第55話 戻るな、という手紙
翌朝、医務室の机にもう一通の封が置かれていた。
昨日のと同じ印章。――私のいた国のもの。手が冷たくなる。
封を切る前に、私は首もとの印に触れた。
約束。帰り道。迎えに来た手。
それでも、紙の匂いだけで胸がきゅっと縮むのは、消せない。
中の文字は短かった。丁寧さすらない。
『戻るな』
それだけ。
意味が分からなくて、逆に怖い。
戻れと言ったのに、戻るな。――誰が、何をしたいの?
私は息を吸って、吐いた。
怖いまま、考える。
扉がノックされる。
入ってきたのはマルタだ。顔が硬い。
「先生……また来た?」
「うん」
私は紙を見せた。
マルタは眉をひそめ、低く言う。
「脅しだね。“お前が動くと困る”ってこと」
「……そうだと思う」
そこへ、足音。
カイゼルが入ってきた。彼は私の顔色を一瞬で見て、机の上の手紙へ視線を落とす。
「見せろ」
私は差し出した。
カイゼルは読み、目が少しだけ冷える。
「……幼稚だ」
短い評価。けれど、怒りで燃えていない。線を引く冷たさだった。
私は喉を押さえながら言った。
「戻れと言ったり、戻るなと言ったり……」
「迷わせたい」
カイゼルが即答する。
「居場所を揺らす。……まだ諦めていない」
その言葉に、胸の奥がひやりとする。
黒幕は捕まった。なのに、手紙は来る。
つまり、私の国にも、まだ“糸”が残っている。
ローガンとフィンも呼ばれてきた。
ローガンが紙を覗き込み、鼻で笑う。
「“戻るな”って、つまり戻られたら困るってことだ」
「だな」フィンが頷く。「先生がいなくなると、困るのは向こうだ」
私は紙を指で挟み、窓を開けた。風が紙を揺らす。
「私が戻ったら、誰かが困る。私が戻らなくても、誰かが困る。……なら、どうするのが正しいんだろう」
カイゼルが、私の手を取った。指を絡める。返事の形。
「正しいかどうかではない」
低い声。
「お前が、どうしたいかだ」
私は息を吸って、吐いた。
怖いけれど、選ぶ。
勝手に連れて行かれたくない。
勝手に追い払われたくもない。
「……私は、逃げたくありません」
言うと、喉が少し痛む。でも言えた。
「戻るなと言われたから戻らない、じゃなくて。……私が必要なら、私は向き合いたい」
マルタが目を丸くする。ローガンが小さくうなずく。フィンが口元を引き締めた。
カイゼルは、少しだけ目を逸らしてから言った。
「なら、私が行く」
「え」
「お前の国へ」
言い切る声は静かで、でも揺れない。
私は驚いて、首もとの印を握った。
「陛下、危ないです」
「危ないから行く」
カイゼルは短く言った。
「お前を一人にしない」
胸が熱くなって、私は笑いそうになって、泣きそうにもなった。
風が通る。怖さは消えない。
でも、手はほどけない。
『戻るな』
その言葉は、もう命令じゃない。
私が選ぶための、ただの紙になった。
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