第24話 手袋の持ち主
白い手袋は、軽いのに重く感じた。
指先にきらきらと残る、月蜜花の粉。温室の匂い。礼拝堂の鈴。――全部が一本の線でつながっていく。
「先生、そいつ……城の中の人間だ」
ローガンが低く言う。
「うん。しかも“温室の粉”を隠す気がない。急いでる」
ネロはまだ涙目で、鈴の代わりに私の袖を握っていた。
「ぼく、悪いことした?」
「したくてしたんじゃない。だから大丈夫」
私は目を合わせて言う。
「でも次からは、“優しい声”でも、すぐ信じない。困ったら誰かに相談する。約束できる?」
「……できる」
皇帝カイゼルはネロを見下ろし、短く言った。
「よく話した。……助けになる」
それだけで、ネロの肩が少し落ちた。皇帝の言葉は短いけど、嘘がない。
私は白い手袋を布で包み、匂いが広がらないようにした。
「これ、落とした人を探す。……でも、追い回して怖がらせるのはダメ」
「じゃあ、どうする」ローガンが聞く。
「相手が“自分から出てくる”状況にする」
その夜。
私は皇帝の前室に小さな籠を置いた。中には、温室の月蜜花を少しだけ。匂いを強くしない程度に、ほんの少しだけ。
「それ、わざとか」
皇帝が眉を動かす。
「うん。相手は月蜜花を使った。なら、この匂いに反応するはず。……“取り返しに来る”」
ローガンが渋い顔をした。
「危ねぇだろ」
「危ない。だから“私一人”じゃない」
私はフィンとマルタを見た。
「合図は二回。動くのは必ず二人。窓は先に開ける。ネロやエリナには近づけない」
全員が頷く。
皇帝は最後に言った。
「お前が前に出るな」
「前に出ません。……でも、逃がしません」
夜半。
窓の外の闇が濃くなったころ、前室の空気が、ほんの少しだけ動いた。
――かすかな布の擦れる音。
甘い花の匂い。今度は、温室の匂いに混じっている。
私は息を吸って、吐いた。
机の端を、コン、コン。短く二回叩く。
廊下の向こうでも、すぐに同じ音が返る。
ローガンとフィンが、音を立てずに近づく気配。マルタが窓を少し開けて、空気を流す。
影が、籠に手を伸ばした。
白いローブの袖。細い手。――そして、見覚えのある白い手袋の“片方”が、その手にある。
「……それ、あなたの?」
私が静かに言うと、影がびくっと跳ねた。
影は逃げようとした。
でも、ローガンが廊下の端から姿を見せる。
「止まれ。怪我すんぞ」
フィンも反対側から回り込む。
「逃げ道、ない」
影は一瞬だけ迷って――フードを落とした。
そこにいたのは、神官ではなかった。
宮廷の侍女長。年上の女性で、いつも落ち着いた顔で皇帝の身の回りを整えていた人。
「……あなた、でしたか」
私の声が、少しだけ震えた。
侍女長は、優しく微笑んだ。
「リュシア様。あなたは本当に賢いわね」
その声は、エリナが言った“安心する声”と同じだった。
背後で、皇帝の気配が冷える。
侍女長はそれでも微笑んだまま、静かに言った。
「陛下の眠りは、国を弱くします。だから私は――守っているの」
私は息を吸って、ゆっくり吐いた。
「それは守りじゃない。奪ってる」
侍女長の腰元で、ちりん。
鈴が、小さく鳴った。




