第77話 追わない捕まえ方
路地の入口に灯りが並ぶと、空気が変わった。
逃げ道が消えた、というより――「ここにいる」を増やした感じだ。闇は、居場所を奪うために隙間を探す。なら、隙間を減らせばいい。
私は胸の内側の印を確かめ、長く息を吐いた。焦りの足音を、体の外へ追い出すみたいに。
「先生、平気?」
母親がまだ涙目で言う。
「平気。いま“待てた”から」
私は白いリボンをゆっくり揺らして見せた。
「ほら、ここ。大丈夫の合図」
子どもがこくりとうなずく。
その小さな返事だけで、胸があたたかくなる。
カイゼルが低い声で、騎士たちへ言った。
「追うな。……戻り道を塞げ」
怒鳴らないのに、言葉がまっすぐ刺さる。怖さを増やさない指示。私はその横で、うなずいた。
灯りの輪の中で、待つ。
待つのは弱さじゃない。相手の焦らせる術を空振りさせるための強さだ。
しばらくすると、路地の奥で布が擦れる音がした。
白い布の端が、壁の影からちらりと覗く。さっき叫んだ者だ。粉袋を回収しに戻ってきたのだろう。
その瞬間、私の足が前へ出そうになった。
助けたい、止めたい、逃したくない――全部が一度に押し寄せる。
私は口から息を吐いて、指先をきゅっと握った。
カイゼルの手が、私の指を絡める。
強くはない。けれどほどけない。
「ここだ」
小さな返事で、私の足が止まる。
騎士たちが静かに位置を変える。
音を立てないまま、灯りが路地の奥まで届くように広がる。追っていないのに、白い布は動けなくなる。
「……ちっ」
舌打ちが聞こえた。
白い布の人物が、観念したように肩を落とす。
「やめなさい」
私は一歩だけ進み、距離を保ったまま言った。
「倒れたって叫んだの、あなたでしょう。人の怖さを引っぱって、走らせたいだけ」
白い布が笑う気配を作る。
「走ったら負け、待ったら勝ち? そんなの、きれいごとだ」
「きれいごとじゃない」
私は息を整えて返した。
「待てたら、戻れる。戻れたら、ひとりにならない」
白い布の指が小さく震えた。
その震えは、怒りじゃなく――焦りだった。
カイゼルが前に出る。
私を背に隠さない。隣に置いたまま、路地の出口を塞ぐ位置に立つ。
「これ以上、彼女の町を揺らすな」
掠れた声なのに、重い。灯りみたいに揺れない。
白い布の人物は、最後に小さな札を落とした。
『次は、待つ人を笑う』
そして逃げようとしたが、灯りの輪の外へ出られない。騎士たちが“そこにいる”からだ。
私は札を拾い、息を吐いた。
笑われても、待つ。
待って、戻す。
それが私の仕事で、私たちの帰り道だ。
カイゼルが、私だけに聞こえる声で言った。
「お前の足音が速くなると……怖い」
胸がきゅっとして、でも、あたたかい。
「ごめん」
「謝るな」
指が絡む。返事。ここだ。
路地の灯りが揺れる。
追わなくても捕まえられる。
そして私は思った。――この人が“待つ”を覚えた分だけ、私もまた、ひとりにならない。




