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第84話 首もとに戻る、ただいま

 砦の廊下は、懐かしい匂いがした。薬草と金属と、煮込みの湯気。

 マルタが有無を言わさず私の手に温かい椀を押しつける。


「まず飲む。あとで話す」

「……はい」


 ひと口。喉がほどける。胸の奥の張りが、じわっと溶けた。

 フィンは落ち着かない顔で、でも走ってこない。入口で止まって、息を吐いてから言った。


「先生、おかえり」

 ローガンは腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言う。

「帰ってきたな。……無茶すんな」


 “無茶をしない”って、こんなふうに言われると、ちゃんと守れる気がする。

 私は白いリボンを指で整えて、うなずいた。


 その夜、医務室の窓を少し開ける。風が通って、灯りが揺れる。

 カイゼルはいつものように、部屋の端に立って私を見ていた。目がまっすぐで、逃げ道を塞ぐみたいに優しい。


「……戻った」

「はい。戻れました」


 胸の内側にしまっていた印が、服越しに小さく鳴った気がした。

 私は指先でそれを確かめてから、言った。


「まだ、外に出したくないんです。奪われたらって思うと……」

 カイゼルは少しだけ眉を動かし、それから低い声で返す。


「奪わせない」

 短いのに、待つ間がある。怖さを増やさない返事。


 彼は外套の内側から、黒い布の結び目を見せた。

「迎えに行ける合図は、ここにある」

 私は喉に手を当てて、息を吐く。

「私は、吐く合図。陛下が焦りそうなとき、先に吐きます」


 カイゼルの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

「……それは、助かる」


 そのとき、廊下の奥で小さな金属音がした。鈴じゃない。けれど、嫌な“軽さ”のある音。

 私の背中が一瞬冷える。カイゼルの指が、私の指を絡めた。


「ここだ」

 その返事で、足が止まる。焦りがほどける。


 ローガンが戸口に現れ、低く言った。

「さっきの音、見張りが拾った。……ただの落とし物じゃねぇ」

 フィンも頷く。

「でも、走らない。灯りで囲う。先生のやり方で」


 私は白いリボンをゆっくり揺らした。

「うん。追わない。ひとりにしない」


 カイゼルが私の方へ半歩近づく。触れない距離なのに、守られている。

「怖いなら、言え」

「……少し怖いです」

「分かった」

 それだけでいい、という返事だった。


 私は胸の内側の印に触れて、そっと笑った。

 首もとに戻らなくても、“ただいま”はここにある。

 待ってくれる手と、戻ってくる息と、灯りの輪。――そして、隣にいる返事。


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