第34話 声の代わりに、手を握る
喉が痛い。息を吸うと、ひり、とする。
声を出そうとしても、空気だけが抜けていく。
(……やられた。でも、慌てない)
私は白いリボンを握りしめて、ゆっくり息を吐いた。
皇帝カイゼルがすぐ横で、私の肩を外套で包む。
「無理に出すな」
低い声は短いのに、ちゃんと伝わる。
私はうなずき、机の上の紙にペンを走らせた。
『大丈夫。風を通して。匂いを吸わない』
ローガンとマルタが頷き、窓が開く。冷たい風が通って、喉の痛みが少し楽になる。
フィンが心配そうにのぞき込んだ。
「先生、しゃべれないのか……」
私は笑ってみせたつもりで、親指を立てる。大丈夫の合図。
皇帝が温かい湯に蜂蜜を溶かして差し出した。
「飲め」
私は両手で受け取り、少しずつ喉を潤す。甘さが、痛みをなだめてくれる。
『声は戻る?』
フィンが小声で聞く。
私は紙に書いた。
『戻る。焦らない。今夜は“しゃべれない”のを利用する』
皇帝の目が細くなる。
「罠か」
私は頷き、手のひらを上げる。“止まれ”。次に二本指。“二人で”。窓の形。“風”。
もう声はいらない。
廊下の灯りが揺れ、遠くで高い鈴が鳴った。ちりん。
でも、誰も走らない。私が机を軽く叩く。コン、コン。
返事が返る。コン、コン。夜が静かに動き出す。
やがて、廊下の角に白い影がにじむ。
影は私の部屋の前へ――来ない。代わりに、隣の空き室へ小袋を滑り込ませた。
“声を奪う匂い”だ。
私は口で短く息を吐き、手のひらを上げる。“止まれ”。
ローガンが角の向こうに立つ。フィンが反対側へ回る。追わない。逃げ道を消すだけ。
影がふっと振り向いた。
そして、床に白い紙を落とす。
『黙ったまま、守れる?』
私は紙を拾い、返事の代わりに――皇帝の手を、きゅっと握った。
皇帝が驚いた顔をして、それから低く言う。
「守れる」
次の瞬間、マルタが窓を大きく開けた。風が走り、匂いが逃げる。
影の足が止まる。ほんのわずか、よろけた。
――今だ。
ローガンが一歩だけ前へ出る。
「終わりだ。転ぶなよ」
影は逃げようとして、もう逃げられないと気づいたみたいに肩を落とした。
私はペンを取り、紙に一行だけ書く。
『声がなくても、私は黙らない』
その紙を影の足元へ滑らせた。
影はそれを見て、初めて小さく息を呑む。
鈴は鳴らない。
でも、私たちの合図は途切れない。
声を奪われても――守り方は、ここにある。




