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微笑みの仮面と無邪気な刃

オフィスには時折、空気を読まない「部外者」が迷い込む。

7Fの商社本体からやってくる、天然キャラで有名な社員の河村さんは、三芳さんにとってまさに「天敵」だった。

その日も河村さんは、フロアに響く明るい声で三芳さんのデスクに近づいてきた。

「あら、三芳さん! お疲れ様です。……あ、今は荒木さんでしたっけ? でも私、荒木さんって響きが幸せそうで好きなんですよ。ご主人、お元気ですか? 結婚生活、新婚ホヤホヤで毎日楽しいんでしょうね!」

三芳さんの背中が一瞬、石のように固まったのを私は見た。

「……河村さん、仕事の話なら、あちらの会議スペースで伺いますね」

三芳さんは完璧な営業スマイルで立ち上がったが、その手元では、握りしめたクリアファイルがギリリと軋んでいた。

三芳さんがよく私にこぼしていた**「困っているの」**という言葉。

あの時、彼女が本当に望んでいたのは、愚痴を聞いてもらうことではなかったのだ。

「私が事実(離婚調停中であること)を河村さんに伝え、彼女を黙らせること」


それを私は、三芳さんのプライバシーに踏み込んではいけないという遠慮から、あえて何もしなかった。私の「配慮」は、彼女にとっては、逃げ場のない地獄を放置されるに等しい「冷遇」だったのかもしれない。

露呈する「泥沼」

その数日後、ついに決定的な瞬間が訪れた。

昼下がりのオフィスに、三芳さんのスマートフォンが震えながらデスクから滑り落ちた。

運悪く、それを拾い上げたのはまたしても河村さんだった。

「あ、荒木さん、電話。……あれ? 『至急:離婚調停における財産分与について』……? 弁護士事務所からメールも来てますよ?」

河村さんの声は静かなフロアに、驚くほどよく通った。

周囲のタイピングの音が、一斉に止まった。

三芳さんは無言で河村さんの手からスマホをひったくった。

その時の彼女の顔を、私は一生忘れない。

普段の穏やかな三芳さんではなく、そこには、愛憎の泥沼で溺れながら、必死に泥を飲み込み続けてきた女の、剥き出しの形相があった。

「河村さん、……人様の画面を覗き込むなんて、どんな教育を受けてきたの?」

低く、地を這うような声。

三芳さんの視線は、河村さんを突き抜け、その場に立ちすくむ「私」の方へ向けられた気がした。

「なぜ、あなたが黙らせてくれなかったの?」

責めるような、絶望したような瞳。

三芳さんは、自分が泥沼から抜け出せない絶望を、都留野さんを「加速」させることで紛らわせていたのだ。自分が手に入れられなかった「清算」を、都留野さんの人生をシュレッダーにかけることで疑似体験していたのかもしれない。

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