第4話 皇帝の診察は極秘です
夜。城塞の廊下は静まり返っているのに、皇帝の執務室だけが白く明るかった。
――嫌な予感しかしない。
扉をノックすると、返事は即座。
「入れ」
入った瞬間、私は眉をひそめた。机の上に積まれた書類、乾ききった空気、冷めたままのスープ。椅子に座る皇帝カイゼルは、顔色こそ崩れていないが、目の焦点が微妙に甘い。
「陛下。就寝前の書類は禁止です」
「知っている」
「知っていて破るのは、治療に非協力的です」
「……お前が来た」
それは反論ではない。つまり“罰を受けに来た”ということだろう。私は深呼吸して、まず水筒を机に置いた。
「飲んで」
「命令口調だな」
「医師ですから」
皇帝が水を飲むのを確認してから、私は手首に指を当て脈を取る。規則的だが速い。交感神経が働きっぱなし。
「今日は食事、抜きましたね」
「時間がなかった」
「時間は作ります。今から」
私はスープに塩を足し、乾パンを割って浸した。栄養と水分と塩分。最優先。
皇帝は不服そうに見ていたが、匙を口に運び、わずかに眉を動かした。
「……温かい」
「体が冷えてます。寝不足の人は末端が冷える」
「お前は、私をよく見る」
その言い方が妙に柔らかくて、私は一瞬だけ手を止めた。だがすぐに仕事に戻る。
「次。睡眠導入のための“刺激物”を出してください」
「……何の話だ」
「隠しても無駄です。机の引き出し、右」
皇帝が引き出しを開けると、小瓶が出てきた。淡い銀色の液体。
「集中力が上がるポーションだ」
「興奮剤ですね。禁忌」
「戦時に必要だ」
「平時にも飲んでる顔です。没収」
私は小瓶を回収した。皇帝は怒らない。ただ、面白がるように目を細めた。
「私から“取り上げる”者は珍しい」
「患者の自己管理能力には、個人差があります」
「つまり私は低い?」
「はい」
沈黙のあと、皇帝が短く笑った。笑うと怖さが減る――代わりに厄介さが増えるタイプだ。
「リュシア」
「陛下」
「名前で呼べ。医師なら距離を詰めるべきだろう」
「距離を詰めるのは診察だけです。あと、私の寝る時間も確保してください」
「……お前の部屋を、私の居室の隣に移せ」
「それは過剰な“オンコール体制”です」
「合理的だ。お前が遠いと、私が眠れない」
独占欲。確定。
私はこめかみを押さえつつ、紙にさらさらと書いた。
『皇帝専用:就寝前ルール』
・書類は就寝一時間前に封印
・刺激ポーション禁止
・温かい飲み物 (カフェインなし)
・深呼吸十回
・不眠時は医師に報告(※呼び出しは一回まで)
「これを守ったら、診察は週三に減らします」
「減らすな」
「増やしません」
「……交渉上手だな」
その瞬間、扉の外で足音が止まった。控えめな咳払い。
「陛下。宮廷医長ガレインが、“新任の医者が不敬を働いている”と――」
皇帝の空気が冷えた。
私は笑顔のまま、ペンを置く。
「来ましたね。既得権益」
「排除する」
「いいえ。――データで黙らせます」
皇帝が私を見下ろし、低く言った。
「そのやり方が、気に入っている」
褒め言葉の形をした所有宣言に、私は内心でため息をついた。
(まずは騎士団、次に宮廷医療、最後に皇帝の睡眠。……私、どこのブラックに転職したんだっけ)




