第9話 祈りより先に、深呼吸
翌日。広間の空気は、いつもより固かった。
白いローブの一団――神殿の使いが来たからだ。先頭の若い神官は、細い顎を上げて周囲を見回した。
「神殿の薬が騎士団で問題になったと聞きました。無礼な扱いがあったのでは?」
その言い方だけで、騎士たちの背中がこわばる。
端の方にいるフィンは、昨日のことを思い出したのか、視線を落としていた。
私は一歩前へ出て、なるべく穏やかに言った。
「無礼に扱っていません。体に合わない子がいた。それだけです」
「合わない? 神殿の加護が?」
「加護は否定しません。でも、息が苦しい子に必要なのは、まず落ち着くことです」
神官は鼻で笑った。
「落ち着く? 戦場でそんな甘さが役に立つとでも?」
私は声を荒げない。感情でぶつかると、必要な言葉が届かない。
「甘さじゃありません。生きるための準備です」
神官が肩をすくめ、周囲に聞こえるように言う。
「なら見せてください。あなたの“準備”とやらを」
――望むところだ。
私はフィンの方を振り返り、目を合わせた。
「フィン。昨日の呼吸、もう一回やろう。十回。ここで」
「……こ、ここで?」
「うん。大丈夫。私が一緒にやる」
フィンは少しだけ頷き、鼻で吸って、口で吐いた。最初は浅かった呼吸が、だんだん落ち着いていく。
それを見ていた騎士が一人、二人と真似をした。広間の空気が少しずつ柔らかくなる。息が揃うと、妙に怖さが減るのだ。
神官は戸惑った顔をした。
「……そんなことをして、何になるのです!」
私は静かに答える。
「息ができると、考えられる。考えられると、守れる。――怖さは消えない。でも、抱えられます」
そのとき、扉の向こうから冷たい気配が滑り込んだ。
皇帝カイゼルが現れると、広間は一瞬で静まる。
「話は聞いた」
皇帝は神官を見下ろし、短く告げた。
「神殿の薬は、当面騎士団に持ち込むな」
「陛下!」
「祈りは止めない。だが、私の兵を壊すやり方は許可しない」
神官は唇を噛み、言い返せないまま一礼した。ローブの一団が引いていく。
残ったのは、騎士たちの静かな息遣いだけ。
私はフィンの肩を軽く叩く。
「よくできた。今日はちゃんと寝よう」
「……はい、先生」
皇帝が私の横に来て、低い声で言った。
「お前がいると、皆が安心する」
「陛下もですか」
皇帝は少しだけ視線を逸らす。
「……否定はしない」
不器用な言葉に、私は小さく笑ってしまった。
けれど次の瞬間、ローガンが走り込んでくる。
「先生! あいつら、帰り際に妙な札を落としていった!」
渡された黒い札には、短い言葉が刻まれていた。
『次は、医者を黙らせる』
胸の奥が冷たくなる。
でも、私は息を吸って、ゆっくり吐いた。――今、私が崩れたら、みんなが不安になる。
「大丈夫。黙らないよ」
そう言った私の横で、皇帝の声が低く落ちた。
「黙らせはしない。――私が守る」
約束の言葉は、命令より強く聞こえた。




