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第68話 偽りの返事

『その返事を、真似してやる』


 黒い札の文字を見た瞬間、喉の奥がひやりとした。

 返事を真似する――つまり、“ここだ”を偽って、人を迷わせて一人にする。


 でも、私は息を吸って、ゆっくり吐いた。

 怖いまま、考えられる。戻ってこられる。


「返事を真似されたら、どうする」

 元婚約者が低く言う。

 カイゼルの指が、私の指を絡め直した。返事。ここだ。


「返事は、音だけじゃない」

 私は答えた。

「目、手、呼吸。いつもの癖。……“その人らしさ”で分かります」


 庭の灯りの列の端で、子どもが母親の袖を引く。

「お母さん、こわい」

 母親の肩が固くなる。私は近づきすぎない距離で、低く言った。


「怖いって言っていいよ。吐こう。長く」

 子どもが真似して息を吐く。母親もつられて吐く。灯りが少しだけやさしく揺れた。


 その瞬間、庭の外れで、誰かが叫んだ。


「ここだ!」


 ――カイゼルの声に似ている。低い。短い。

 けれど、どこか“軽い”。音だけを真似た声。


 人々がざわめき、数人がそちらへ動きかける。

 私はすぐ手のひらを上げた。“止まれ”。そして胸に指を当て、息を示す。吐け。戻れ。


 カイゼルが本物の声で、私のすぐ隣で言った。

「動くな」

 その一言は、重さが違った。

 命令じゃないのに、守られる感じがする。


 元婚約者が歯を食いしばる。

「……偽物だ」


 庭の外れの影から、白い布がちらりと見えた。鈴は鳴らない。代わりに声だけを投げて、人を引っぱるつもりだ。


 私は灯りを持つ騎士たちに目で合図した。

 追わない。囲う。灯りで道を作る。

 ローガンたちがいないこの国でも、こちらには“やり方”がある。


 神殿の若い神官が、震える手でランプを掲げ、外れへ一歩出る。

 その灯りに照らされて、白い影が怯んだ。


「……やめて!」

 若い神官が叫ぶ。

「返事を真似して、人を一人にするのは、祈りじゃない!」


 影が笑う気配。

「祈りじゃない? なら何?」

「怖がらせることだ」

 私は言った。

「怖い人ほど、誰かの声を借りる。……でも、声は借りても、息は借りられない」


 私はゆっくり息を吐いて見せた。

 人々が真似して吐く。

 庭全体がひとつの呼吸になる。

 すると、偽物の声は急に薄っぺらく聞こえた。


 影が舌打ちし、低く言う。

「……ちっ」


 その瞬間、カイゼルが私の指をぎゅっと握った。

 返事。ここだ。

 私は小さく頷く。


「本当の返事は、声の形じゃない」

 私は人々へ向けて言った。

「その人の“待ってくれる間”です。焦らせない返事。怖さを増やさない返事」


 白い影が一歩引いた。

 灯りの列が、逃げ道を消していく。

 追っていないのに、影は動けない。


 そして最後に、影は小さな札を落として消えた。


『次は、“名前”を奪う』


 私は札を拾い、首もとの印に触れた。

 名前を奪う――呼べなくする。呼ばせない。

 帰り道を、今度は“言葉そのもの”から切り離すつもりだ。


 カイゼルが低く言った。

「奪わせない」

 私は頷く。

「うん。名前がなくても、戻れる合図を作る」


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