第96話 返事の名札
翌朝、砦の門の外に小さな包みが置かれていた。
誰も見ていないはずなのに、きっちり門の中央。見つけてほしい置き方。怖さを呼ぶ置き方。
ローガンが鞘の先で包みを引き寄せ、地面に置く。
「先生、触らないほうがいい」
「うん。見るだけ」
私は息を吐いてから近づいた。
カイゼルの影が、私の隣にぴたりと付く。近すぎない。離れすぎない。呼ばなくても返事がある距離。
包みを開けると、中から落ちたのは――小さな札。
名札みたいな薄い板に、綺麗な文字で刻まれている。
『リュシアは、裏切り者』
喉の奥がきゅっと縮んだ。
“名札”は怖い。貼られると、自分で剥がしにくい。しかも、人の口で勝手に増える。
フィンが息を呑んで、拳を握る。
「こんなの――」
マルタが冷たく言った。
「貼らせない。剥がす。先生のやり方で」
私は首もとの印に触れ、長く息を吐いた。
大丈夫。名札は、返事で外せる。
「……裏切りじゃない」
掠れ声で言うと、自分の胸が少し落ち着く。
「私は追い出された。だから、ここで戻る場所を作っているだけ」
そのとき、カイゼルが札を見て、低く言った。
「これは“名札”ではない」
短い声。線を引く声。
「呪いだ。貼ろうとするな」
私は思わず見上げた。
「……陛下、言葉が鋭い」
「お前が傷つく言葉には、鋭くなる」
胸が熱くなる。
でも、守ってもらうだけでは足がなくなる。私は息を吐いて、札を布で包んだ。
「剥がすのは、私がやります」
カイゼルの目が揺れる。
それでも彼は頷いた。
「やれ。だが、一人で剥がすな」
「一人じゃないです」
私は指先を絡める。返事。ここだ。
医務室の掲示板の前に、私は白い紙を貼った。
大きな字で、短く。
『ここは、戻っていい場所』
その下に、白いリボンを一本結ぶ。
揺れたら“ここ”。うなずけたら“戻れた”。
フィンが目を丸くする。
「先生、それ……名札?」
「うん。返事の名札」
私は笑った。
「誰かに貼られた言葉じゃなくて、自分で選ぶ言葉」
ローガンが鼻で笑い、でも目が優しい。
「いいじゃねぇか。貼り返すんじゃなくて、作り直す」
マルタが頷く。
「そのほうが、息ができる」
夕方、診察に来た騎士が掲示板を見て、ぽつりと言った。
「……戻っていい、って書いてある」
「うん」
私は窓を少し開け、息を吐いた。
「戻っていい。裏切り者って札より、こっちを信じて」
騎士が小さくうなずいた。
返事が返事として戻ってくる。名札はもう、怖くない。
夜、カイゼルが私の首もとの印に視線を落とし、低く言った。
「お前の名は、奪わせない」
私は笑って、喉に手を当てた。
「私の名は、ここにあります。返事の中に」




