だ。
坂道の途中に高校作るなんて、設立者はさぞかしドSなんだろう。
そんなこの特徴的な通学路も1年経てばだいぶ見慣れてきた。
高校の領域を仕切るように聳え立っている石垣は苔でコーティングされて、その壁面を伝うように蔦が生い茂っている。
なんとか坂を登り終え、校門を抜ける。ひとまず俺は1年5組の教室に向かう。
今日は始業式。1年間お世話になったこの教室もこれで見納めか。
朝のHRで旧担任の藤Tからクラス分けが発表され、新しい教室に向かう予定のはず。
そんなことを考えながら教室に入ると、いつも以上にガヤガヤとしていた。
その多くは名残惜しむように友達とおしゃべりをして、クラス分けの発表が差し迫っていることに落ち着かない様子だ。
ふと前方の窓際の方を見やると、見知った顔がいくつもある。
まあ、別のクラスになるかもしれないし、挨拶でもしておくか。
荷物を自分の席に置いた後、机と机の間を突っ切るようにしてゆっくりとそこへ向かう。
「うーっす」
「おはよう、佑人」
俺たちが定型文と化した言葉を交わしていると、そのうちの一人がなんのけなしにこう口にした。
「髪になんかついてるぞ」
そう言って、そいつは俺の頭に手を伸ばした。
不覚にもドキッとする。
黒水達也。
ワイルド系イケメンという言葉がぴったりな男だ。
俺よりも少し背が高く、目つきの鋭いコワモテだが実は優しいのを俺は知っている。
黒水は俺の髪についていた葉っぱを手に取り、指で弾いて窓から風に流した。
「あ、ありがと。今日のクラス分け、楽しみだな」
「ああ」
いやいや、俺が花の女子高生だったら間違いなく一目惚れしていたところだった。危ない。
にしても、相変わらず口数の少ないやつだ。新しいクラスでうまくやっていけるか心配になる。
そこに、一年の頃から何度も顔を合わせてきた男がいつものようにスカして話しかけてきた。
「あのさ、唯くん。僕2年生になっても君と一緒のクラスになる予感がするんだ」
一応聞いてやるか。
「……どうしてそう思うんだ、八坂?」
八坂は手櫛で髪を整えながら胸を張る。
「クラス分けに関するあらゆる要素を勘案して熟考に熟考を重ねた結果、明日もこうやって教室で世間話をする僕らの姿が簡単に想像できるからだよ」
……つまりただの勘ってことだな。
クールぶっているが、相変わらず八坂聡の発言には全くもって論理とか理屈とかがない。
このキザ野郎、聞いた俺がバカだった。
そのくせして成績優秀でバスケ部のエース。
宝塚風の端正な顔立ちをしているから一定の女子人気がある、簡単に言えばモテてるってことだ。俺、こんなホラ吹き野郎に負けて悔しいよ。
たまには八坂にロジハラでもかましてやろうかと思っていると、扉をガラガラと開く音がした。
前担任の藤Tが入場。
誰が合図をするわけでもなく皆が席につく。
クラス分けの表が乗ったプリントを配る藤Tはいつも通り気だるげ。
「えー、ついにお前たちは2年生になったわけだが、後輩ができるわけだから1年生の頃とは背負う責任が段違いになる。部活や委員会、あとはまあ……そんなに多くはないか。まあそういう話は新しいクラスの担任にしてもらえ」
そんな相変わらずのグダグダ進行も今日で終わりか。
そう思いながら配られたプリントに目をやる。
……字が小さくてよく見えん、1学年あたり8クラス300人以上もいるんだぞ。
全員のフルネームをA4の紙1枚に載せようとしないでくれ。裸眼で視力2.0の俺でも厳しい。
心の中で不満を漏らしながらも、俺はなんとか目をこらす。
ふむ、俺は2年1組か、あの教室なら比較的体育館と近いから便利だな。
そう思いながら新しい1年間、いや、2年間を共にする仲間たちの名前に上から軽く目を通していると、ある名前に目が留まった。
「大広玲夏……?」
どことなくその響きに覚えがある。特に名前。
玲夏
……しばし記憶を辿っても思い当たる節がない。
まあ顔を見ないことには始まらないな。
れいかっていう名前はそんなに珍しいものでもないし。
ふうっと軽く息をつき、俺は新しい教室へと向かった。
「れいか〜! 同じクラスになれて嬉しいよ〜!」
「まいちゃんじゃん! これからよろしくね〜」
俺の新しい本拠地、2年1組の教室の黒板前で行われている女子たちのやりとりを見て俺は完全に思い出していた。
大広玲夏
どこからか彼女についてきゃあきゃあと黄色い声が聞こえてきた。
盗み聞きした内容をかいつまんで要約すると、バレーボール部の次期エースとして嘱望されていて、誰にでも弾けるような笑顔を見せるその天真爛漫さから、この代のカーストトップに君臨している……とのことだ。
流行りのシースルーの前髪は朝陽を浴びて、くりっと大きな瞳を持つ顔にさらなる透明感を演出している。
それでいて主張しすぎない程度に起伏のある体つきは、手を差し伸べたくなるような可愛らしさに溢れている。
要は、客観的に見てこのクラスで一番モテそうなルックスをしているってことだ。
まあ、本人はその立場にいる自覚はないみたいだけど。
「てか、安心した! このクラスそこそこ友達いて。れいかちゃんは?」
「わたし? んーそうだなー……あ!」
そんな下世話なことを考えていると、彼女とぱちっと目があった。
大広は茶目っ気の混じった黒髪をなびかせてこっちの方に駆け足で近づいてきた。
え、なんか俺の顔見てない? 何の心当たりもないんだけど。
大広は俺の机に手のひらをポンと置いて、まるで大親友のような距離感で顔を近づける。
「唯佑人くんだよね」
そういうと大広は俺の顔をじっと見て、一瞬目を細める。
「……やっぱりそうだ。話してみたかったんだ。これからよろしくね!」
大広はくしゃっと笑った。




