第38話 皆の前で、特別
夕方。騎士団の広間に人が集められた。
理由はひとつ。――これ以上、甘い匂いと鈴で誰かが振り回されないように、今日からの動き方を揃えるため。
私は喉を押さえながら前に立つ。声は戻りきっていない。だから、白いリボンを結んだ手で合図を示し、マルタが代わりに説明してくれることになっていた。
……のに。
扉が開き、空気がきゅっと締まった。
皇帝カイゼルが、黒い外套のまま入ってくる。周りの騎士たちが背筋を伸ばす。
「陛下……!」
ローガンが反射で片膝をつきかけて、カイゼルは片手で止めた。
「いい。座れ」
そのまま、カイゼルは私の隣へ来た。
近い。近すぎる。皆の視線が集まるのが分かる。
「陛下、ここは――」
私は小声で言いかけたけれど、カイゼルは私の手元を見て、低く言った。
「しゃべるな」
「……」
「今日は、お前が話す日じゃない」
騎士たちがざわついた。
でもカイゼルは気にせず、広間を見渡して言い切る。
「これから先、この騎士団は――リュシアの指示に従え」
一瞬、時が止まったみたいに静かになった。
次の瞬間、ローガンが思わず口を開く。
「陛下、それは……!」
カイゼルは視線だけで黙らせる。
「異論は聞く。だが、“守るための動き”を変えるな」
マルタが小さく息を呑んだ。フィンが目を丸くしている。
私も、心臓が跳ねた。
(……公の場で、言った)
カイゼルは続ける。
「彼女は医師だ。命を守る者の判断を、軽く扱うな」
そして、ほんの少しだけ声を落として付け足す。
「……私の命も含めてだ」
その最後の一言で、空気が揺れた。
“私の命も”。つまり、カイゼル自身が私に救われていると、皆の前で認めた。
ローガンがわざとらしく咳払いをして、フィンが口元を押さえて笑いそうになる。
私は慌てて視線を逸らした。頬が熱い。
「陛下……」
掠れ声が出てしまう。
カイゼルは、私だけに聞こえる声で言った。
「黙っていろ」
「……命令ですか」
「いや」
カイゼルは一度だけ、言い直した。
「……お前を守りたい」
呼吸が止まりそうになった。
でも私は、ゆっくり息を吐いて、頷く。
「……じゃあ、陛下も守られてください」
「……ああ」
その後の説明は、マルタがしっかりまとめた。
・匂いを感じたら窓を開ける
・合図は手と灯り
・一人で動かない
――言葉は少ないのに、皆が真剣に聞いている。いつもより、ずっと。
最後に、カイゼルが広間をもう一度見渡した。
「以上だ。リュシアに逆らう者は、私に逆らうのと同じだ」
……決定打だった。
解散のあと、私は廊下の端でカイゼルを呼び止める。
「……カイゼル」
小さく、でもはっきり。
カイゼルは足を止め、振り向かずに言った。
「聞こえた」
それだけで、耳まで熱くなった。
そして、振り向かないまま、さらに小さく続ける。
「……もう一回、言え」
ずるい。
私は笑って、喉に手を当てながら、もう一度だけ呼んだ。
「……カイゼル」
カイゼルは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
皆の前で特別にして、二人きりで甘くする。




