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第54話 帰り道の印

 首もとで、小さく金属が鳴った。

 黒い騎士団の紋と、皇帝の紋。指で触れると、冷たさの奥にあたたかい約束がある気がする。


「先生、それ……」

 廊下でフィンが目を丸くした。ローガンは咳払いをして、わざと天井を見る。マルタは呆れ顔だ。


「見せびらかしてるわけじゃない」

 私は襟を正して隠そうとする。

 その瞬間、背後から低い声。


「隠すな」

 カイゼルだった。いつも通りの顔で、いつも通りに言い切る。

「それは鎖ではない」

「……約束です」

 私が小さく言うと、カイゼルは短く頷いた。

「そうだ」


 その日、医務室に薄い封が届いた。

 見慣れた印章。私のいた国のもの。胸の奥がきゅっと縮む。


 封を切る手が震えた。

 中の文字は丁寧なのに、冷たい。


『戻る用意をせよ。話は、向こうで聞く』


 息が浅くなる。喉がひりつく。あの頃の、追放の夜の空気が戻ってくる。

 私は窓へ向かおうとして、足が止まった。


(怖い。……でも、怖いまま息をする)


 首もとの印を、そっと握った。ぎゅっと。

 すると、不思議なくらい早く足音が近づいてくる。


「リュシア」

 呼ばれて顔を上げると、カイゼルが扉の前に立っていた。

 まるで、最初から待っていたみたいに。


「……来てくれたんですか」

「呼ばれた」

 短い返事。けれど、その声が今は灯りみたいに見える。


 私は手紙を差し出す。

「また、迎えが……」

「迎えではない」

 カイゼルは手紙を見てから、私の方を見る。

「連れていく気なら、私が止める」


 胸が熱くなって、私は慌てて視線を逸らした。

「でも、迷惑を――」

「迷惑ではない」

 言い切ってから、少しだけ声を落とす。

「……お前が不安な顔をするほうが、困る」


 また“困る”。ずるい。

 私は笑いそうになって、喉を押さえた。


「怖いなら、言え」

 カイゼルが続ける。

「それで、呼べ。声でも、指でも、印でもいい」


 私はゆっくり息を吸って、吐いた。

「……怖いです」

「分かった」

 カイゼルはそれだけ言って、私の指をそっと絡めた。返事の形。


 廊下の向こうでローガンが腕を組む。

「先生、帰り道はある。ここだ」

 フィンが頷く。

「うん。先生が戻りたい場所、ここに作ったもんな」


 私は首もとの印に触れた。

 逃げ道じゃない。帰り道。迎えに来た手。


 カイゼルが、私だけに聞こえる声で言う。

「迎えは、いつでも行く」

 その言葉に、胸の奥の震えが少しだけほどけた。


「……じゃあ、私も言います」

 私は小さく笑って、指を握り返した。

「ここに、戻ります。自分で」


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