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第63話 根の下で、息をする

 細い通路の先で、白いローブの導師が鈴の杖を掲げた。灯りが揺れるたび、鈴の影も揺れる。

 私は息を吸って、ゆっくり吐いた。怖さはある。でも、戻ってこられる。


「鳴らすな」

 カイゼルの低い声が落ちた。彼は一歩だけ前に出て、私と導師の間に立つ。触れずに止める距離。怒鳴らないのに、道はこれ以上、狭くならない。


 導師は微笑んだ。安心する形をした、怖い声。

「あなたは優しいのね。だから、従う人を増やせる。……その印、外しなさい」

 視線が私の首もとへ滑る。


「外しません」

 掠れていても、言葉は折れなかった。

「これは鎖じゃない。帰り道です」


 導師のまぶたが、わずかに揺れた。

「帰り道があると、人は戻る。戻ると、隠したものが見つかる。……困るのよ」

 その声の奥に、焦りが滲む。


 私は導師の手元を見た。杖を握る指が、ほんの少し震えている。目の下の影も濃い。

「眠れていないんですね」

 言った瞬間、導師の笑みが固まった。


「祈りのためよ」

「祈りのために、眠りを捨てる必要はありません」

 私は息を整えて続ける。

「眠れないと、心が尖って、誰かを縛りたくなる。……それ、苦しいでしょう」


 導師は何か言い返そうとして、喉がつまったように息を呑んだ。

 その隙に、若い神官が一歩前へ出た。震える手で袋を掲げる。


「これです。香に混ぜていたもの……導師が命じました」

 年配の神官が息を呑む。元婚約者も、唇を噛んで視線を落とした。


 導師の表情が、はじめて崩れた。

「黙りなさい!」

 鈴が鳴りかける。


 けれど、鳴らなかった。

 カイゼルが手を伸ばしたのではない。導師の前に、ただ“立って”鈴の行き先を消した。灯りが、鈴の影を薄くする。導師の腕は宙で止まり、杖が床に落ちた。ちりん、と弱い音だけが転がった。


 私は杖に布をかぶせ、鈴の先をそっと覆った。

「音は、奪うために使わない」

 そして導師を見上げる。

「怖いなら、怖いって言っていい。言えたら、息ができる。息ができたら、戻れます」


 導師は膝をついた。悔しさみたいに肩を震わせて、最後に、かすれた声が落ちる。

「……怖かった。全部、崩れるのが」


「崩れません」

 私は首もとの印に触れ、指先をカイゼルの指に絡め直す。

「戻れる場所があるなら、作り直せる」


 カイゼルが短く言った。

「終わらせる。……奪う祈りを」

 その声は冷たい刃じゃなく、線を引く声だった。


 通路を出ると、外の風が頬に当たった。私はやっと、深く息を吐けた。

 カイゼルが私の手を離さず、低く言う。


「お前の声は、戻す」

 私は小さく笑って、喉に手を当てた。

「陛下が返事してくれるから、戻れました」


 灯りの中、帰り道の印が、少しだけあたたかく感じた。


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