第49話 居場所は、二人分
倉庫の前に並んだ灯りは、夜の闇を薄く切り分けていた。
白い影は扉の隙間から半身を出したまま、動けずにいる。追われていないのに、逃げられない。――灯りが、居場所を暴いている。
カイゼルの指が私の指を絡め直した。
返事。ここだ、の合図。
「……出てきて」
私は静かに言った。
「逃げない。追わない。怖がらせない」
影が小さく息を呑む気配。
そして、ゆっくりとフードを落とした。
そこにいたのは――神殿の年配の神官でも、若い神官でもなかった。
礼拝堂で見かけたことのない、黒いローブの男。首元に、神殿の印。けれど手には薬瓶。匂いを操る者の持ち物。
「……医務棟の人?」
フィンが呟く。
男は薄く笑った。
「医者ではない。だが医者の手は借りた。――人は“治る”より“縛られる”ほうが早いからな」
言葉が冷たい。優しい声の形ですらない。はっきりとした悪意。
ローガンが低く唸る。
「やっと出たな、黒幕」
男は灯りの列を見回して、舌打ちした。
「……面倒なことをする。灯りなど、すぐ消える」
「消えない」
私が言う。
「灯りは道具じゃない。人が持ってる。――居場所は、人が作る」
男の目が細くなる。
「居場所? 笑わせる。お前は追放された身だろう」
胸の奥がちくりとした。
でも息を吸って、吐いて、私は答える。
「追放されたから分かったんです。居場所は、誰かが“ここにいていい”って言ってくれる場所だって」
隣でカイゼルが低く言った。
「ここにいていい」
短い声。掠れているのに、灯りみたいに温かい。
男が一瞬だけ顔を歪める。
「皇帝が甘くなったな。女ひとりで――」
「ひとりじゃない」
私は即座に返した。
「二人分です。……私の居場所も、陛下の居場所も」
カイゼルの指がきゅっと強くなる。
返事。肯定。ほどけない。
男は肩をすくめ、ポケットから小さな粉袋を取り出した。
冷たい匂いが漏れた瞬間、喉がひりっとする。
私はすぐに口で短く息を吐く。
窓の形を描く必要はない。ここは廊下じゃない。
代わりに、灯りを持つ騎士たちが一斉に一歩前へ出て、風の通り道を作った。扉も窓も開けられる位置に、最初から立っている。
風が通る。匂いが薄まる。
男が眉をひそめた。
「……人を動かすのが上手いな、産業医」
「動かしてない。守ってる」
私は言い切った。
「眠りも、声も、居場所も」
男は笑った。
「なら問おう。皇帝が“お前の居場所”だと言ったら、お前はこの国に縛られる。怖くないのか」
言葉が、鎖みたいに絡みつく。
私は一拍置いた。
そして、指を絡めた手を見て、答える。
「縛られるのは怖い。でも――一緒に選べるなら、怖くない」
カイゼルが掠れ声で返す。
「選ぶ」
男の笑みが消えた。
灯りの列の中で、黒いローブが小さく後ずさる。逃げ道は塞がれている。追っていないのに、詰んでいる。
ローガンが一歩だけ前へ出て、低い声で言った。
「終わりだ。……灯りを消してやる必要はねぇ」
フィンが頷く。
「ここ、明るいもんな」
黒いローブの男は、最後に小さく息を吐いた。
「……皇帝が返事をした夜から、流れが変わった」
そして、悔しそうに続ける。
「居場所は奪えない。……作られてしまう」
私は息を吸って、ゆっくり吐いた。
居場所は、二人分。
奪われない。――私たちが、ここにいる限り。




