第33話 声がなくても伝わる
『次は、あなたの“声”をもらう』
白い紙を読んだあと、私は深呼吸した。怖い。でも、怖いまま考える。
「声が使えなくなるかもしれないなら――目で伝える」
そう言って、私は小さな白いリボンを用意した。ローガン、フィン、マルタ、見張りの騎士たち、そして皇帝カイゼルの手首にも、きゅっと結ぶ。
「……必要か」
「必要です。陛下、外すの禁止」
「命令か」
「お願いです」
「……了解」
合図は簡単にした。手のひらを上げたら“止まれ”。二本指で“二人で”。指を目に向けたら“見る”。窓の形を空に描いたら“風を通す”。
フィンが真剣に練習して、途中で吹き出す。
「陛下、それ、“見る”じゃなくて“睨む”になってる」
「……元からだ」
皇帝が不機嫌そうに言って、なぜか皆が少し笑った。空気が柔らかくなる。こういうのも大事だ。
昼のうちに礼拝堂の裏へ回ると、壁の石が一つだけわずかに浮いていた。押すと、すっと動く。
中は細い通り道。冷たい空気と、薄い甘い匂い。さらに奥に、鈴を鳴らすための小さな仕掛け――音が壁の中を通って、別の場所に響くようになっていた。
「ここから“ちりん”を好きな場所で鳴らせる」
私が呟くと、皇帝の目が冷える。けれど怒鳴らない。代わりに、手のひらを上げて“止まれ”の合図を出した。約束を守っている。
通り道の隅に、小袋がいくつか隠されていた。触れるだけで喉がひりっとする匂い。
(これが“声をもらう”やり方だ)
私は布で包んで回収し、窓のある場所まで運ばせた。
夜。
遠くで、高い鈴が鳴った。ちりん。
でも廊下は騒がない。代わりに、灯りが一度、二度、合図みたいに揺れた。みんなが“目で”動く。
その瞬間、喉がちくっと痛んだ。息を吸いそうになって、私は口で短く吐く。
声を出そうとして――出なかった。
(来た……!)
私は手首の白いリボンを握って、二本指を立てる。“二人で”。そして窓の形を描く。“風”。
ローガンが頷き、マルタが窓を開けた。冷たい風が通って、甘い匂いが薄れる。
皇帝が私の前に半歩出て、外套で私の肩を包む。
そして、私の目を見て、短く言った。
「声は要らない。――伝わっている」
その言葉に、喉の痛みより胸が熱くなった。
廊下の奥で、白い影が一瞬だけ揺れた。逃げ道は、もう礼拝堂だけじゃない。
私は声の代わりに、白いリボンを指で叩く。コン、コン。
合図が返る。夜が、少しだけ味方になる。
声が出なくても――私は黙らない。




