第51話 「ここにいてほしい」
朝の光は、いつもよりやわらかかった。
前室の窓を少し開けると、冷たい空気がすっと入ってきて、昨夜までの緊張が薄くなる。
カイゼルは寝台の端に座ったまま、ぼんやり外を見ていた。
眠れたはずなのに、まだ夢の縁にいるみたいな目。
「……起きました?」
「起きている」
短い返事。でも、声の刺々しさがない。
私は蜂蜜湯を差し出す。
「喉、まだ大事にしてください」
「分かっている」
そう言って、カイゼルは一口だけ飲んだ。
廊下に出ると、ローガンとフィンが待っていた。
ふたりとも、今朝はどこか顔が軽い。
「先生、見てくれ」
ローガンが顎で示す先。広間の長椅子に、騎士たちが並んで眠っていた。誰も歯を食いしばっていない。眉間の皺が浅い。
ただ眠っているだけなのに、胸がじんと熱くなる。
「……やっと、戻ってきた」
私が呟くと、フィンが小さく笑う。
「先生の勝ちだな」
「勝ち負けじゃないよ」
私は首を振った。
「ここが“帰ってこられる場所”になっただけ」
カイゼルが静かに近づいてきて、眠る騎士たちを見た。
そして、小さく息を吐く。
「……よく守った」
その言葉は、騎士たちへ向けたものなのに、なぜか私まで救われる。
そのまま、カイゼルは私を廊下の端へ連れていった。窓際。風の通る場所。
人のいないところを選んだのが分かる。
「リュシア」
名前を呼ばれるだけで、背筋が伸びる。
「……昨日、言ったな。“ここにいていい”と」
「はい」
「訂正する」
カイゼルは少しだけ目を逸らして、それからこちらを見た。
「ここにいて“ほしい”」
心臓が跳ねた。
私は喉に手を当て、息を吸って、ゆっくり吐く。落ち着け、私。
「医師として、ですか?」
「それもある」
カイゼルは不器用に頷いて、すぐ続けた。
「だが、それだけではない」
言葉が途切れる。
代わりに、カイゼルの指先が私の手に触れた。確かめるみたいに、そっと。
「お前がいると、戻ってこられる」
「……陛下」
「だから、離したくない」
その言い方は、命令じゃない。お願いでもない。
ただの本音だった。
私は一瞬迷って、それから、こちらから指を絡めた。
返事は声じゃなくてもいい。今は、これで十分。
「……私も、ここが好きです」
小さく言うと、カイゼルの目がほんの少しだけほどけた。
その瞬間、背後でわざとらしい咳払いが響く。
振り向くと、ローガンが天井を見上げている。フィンは口元を押さえて肩を震わせていた。マルタは呆れた顔で腕を組む。
「……見てたの?」
私が言うと、ローガンが真顔で言った。
「見てねぇ。聞いてねぇ。たまたまだ」
「うそ」
マルタが一言で斬った。
カイゼルが低く咳払いをして、私の手を離しかけ――やめた。
離さないまま、広間のほうへ向き直る。
「今日は、休め」
騎士たちへ向けた声。
短いのに、あたたかい。
私はその横で、窓を少し開け直した。
風が通る。灯りが揺れる。眠る人がいる。返事がある。居場所がある。
そして、手の温度がほどけないまま、朝が進んでいった。




