第25話 眠りを奪う人の言い分
ちりん。
侍女長の腰元で鳴った鈴の音は、小さくて、軽い。
なのに、廊下の空気が一気に冷たくなった。
ローガンもフィンも動かない。私の合図を待っている。
私は息を吸って、ゆっくり吐いた。怖いときほど、落ち着く。
「……侍女長」
皇帝カイゼルの声が低く落ちた。怒りを押さえている声。
侍女長は微笑みを崩さない。
「陛下。私はあなたをお守りしているのです」
「眠りを奪って?」
私が言うと、侍女長は少しだけ首を傾げた。
「眠りは、油断を生みます。油断は、死を呼びます」
その言い方は“正しいこと”みたいだった。
だから厄介だ。
私は一歩だけ前へ出る。近づきすぎない。匂いを吸わない距離。
「眠りは油断じゃありません。回復です。明日を生きるための準備」
「あなたは若いから、そう言えるのよ」
侍女長の声は優しいまま、どこか冷たい。
「私が見てきたのは、眠ったせいで殺された人たちです。……陛下のお父上も」
空気が止まった。
皇帝の指が、わずかに強く握られるのが見えた。
侍女長は続ける。
「陛下が眠らなければ、陛下は強い。国も強い。だから私は、眠らせない」
「それは“強さ”じゃない」
私の声が少しだけ硬くなる。
「それは……ただの“苦しさ”です」
侍女長は笑った。
「苦しいのは当然。皇帝なのだから」
その言葉に、胸の奥が痛くなった。
苦しいのが当然、なんて。そんなの、誰かが押しつけた呪いだ。
私は皇帝を見ないようにして、でも届くように言う。
「陛下は、苦しいのが当然じゃない。休んでいい」
皇帝の気配がわずかに揺れる。
侍女長が鈴を指でつまんだ。
「あなたの言葉は甘い。甘い言葉は、国を弱くする」
ちりん。
また鈴が鳴る。匂いがふわりと強くなる。
私はすぐに手を上げた。
「窓、開けて」
マルタが無言で窓を大きく開ける。冷たい風が走り、甘い匂いが押し流される。
侍女長の目がほんの少し細くなった。
効いてる。風が嫌なんだ。
「侍女長」
私が静かに言う。
「あなたは“守ってる”つもりなんだと思う。でも――子どもを使った。侍女を脅した。騎士を苦しめた。これは守りじゃない」
侍女長の微笑が、わずかに薄くなる。
「必要だったのよ。弱い人は、役に立つから」
その言い方に、ローガンの目が鋭くなる。フィンの拳が握られる。
皇帝が一歩前に出た。
でも、怒鳴らない。ただ、氷の声で言った。
「侍女長。鈴を渡せ」
「渡しません。これは――」
「渡せ」
皇帝の声が低く、揺れない。
侍女長は微笑んだまま、ゆっくりと後ずさった。
「陛下。あなたは、眠りを選んではいけない」
「選ぶ」
皇帝の答えは短かった。
その瞬間、侍女長の袖から小さな白い袋が落ちた。
甘い匂いが一気に広がる――はずだった。
でも私は先に動いていた。布で袋を包み、床に落とさない。
「吸わない。息は口で短く吐く」
ローガンとフィンが同時に頷く。
侍女長が目を見開いた。
「……なぜ、効かないの」
「効きますよ」私は正直に言った。「だから、吸わないようにしてるんです」
侍女長の表情が、初めて崩れた。
怒りでも恐れでもない。――焦り。
「陛下が眠れば、また奪われる!」
侍女長は叫ぶように言った。
「私は、それが怖いだけなのに!」
その言葉に、私は少しだけ胸が痛んだ。
怖いから、人を苦しめていいわけじゃない。でも――怖さは、嘘じゃない。
皇帝が低く言った。
「怖いなら、私に言え」
「言えるわけが……」
侍女長の声が震える。
私はゆっくりと言った。
「怖いなら、まず息をして。……あなたも“眠れない側”なんだよね」
侍女長の手が、鈴を握りしめたまま震えた。
ちりん、と鳴るはずの音が、鳴らなかった。
――その瞬間、廊下の奥で別の鈴が鳴った。
ちりん。
侍女長の鈴じゃない。もっと高い音。
全員の視線が廊下へ向く。
侍女長の顔色が変わった。
「……違う。あれは、私じゃない」
私の背筋が冷たくなる。
“黒幕”は、まだ別にいる。
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