第45話 返事は、指先で
朝、カイゼルの声は少し掠れていた。
それでも、返事はできる。言葉にならなくても、目が動く。指が動く。――生きている。
「……無理するな」
短い声で言って、カイゼルは自分の喉に手を当てた。
昨夜の“冷たい匂い”が、まだ奥に残っているみたいだ。
「無理しません」
私は頷いて、蜂蜜湯を差し出す。
「今日は、声を休ませましょう。返事は指先で」
カイゼルが眉を動かす。
不満そうなのに、抵抗はしない。代わりに私の指を握って、返事をした。
昼のうちに、私たちは“返事の型”を増やした。
名前を呼ばれたら、握る。
危ない気配がしたら、手の甲を二回叩く。
大丈夫なら、指を一回だけ絡める。
声がなくても、ちゃんと会話になる。
ローガンが真剣な顔で練習して、途中でぼそっと言う。
「……先生、これ、恋人みてぇだな」
「言うな」
カイゼルが即座に低く返す。
でも耳が赤い。フィンが顔を背けて肩を震わせた。
夜。前室の窓を少し開け、風を通す。
カイゼルは寝台に入る前、私の手を取って、指を絡めた。
――“大丈夫”。彼の返事。
「……呼べ」
声は掠れている。
「……カイゼル」
私が呼ぶと、カイゼルは声を出さずに、指先で返した。きゅっ。
そのとき、廊下の奥でかすかな金属音。
鈴じゃない。爪で叩くみたいな、いやらしい音。
喉がひりっとして、言葉が引っ込みそうになる。
私は口で短く息を吐き、窓の形を描く。
マルタが窓を大きく開ける。冷たい風が通る。
匂いは来ない。代わりに、音だけが近づく。
――返事を奪うなら、今度は“怖さ”で返事を止めたい。
カイゼルの指が、少しだけ強くなる。
不安が伝わる。私は先に指を絡め返す。
“ここにいる”。言葉より早い返事。
廊下の曲がり角に、白い影が一瞬見えた。
杖の先が光り、鈴が鳴りそうで鳴らない。わざとだ。気を引くため。
私は追わない。合図だけ。コン、コン。
返事が返る。コン、コン。
ローガンの低い声。
「影、見えた。塞いでる。……逃げ道は一つだ」
フィンの声も重なる。
「追ってない。待ってる」
影が止まった。
止まったまま、こちらに紙を滑らせる。
『返事ができない皇帝は、皇帝じゃない』
胸がひやりとした。
でも私は息を吸って、ゆっくり吐いた。
カイゼルの指先を、ぎゅっと握る。
「皇帝は、声だけじゃない」
私は言った。
「息をしてる。戻ってきてる。……それが十分です」
カイゼルが、声を出さずに、指で返事をした。
きゅっ――それは、いつもの“ここだ”。
白い影が、初めて迷ったみたいに揺れる。
言葉で折れない相手には、脅しが効かない。
影は、最後に鈴を鳴らした。
ちりん。高い音。
そして、消えた。
私の隣で、カイゼルがかすれた声で言った。
「……リゅ、しあ」
名前を呼ぼうとして、途中で止まる。
私はすぐ近づいて、指先を絡め直した。
「聞こえた。返事、できてます」
返事は声じゃなくてもいい。
指先で、目で、呼吸で。
――ほどけない手は、ほどけないまま、夜を越える。
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