七階からの墜落
その日の、異様に湿度の高い午後。
都留野さんは、三芳さんと入念に選んだ勝負服——シルエットが露骨に出るタイトで胸元がやや大きめに開いたブラウスを制服のベストの下に着て、あの日よりもさらに高いピンヒールを鳴らして、7階へと向かった。
「返事、もらってくるわ」
そう言い残した彼女の背中を見送る三芳さんの顔には、自分の身代わりに聖地へ向かう戦士を見守るような、不気味な高揚感が漂っていた。
しかし、戻ってきた都留野さんの足音は、驚くほど静かだった。
ツカっ、ツカっ……という威勢のいい音ではなく、まるで引きずられるような、力ない音。
彼女は自分のデスクに戻るなり、魂が抜けたように椅子に崩れ落ちた。
「……ダメだったの?」
三芳さんが、獲物を狙うような鋭さで駆け寄る。
都留野さんは震える手で、一枚の付箋を握りしめていた。そこには、彼から直接言われた言葉が、呪いのように彼女の脳裏に焼き付いていたのだ。
後で私が風の噂で聞いた、その社員の本音は、都留野さんが想像していた「格差」や「立場の違い」ですらなかった。
「ああ、あの子? 確かに綺麗だけどさ……。なんていうか、**『必死すぎて怖い』**んだよね。あの日、朝早くに来た時もそうだけど、目が笑ってないっていうか。香水の匂いもきつくて、何より、自分の背後で誰かが糸を引いてるみたいな、不自然な気合の入り方が鼻につくんだ」
さらに、彼が同僚に漏らした一言は、都留野さんと三芳さんが積み上げてきた「武装」を根底から否定するものだった。
「商社の男を捕まえれば人生逆転できる、なんて思ってるのが透けて見えるんだよ。子会社の事務員が、急にハイヒール履いて『食事どうですか』なんて、ドラマの読みすぎじゃない? 悪いけど、僕らが求めてるのは、もっと自然体で、教養のある自立した女性なんだ。あんな『切り貼りで作ったような女』、怖くて横に置けないよ」
「考えておく」という言葉は、彼にとっての「断るのも面倒な相手への社交辞令」に過ぎなかった。
都留野さんが捨て去った、あの「クリームコロッケを揚げる家庭的な温かさ」こそが、実は彼女の最大の魅力であったことに、彼女自身も、そして彼女を操った三芳さんも、最後まで気づかなかったのです。
三芳さんは、都留野さんの報告を聞くと、慰めるどころか、自分まで拒絶されたかのような激しい憤りに顔を歪めた。
「そんなはずないわ……。あんな男、見る目がないだけよ! 都留野さん、もっと、もっと自分を磨かないと。次よ、次の人を――」
三芳さんの言葉は、もはや励ましではなく、壊れた蓄音機のような悲鳴だった。
都留野さんは、三芳さんの顔をじっと見つめた。その瞳には、初めて三芳さんに対する「疑念」と、すべてをシュレッダーにかけてしまったことへの「根源的な恐怖」が浮かんでいた。
背中に冷や汗を流しながら、私は確信した。
二人を繋いでいた細い糸が、今、音を立てて切れようとしているのだと。




