第41話 ほどけない手
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。
私はそっと息をして、起き上がろうとする。
――きゅ。
手首が、軽く引かれた。
振り向くと、寝台の端にいるカイゼルの手が、まだ私を掴んでいる。眠っているのに、離す気がない。
「……陛下」
小さく呼ぶと、カイゼルは目を開けないまま、低く言った。
「……行くな」
「行きません。水を飲むだけです」
「……ここで」
子どもみたいに言うから、笑いそうになって喉を押さえた。
私は反対の手でカップを引き寄せ、少しずつ飲む。蜂蜜湯の甘さが、まだ残っていた。
カイゼルがようやく目を開け、こちらを見る。
眠れた顔をしているのに、安心できない目だ。
「……昨夜は」
「静かでした。静かすぎて、逆に怪しかったですけど」
「お前がいた」
短い言葉が、胸の奥に落ちる。
私は誤魔化すように窓を少し開けた。風が通り、空気が軽くなる。
廊下へ出ると、ローガンとフィンが待っていた。ふたりとも寝不足の顔じゃない。
それだけで、背中の力が抜ける。
「先生、朝だ。喉どうだ」
「少しずつ戻ってる」
「よし。……で、陛下は?」
ローガンが言いかけたところで、後ろから足音。
カイゼルが、いつも通りの顔で立っていた。
でも、私の手首からは――さっきまでの温度が、まだ残っている。
「リュシア」
名前を呼ばれただけで、フィンの口元がにやける。ローガンは咳払いで誤魔化した。
「今日は医務室に籠もるな」
カイゼルが言う。
「え」
「ここで休め。……見える場所で」
命令みたいなのに、声はどこか弱い。
私は喉を押さえながら返す。
「陛下、心配しすぎです」
「心配する」
言い切ってから、カイゼルは少しだけ視線を逸らした。
「……お前が、声を失った顔を二度と見たくない」
言葉が詰まった。
私は返事の代わりに、そっと頷く。
そのとき、広間の入口でざわめきが起きた。
小さな箱を抱えた使いが立っている。中から甘い匂いが、ふわりと漏れた。
マルタが眉をひそめる。
「……花だ。月蜜花」
私は息を短く吐いて、窓を指さす。マルタがすぐ風を通す。
箱の上には、白い紙が結ばれていた。
『ほどけない手は、夜にほどく』
背中がひやりとした。
でも、私は呼吸を乱さない。乱したら、相手の思う通りだ。
カイゼルが私の前に半歩出る。
そして、低い声で言った。
「ほどけない」
私が見上げると、カイゼルの手が、もう一度私の手首を包んだ。
強くないのに、確かに離さない。
「今夜も」
「はい」
私は小さく笑って、喉を押さえた。
「今夜も、風を通して、息をして、みんなで守ります」
甘い匂いが、風に流れて消えていく。
けれど紙の言葉だけは、消えなかった。




