第85話 首もとに結ぶ、合図
廊下の奥で鳴った金属音は、鈴じゃないのに心を刺した。軽くて、わざとらしくて、こちらの呼吸を乱したがっている音。
私は喉に手を当て、長く息を吐く。
隣でカイゼルの指が絡む。返事。ここだ。
「見に行く。でも、走らない」
「うん。二人で」
ローガンとフィンが先に灯りを持つ。マルタは扉を少し開けて風を通す。砦の夜は冷たい。だからこそ、空気が淀むと分かりやすい。
音のした角に、小さな金属片が落ちていた。輪っか。留め具。
拾おうとしたフィンの手が止まる。
「……触らないほうがいい?」
「うん。まず、見て、息」
私は白いリボンをゆっくり揺らし、みんなの視線をそろえる。怖さが散らばると、ひとりが生まれる。
ローガンが鞘の先で金属片を引き寄せ、灯りの下に置いた。
そこに薄い紙が挟まっている。
『首に戻せ』
短い言葉。命令の形。
胸の奥がちくりとする。――見せるように戻せ、と言っている。揺らして、狙いやすくしたい。
私は紙から目を離し、息を吐いた。
「戻すのは、私が決める」
カイゼルが低い声で言う。
「奪わせない」
その返事は、怒りじゃなく線引きだった。怖さを増やさない声。
私は胸の内側の印に触れる。そこにある。だから戻れる。
でも同時に、思った。隠し続けることが、相手の言葉に引っぱられている形にもなる、と。
「……首に戻すなら」
私は小さく言った。
「見せるためじゃなくて、帰るためにしたい」
カイゼルの目が、まっすぐ私を見る。逃げない目。
「お前がそうしたいなら」
医務室へ戻る。窓を少し開ける。灯りを落とす。
私は胸元から印を取り出した。冷たい金属が、指先で少しだけ震える。
「怖い?」
カイゼルが尋ねる。
「少し。でも……戻りたい」
私は鎖をそっと差し出した。
「付けて、くれますか」
カイゼルは一瞬だけ動きを止めた。たぶん、触れていいのか迷った。
それから、丁对に、丁寧に。首もとの後ろで留め具を合わせる。指先が熱くて、息が浅くなりそうで、私は吐く。
「……ただいま」
小さく言うと、カイゼルの手が留め具を確かめるように一度だけ触れた。触れすぎない距離で。
「おかえり」
掠れていても、はっきり聞こえる返事。
窓から風が通り、灯りが揺れた。
首もとに戻った印は、見せびらかす鎖じゃない。私は自分で選んだ帰り道の合図だ。
廊下の向こうで、ローガンの低い声がした。
「……次は、もっと派手に揺らしてくるぞ」
フィンが頷く。
「でも、俺たちも合図が増えた」
私は首もとの冷たさに指を当てて、息を吐いた。
「うん。揺らされても、戻れる。ここがあるから」
カイゼルの指が、私の指に絡む。
返事は、声より近い。
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