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第26話 もう一つの鈴

 ちりん。

 廊下の奥で鳴った音は、侍女長の鈴より高く、軽かった。


 全員が同じ方向を向く。

 侍女長の顔色がすっと青くなる。


「……違う。本当に、私じゃない」

 声が震えていた。嘘をついている震えじゃない。怯えの震え。


 皇帝カイゼルが低く言う。

「侍女長は別室へ。怖がらせるな」

 ローガンが頷き、侍女長をそっと壁際へ誘導する。縄も怒鳴り声もない。ただ、逃げないように見守るだけ。


 私は息を吸って、ゆっくり吐いた。

「追わない。走らない。――合図」


 机を、コン、コン。二回。

 すぐに別の場所からも、コン、コン。返事が返る。夜の城の中で、私たちの“落ち着く音”が広がっていく。


「マルタ、窓」

「うん」

 窓が開き、冷たい風が廊下を通った。甘い匂いが、すっと薄まる。


 ちりん。

 もう一度。さっきより近い。


 私は皇帝の袖を軽くつまんで止めた。

「陛下、前に出ない」

「……分かった」

 渋い顔でも、約束は守る。だから私は頷いて、ローガンとフィンに目配せした。


「二人で。角の先を確認だけ」

「了解」

 ローガンとフィンが、息を乱さない速さで角へ向かう。


 次の瞬間、フィンが小さく叫んだ。

「……いた!」


 白いローブの影が、廊下の突き当たりに立っていた。

 顔は見えない。フードが深い。腰元で、小さな鈴が揺れている。


「止まって!」

 私が言うと、影は一瞬だけ迷い――すっと身を翻した。


「追うな!」

 私は即座に言う。追えば転ぶ。追えば息が乱れる。追えば、相手の思うつぼ。


 影は走り去る代わりに、床へ何かを落とした。

 紙――黒い札。


 ローガンが拾い、私に渡す。短い文字。


『守るふりは、疲れるだろう』


 胸の奥が冷たくなる。

 “疲れさせる”のが目的。私だけじゃない。皇帝も、騎士たちも、みんな。


 皇帝が私の横で言った。

「……まだ、終わっていない」

「うん。でも、こっちはもう“一人で頑張る”のをやめた」


 私は札を握りしめ、顔を上げる。

「陛下。今夜はここまで。これ以上は追いません。寝ましょう」

「……寝るのが、戦いか」

「そう。眠りは、奪わせない」


 皇帝は少しだけ目を伏せ、低い声で言った。

「……怖い」

「うん」私は頷く。「怖いときは、息。――一緒に」


 鼻で吸って、口で吐く。

 皇帝の肩が、ほんの少し落ちた。


 遠くで、ちりん。

 最後に一度だけ鈴が鳴った。まるで「また来る」と言うみたいに。


 でも私は、怯えない。

 今度の敵は“近い”。近いなら――見つけられる。

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