表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/142

第72話 落ちた音の、続きを

 印が落ちた夜、庭の空気は少しだけ硬くなった。

 灯りは揺れているのに、みんなの視線が「落ちたもの」に吸い寄せられてしまう。


「……ほらね」

 灯りの外れから、あの優しい形の声がした。

「約束なんて、外れたら終わり。拾えないなら、なおさらよ」


 誰かが息を呑み、ざわめきが膨らみかける。

 私は白いリボンを高く掲げ、ゆっくり揺らした。


「見て。ここ」

 声は掠れている。でも、折れない。

「落ちても終わりじゃない。落ちたら、気づける。気づけたら、戻れる」


 人々が、ひとりずつうなずいていく。

 うなずきが増えるほど、ざわめきが薄くなる。


 隣でカイゼルが、私の肩にそっと影を落とすように立った。

 そして、低い声で言った。


「終わらない」

 短いのに、重い返事。怖さを増やさない返事。


 その瞬間、灯りの外れで白い影が揺れた。

 導師の気配。鈴は鳴らさない。代わりに言葉で縛ろうとしてくる。


「印が落ちたなら、外しなさい。あなたは“正しくない”」

 甘い声が、刺みたいに飛んできた。


 胸の奥がちくりとした。

 でも私は、息を吐いてから答えた。


「正しいかどうかを決めるのは、あなたじゃない」

 そして胸元に手を当てる。印はもう、見せる場所にない。

「これは、私が戻るための合図。……奪うための道具じゃない」


 白い影が笑った気配がして、今度は人々に向けて囁く。

「その人は追放されたのよ。戻ってくる場所なんて――」


「ある」

 元婚約者の声が、前に出た。

 喉が渇いたみたいに掠れているのに、まっすぐだった。

「ここで壊したなら、ここで作り直す。……責める言葉は、もう使わない」


 ざわめきが、また一段落ちる。

 怖さは声を大きくする。安心は、声を小さくする。


 カイゼルが私を見て、目だけで合図を送った。――ここ。

 私はうなずき返し、リボンをもう一度だけ揺らした。


「今夜は、戻る練習をします」

 私は庭の人々に言う。

「呼べなくても、触れなくても、印が見えなくても。灯りを見て、息を吐いて、うなずいて。……それが返事」


 風が通り、灯りがやさしく揺れた。

 白い影は、舌打ちする気配だけ残して、闇に溶ける。


 庭が落ち着いたあと、私は一歩下がって息をついた。

 カイゼルが近づき、低い声で言う。


「怖かったか」

「少し。でも……落ちた音が、教えてくれました」

「何を」

「戻り道は、物じゃなくて、待ってくれる人だって」


 カイゼルの口元が、ほんの少しだけ緩む。

 そして、声を落として囁いた。


「落ちたら拾う。見失いそうなら、迎えに行く」


 私は喉に手を当てて笑い、胸元の中で小さく鳴る金属を確かめた。

 落ちた音の続きは、もう怖さじゃない。

 ――「ここだ」という返事の、続きだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ