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第64話 眠るための祈り

 神殿の扉が開け放たれると、冷たい外気が一気に流れ込んだ。

 香の煙は薄くなり、天井の高い空間が、やっと本来の色を取り戻していく。


 導師は騎士たちに囲まれ、押さえつけられずに、ただ逃げられない場所へ導かれていった。

 怒鳴り声も、争う音もない。だからこそ、神殿に集まっていた人々は、余計に息の仕方を忘れていた。


「……祈りが、なくなるの?」

 誰かの小さな声。


 私は首もとの印に触れて、息を吸って、ゆっくり吐いた。

「なくなりません。戻します」

 声はまだ少し掠れている。でも、今は届く。


 香炉のそばにいた若い神官が、震える手で袋を差し出した。

「これが……混ぜものです」

「ありがとう」

 私は布で包んで受け取り、窓際へ置いた。風が当たる場所へ。匂いは、閉じると強くなる。


 年配の神官が、唇を噛んだまま言った。

「眠れない者は弱い、と……私も言った」

 声が、少しだけ壊れていた。


「弱くないです」

 私は静かに返した。

「眠れないのは、心が必死に守ろうとしている証拠です。だから――休ませてあげましょう」


 人々がざわめく。

 その中で、元婚約者が一歩前に出た。目の下の影が、まだ濃い。


「……俺も、眠れないやつを責めた」

 吐き出すみたいに言って、視線を落とす。

「お前を追い出したのも……守ったつもりで、壊した」


 胸がきゅっとした。

 でも私は、息を吸って吐く。怖さにほどかれないように。


「今、戻れます」

 私は言った。

「壊したなら、作り直せます。眠れる場所を」


 隣で、カイゼルの手が私の指をそっと絡めた。

 返事。ここだ、の合図。


 カイゼルが神殿の人々へ向けて、低く言う。

「眠るための祈りを残せ。奪う祈りは、終わらせる」

 掠れていても、揺れない声だった。


 その声に背中を押されるみたいに、私は人々へ視線を向けた。

「扉を開けてください。窓も。灯りも」

 言うと、誰かが動いた。重い扉が開き、外の光が差し込む。

 神殿の空気が、少しずつ軽くなる。


「今夜、眠れなかったら」

 私は続けた。

「ひとりで耐えないで。誰かを呼んでいい。返事は声じゃなくてもいい。目でも、手でもいい」


 首もとの印を握り、私は笑ってみせた。

「戻ってくる合図を、ここにも作りましょう」


 元婚約者が、かすかに息を吐いた。

「……お前、声が強くなったな」

「強くなったんじゃない」

 私は小さく首を振る。

「息を、覚えただけ」


 カイゼルが私の手を引き、低い声で言った。

「帰る」

「どこへ?」

「お前が戻る場所へ。……私が迎えに行ける場所へ」


 私は頬が熱くなって、でも逃げなかった。

 指を絡め返して、はっきり答える。


「はい。ここに戻ります」

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