第74話 ほどけるふり
朝、目を開けた瞬間から胸がざわついていた。
昨夜しまった印が、服の内側で小さく冷たい。触れるだけで落ち着くはずなのに、今日は指先が迷う。
枕元に、薄い紙が置かれていた。誰の足音も聞かなかったのに。
『お前は重い。守るほど、捨てたくなる』
喉の奥がきゅっと縮む。息が浅くなる。
私は口から長く吐いた。吐けたら戻れる。紙を握りつぶしそうになって、やめた。怒りは相手の餌だ。
扉が静かに開いて、カイゼルが入ってくる。
顔を見た瞬間、胸のざわつきが少しだけ弱まった。
「……ここ」
私は掠れ声で言って、胸元を押さえる。
カイゼルは頷き、いつものように指を絡めた。急がない。押さない。ただ待つ。
その“待つ間”で、分かった。
さっきの紙は、私を焦らせる。すぐ結論を出させる。ひとりにする。
目の前の手は、私が戻るのを待っている。
私は息を整えながら、紙を見せた。
カイゼルの目が一度だけ冷える。でも、怒りに飲まれない。
「ほどくふりだ」
低い声。短いのに、背中が温かくなる。
「私、揺れました」
「揺れていい」
カイゼルは言い切ってから、声を落とした。
「戻ればいい」
胸が熱くなって、私は笑いそうになった。
でも泣きそうにもなって、喉に手を当てる。
「……戻りました」
「うん」
カイゼルは私の胸元に視線を落とし、そっと手を伸ばす。触れないように、でも守る距離で。
「印は、見える場所に戻さなくていい。だが――無くしたと思う夜は、私に預けろ」
私は首を振って、胸の内側を指で押さえた。
「預けるのは、印じゃなくて。……怖さのほうがいいです」
カイゼルの口元が、ほんの少しだけ緩む。
そして、私の指をほどけない形に絡め直した。
「それなら、預かる」
「……ありがとう」
窓を少し開けると、風が通った。
紙の言葉はまだ残る。でも、残っているだけ。私を動かさない。
私は胸の内側の印に軽く触れて、息を吐く。
ほどけるのは心じゃない。
ほどけるふりをした怖さが、静かに消えていくだけだった。




