第89話 「選べる」を抱きしめる
朝のざわめきが落ち着いたあと、私は窓辺で息を吐いた。
ローガンが紙を燃やしたことは、ありがたいのに胸がちくりとする。守られるのは嬉しい。だけど、守られすぎると、自分の足がなくなる気がする。
私は首もとの印に指を当てて、勇気を出した。
「……陛下」
「ここだ」
返事が落ちる。待つ間のある返事。
「私、選びたいです」
掠れ声でも、言い切った。
「守ってほしい。でも……全部を先に折られると、私が置いていかれそうになる」
カイゼルの目が一瞬だけ揺れた。
怖がらせた、と思いかけて、私は息を吐く。違う。言えた。戻れた。
カイゼルは私の前に立ち、外套の裾を揺らさないまま、低く言った。
「置いていかない」
短い。強い。
でも次の言葉は、もっと静かだった。
「お前が選べるようにする。それが私の守りだ」
その言葉に胸が熱くなる。
私は喉に手を当てて、少し笑った。
「じゃあ、紙を燃やすのも……私が決める」
「そうしろ」
即答。
「見るなら見る。見ないなら見ない。だが――見るときは私の隣で見ろ」
ずるい。
隣にいろ、が甘くて強い。私は頷いてしまう。
「はい。隣で見ます」
「うん」
そのとき、扉が開いてフィンが顔を出した。
入ってくる前に、ちゃんと息を吐く。待つ練習が身についている。
「先生、今日は診察、混みそう」
「分かった。順番、作ろう」
私は白いリボンを指に結び、合図を確認する。揺らしたら“ここ”。うなずけたら“戻れた”。
廊下に出ると、騎士たちが並んでいた。
強面が揃っているのに、みんな目が少し柔らかい。眠れる顔が増えた証拠だ。
最初に来たのは、いつも無口な騎士。
椅子に座るだけで精一杯みたいに肩が固い。
「……先生」
声が出にくい。
私は窓を少し開けて、ゆっくり言う。
「吐こう。長く。吸うのはあと」
彼が息を吐き、肩がわずかに落ちる。
それを見て、私は微笑んだ。
「選べるよ。今日は休むって選んでもいい」
騎士が目を丸くする。
「……休んでいいのか」
「いい。戻るために」
その背後で、カイゼルが立っていた。診察室の外側。近すぎない。でも、いなくならない距離。
視線が合うと、彼は小さく頷いた。
昼、ローガンが小さな紙片の灰を持ってきた。
「燃やした残り。……先生が見るなら、これだけ」
私は息を吐き、カイゼルを見る。
「見る?」
彼が短く言う。
「選べ」
胸がじんとした。
私は灰を指で触れず、布で包んで受け取った。
「……今日は見ない」
言い切ると、肩が軽くなる。
「私が揺れないほうを選ぶ」
カイゼルの指が、私の指を絡めた。返事。ここだ。
「良い選択だ」
その声が、甘くてずるい。
夕方、診察が一段落したころ、カイゼルが私の前に立った。
言葉より先に、手が伸びる。抱きしめる許可を待っている手。
私は小さく笑って、腕を広げた。
「……今は、抱きしめていいです。怖さじゃなくて、嬉しさで」
カイゼルの腕が、そっと私を包む。息ができる距離で、でも離さない。
「お前が選べるのが、嬉しい」
耳元の声が、静かに落ちた。
「選べるなら、戻れる。戻れるなら……私は安心できる」
私は外套の布に額を寄せて、息を吐いた。
「じゃあ、安心してください。ここにいます」
「うん。……私の側に」
溺愛は、甘いだけじゃない。
「選べる」を抱きしめてくれる。
それがいちばん、息がしやすい。




