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第53話 印は、約束

 迎えの使いが去ったあと、廊下の風がやけに冷たかった。私は窓辺で深呼吸して、指先の震えを押さえる。大丈夫、と言いそうになって、飲み込んだ。大丈夫って言葉は、時々、無理の仮面になる。


「リュシア」

 背後から呼ばれて振り向くと、カイゼルが立っていた。相変わらず不器用な顔で、でも目は真っ直ぐだ。

「さっきのことで、怖くなったか」

「……少し」

「なら、用意した」


 差し出されたのは小さな箱だった。開けると、黒い騎士団の紋と皇帝の紋が並んだ、細い鎖の飾り。光は控えめで、でも確かに重い。

「これを首にかけろ。……鎖じゃない。約束だ」

「約束?」

「誰かが“連れていく”と言ったら、これを見せろ。お前が呼べば、私が来る。返事ができなくても、指でいい。目でいい。お前の居場所を、私が守る」


 胸が熱くなって、喉がきゅっと詰まる。私は指先で鎖をつまみ、迷いながら見上げた。

「陛下、それは……重くないですか」

「重いのは、私だ」カイゼルは目を逸らし、すぐ戻した。「お前がいないと落ち着けない。だから、逃げ道を作るんじゃない。帰り道を作る」


 言葉が、ひどく真面目で、ひどく甘い。私は息を吸って、ゆっくり吐いた。

「……私は、縛られたくありません」

「縛らない」即答だった。「選べ。嫌なら外せ。だが、怖い夜は外すな。私が迎えに行けるように」


 私は笑ってしまった。迎えに行けるように、だなんて。

 カイゼルが鎖を手に取り、ためらいがちに言う。

「……つけてもいいか」

「はい」


 冷たい金属が、首元で温度を変える。ふっと、心の奥が軽くなった。

「リュシア」カイゼルが小さく呼ぶ。

「ここにいます」

 返事をすると、カイゼルの指が、私の指をそっと絡めた。言葉より確かな返事。


 廊下の先で、ローガンがわざとらしく咳払いをした。フィンが肩を震わせ、マルタが呆れた顔で腕を組む。

「見てねぇぞ」ローガンが言う。

「うそ」マルタが一刀両断する。


 私は頬が熱くなって、窓を開けた。風が通る。怖さも、余計な言葉も、少しだけ流れていく。

 カイゼルが低い声で言った。

「……帰るぞ」

「どこへ?」

「お前の居場所へ。……私の居場所へ」


 私はうなずいて、首元の印に触れた。これは鎖じゃない。手をほどかれないための、約束だ。


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