第166話 静かすぎると、逆にうるさい
「少しだけ、で十分ですね」
「十分だ」
昨日の“回収”は、静かだった。
静かすぎて――逆に頭の中がうるさかった。
(今のは何)
(何が十分)
(どこまでが少しだけ)
……もうやめて。
朝、医務室の前でフィンがにやにやしていた。
「先生、昨日の“静かな回収”、効いた?」
「効いてません!」
「効いた顔してる」
「してない!」
ローガンが咳払いで笑いを隠す。
「先生、静かすぎると気になるんだよな」
「うるさくしないでください!」
マルタが腕を組んで淡々と言った。
「静かは強い。先生、弱い」
「弱くない!」
扉を開けると、カイゼルがいる。
腕章『先生係』ぴしっ。
紙も札もない。偉い。
そして、今日は珍しく――朝の確認が来ない。
(来ないのも怖い)
「おはよう」
「おはようございます」
私はつい言ってしまう。
「……今日は静かですね」
「静かだ」
「……何も確認しないんですか」
言ってから後悔した。
自分で呼び出してる。
カイゼルが一拍置く。
「確認していいか」
「やっぱり!」
「何を」
「今」
低い声。
「静かすぎて、嫌か」
ずるい。
“嫌か”って聞かれると、拒否しづらい。
私は息を吐いて、言い換えた。
「……嫌じゃないです。でも、心臓が忙しいです」
正直すぎた。
フィンが後ろで肩を震わせ、ローガンの咳払いが爆発しそうになり、マルタが天井を見る。
「先生、正直」
カイゼルがほんの少しだけ目を細めた。
「……なら、ほどほどにする」
「それでお願いします」
診察開始。
「ここ。吐こう。長く」
息が戻る。肩が落ちる。
今日は患者も落ち着いている。
“少しだけ”や“確認”が砦に浸透して、皆が言いやすくなっている。良い変化。
午後、若い騎士が診察のあとに言った。
「先生、今……少しだけ休んでいいですか」
確認が入ってる。上手い。
「いいよ。少しだけね」
言ってしまった。
増える。少しだけが増える。
窓の近くでカイゼルが、目で一回だけ「はい」。
その“はい”がうるさい。音はしないのに。
夕方。
診察が終わって、医務室の灯りを落とした。
廊下に出ると、カイゼルが待っている。
待つ顔。待つ姿勢。
でも今日は、近づかない。昨日の静かさを守っている。
「……陛下」
「ここだ」
「静かすぎます」
「嫌か」
「嫌じゃないですけど!」
「……なら」
カイゼルが少しだけ声を落とす。
「確認していいか」
「何を」
「少しだけ」
「またそれですか」
「まただ」
私は長く息を吐いた。
静かすぎると逆にうるさい。
だったら、ほどほどに音を立ててほしい。
「……少しだけ、隣で歩いてください」
言ってしまった。
私から頼んでしまった。
フィンが遠くで「うわ」と口だけで言い、ローガンの咳払いが祝砲みたいに鳴り、マルタが淡々と頷いた。
「先生、敗北」
「敗北じゃありません!」
私は真っ赤になって叫んだ。
でもカイゼルは、静かに頷いて歩幅を合わせてくる。
ほどほど。
それだけで、頭の中のうるささが少し静まる。
……結論。
静かすぎると、逆にうるさい。
そして私は、ほどほどの隣にいちばん弱い。




